【生きづらさを乗りこなすヒント】「ありのままで生きる」の落とし穴
発達障害、精神的ストレス、感覚過敏など――
ごく身近な“生きづらさ”を乗りこなすためのヒント。
そして、しんどいからこそ見える、世界の美しさについて。
自閉スペクトラム症(ASD)当事者である編集/文筆家・国実マヤコが、
日常のあれこれを、のほほんとつづります。
「ありのままの自分」では生きられないワケ
「あなたは、自分軸で生きていますか?」「本当の自分を見失っていませんか?」「ありのままの自分を、愛そう」――。おもに自己啓発系のSNSアカウントが発信する、こうしたキャッチフレーズに正直反吐が出るのは、わたしの性格が悪いからでしょうかと世に問えば、間髪を容れず「そうですね!」という世間の声がかえってくるだろう。
しかし、発達障害(ASD)という特性と愛着障害がごちゃ混ぜとなって、小さい頃から他人の顔色ばかり窺い、太宰治『人間失格』の葉蔵ばりに「道化」を演じてきた(=擬態してきた)わたしとしては、もはや「ありのままの自分」が“どれ”なのか、ちっともわからないのだ。
友人とケラケラ笑うわたし。仕事では意外にも真面目なわたし。突如、生きることの虚しさがこみ上げるわたし。顔を引きつらせながら最大限の良き隣人を演じるわたし。メンタルクリニックで号泣するわたし。パニック障害で交通機関が使えないわたし。旅行に行きたいとワクワクするわたし。発達特性全開で家族にイライラをぶつけてしまうわたし……。
(イメージ:写真AC)
そんな、わたしの「自分らしさ」や「ありのままの自分」について強いて述べるなら、「それ、ぜーんぶ“ありのままの自分”だよ。自分軸とか自分らしさとか、殊更に言うほどのことかね?」というニュアンスに近い。もちろん、生来の性格や発達特性はあるけれど「ありのままの姿見せるのよ♪」と高らかに歌ってASD的な特性を暴走させてしまったら最後、『アナと雪の女王』のエルサのように、国中(わたしの場合はまず家庭)を、止まらないマシンガントークとこだわり全開の言動から、凍らせてしまうにちがいない。友人や仕事の仲間たちも、“少しも寒くないわ”状態のわたしからは、少しずつ、後退りしていくことだろう。
映画は一度しか観ていないけれど、たしかエルサも、「ありのままの♪」と高らかに歌った結果――自己受容できたのは良かったけれど――大事な妹を傷つけていたではないか。
魔法をコントロールするという「愛」
つまるところ、「ありのままの自分」「自分らしさ」を第一に据えるのであれば、それこそ、たった一人で、氷の城に篭り続けるほかない。すくなくとも、わたし個人の場合は、そういうことになる。
とはいえ、「自分らしさ」を無碍にするつもりもない。正確に言うなら、わたしは「ありのままの自分」や「自分らしさ」の“押し付け”に辟易しているのだ。先述したとおり、失敗ばかりの自分も、気をつけなければ命取りになる特性も、そんなことは忘れて屈託なく笑う自分も――どれもが自分自身に他ならない。
そのどれもが自分であると理解した上で、自らをコントロールしながら他人と共生していく。それは決して「自分らしさ」の否定にはならない。それどころか、人間としての思いやりであり、愛だ。
(イメージ:写真AC)
ひとつだけ注意するとしたら、「どんな自分も、自分である」ということを、しっかり“客観視”する素直さを持つこと。つまり、もし「ちょっと、気を遣いすぎているな」「怒りすぎてしまった」と自分を“客観視”したら、そんな自分を否定せず、しなやかに方向転換すればいい。ポイントは、あくまで“客観視”することであって“否定”ではない、ということ。ここを間違えると、“劣等感まるだしのメンヘラ”と化してしまうので、くれぐれも注意が必要だ。
たしか、エルサが魔法をコントロールすることで、物語が大団円に向かったように、この世界でたのしく生きていきたいなら、わたしたちも魔法(性格、特性、障害など)をうまく制御する術を覚えなればいけない。くり返すが、それこそが、大切な人たちへの礼儀であり、思いやりであり、人間としての愛である。
たぶん、「ありのままの自分を愛してほしい」なんて言う人は、モテないよね。
*次回は12月26日更新予定です。
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著:国実マヤコ 監修:西脇俊二