【生きづらさを乗りこなすヒント】ゴッホが精神病院で描いた『星月夜』が照らす、絶望のなかの光/最終回

【生きづらさを乗りこなすヒント】ゴッホが精神病院で描いた『星月夜』が照らす、絶望のなかの光/最終回



発達障害、精神的ストレス、感覚過敏など――
ごく身近な“生きづらさ”を乗りこなすためのヒント。
そして、しんどいからこそ見える、世界の美しさについて。
自閉スペクトラム症(ASD)当事者である編集/文筆家・国実マヤコが、
日常のあれこれを、のほほんとつづります。


 

“異常なほど美しい”ゴッホの『星月夜』

ひまわりの花が嫌いだ。この世の明るさを一手に引き受けたかのような、太陽そのもののような姿と対峙すると、自分のもつ影が、闇が、一層濃くなっていくのを感じる。

誕生日や、なにかの祝い事となると、小さな頃からひまわりの花をもらうことが多かった。女の子らしいピンクや赤といった雰囲気ではない夏生まれのわたしに、黄色のひまわりは、ちょうどよかったのだろう。だから、「本当は、ひまわりの花が嫌いだ」とは言えなかった。これ以上「マヤちゃんは変わっているね」と言われたくなかったし、母も「あなたにぴったりの花だわ」とよく言った。だから“ひまわりの花にぴったりのわたし”になろうと頑張ったが、無理だった。まるで笑顔を強要されているような不快さは、今でも変わらない。


(フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり(15本)」 (1888)
ロンドン・ナショナル・ギャラリー 蔵
Public Domain

また、中学生のころ観た黒澤明『夢』の「鴉」という作品にゴッホが出てくるのだが、マーティン・スコセッシ演じるゴッホは、子どもながらに、なんだか不穏で怖かった。映画を観る数年前、ちょうど安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)が、とんでもない額でゴッホの『ひまわり』を落札したことがニュースになっていたから、頭の中で「ゴッホ」「怖い」「ひまわり」が一緒くたとなって、ゴッホの描いた『ひまわり』すらも憎悪の対象となった。

長じるにつれ、ゴッホが精神のバランスを欠いて自分の耳を切ったということや、37歳でピストル自殺(昨今では他殺説もあるらしい)を遂げたというショッキングなエピソードが耳に入ってくると、ますますゴッホの印象は悪くなっていく。描いた作品を観ても、とんでもない額で購入されるようなシロモノとは思えなかったし、どことなく“避けたい”印象があった。

それなのに――。その忌まわしきフィンセント・ファン・ゴッホが、精神病院(サン=レミ修道院)で描いた『星月夜』に、わたしのこころはグッと掴まれた。

モティーフひとつとっても『ひまわり』が陽なら、『星月夜』は陰の作品。しかしながら『ひまわり』よりもよっぽど明るくて、エネルギッシュで、希望に満ちている。観ていると、勇気すら湧いてくるような気もする。“精神病院”で描いた“想像の景色”とは思えない、人間の根源的な生命力を感じさせる作品ではないか。

キュレーターで小説家の原田マハさん曰く「『よくぞ、こんな辛い時代に書いてくれた』と、この作品を見ると、いつも感謝したい気持ちでいっぱいになります」「本物を見ると、ちょっと怖くて異常なほど美しい」とのことだ(幻冬社新書『ゴッホのあしあと』より)。ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵の『星月夜』。いつか、パニック障害を克服してアメリカに行けることがあったなら、ぜひ実物を観てみたい……。

ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』(幻冬舎新書)
著:原田マハ

 

苦しみや悲しみのすぐ側に、キラリと光るもの

大きく燃える太陽、降り注ぐ光の束、溌剌とした明るい笑顔、誰もが美しいと思うカラフルな花というよりは、夕刻、道ばたへと落ちる家の灯り、悲しみの涙の粒が映すプリズム、嵐の夜に吹き荒ぶ風の音、朽ちかけた薔薇、暗闇の電信柱の周りを、狂ったように舞う蛾の羽ばたき。

そういった類いに惹かれる性分は小さな頃からだが、30代で自分が発達障害(ASD)だとわかったとき、すべてに合点がいくようだった。いつも「変わっているね」と言われてきた自分が、ようやく肯定されるように感じた。


フィンセント・ファン・ゴッホ 「星月夜」 (1889)
ニューヨーク近代美術館(MoMA) 蔵
Public Domain

いま、世界では戦争が起きていて、あらゆる“ありえない”が、起こりつつある。でも、精神病院の、牢獄のような部屋で、ゴッホが美しい『星月夜』が生み出したように、あるいは連載中、これまで取り上げてきた宮沢賢治や金子みすゞ、ヘンリー・ダーガーが、絶望のなかで傑作を創り出してきたように――神様からの贈りものは、わたしたちの苦しみや悲しみのすぐ側に、キラリと光っている。その光こそが、芸術であり文学ではないだろうか。

それは、うつ病で動けないあなたの部屋の、小さな窓の景色の移ろいに。
パニック発作で電車を降り、悔しさから流した涙のなかに。
仕事を失い、ひとり、公園で見上げた赤い夕日の向こうに。

わたしは、そんな瞬間にこそ人生の醍醐味があると信じているし、そんな場面に身を置いたことのあるあなただからこそ、世界の真の美しさを見出すことができる、と考えている。

どんなに不穏な世界であっても、どんな辛い状況にあっても、繊細なあなたなら、大丈夫。それも、連載で取り上げたフランクル『夜と霧』で証明されたではないか。そう、あなたやわたしだからこそ見出せる、世界の美しさや面白さとともに、豊かな日々を送っていこう。皆がひまわりのように笑えなくたって、構わないのだ――。

この、ささやかな文章を、最後まで読んで下さったあなたに、愛を込めて。

※本連載は今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました。

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明日も、アスペルガーで生きていく。』(ワニブックス)
著:国実マヤコ 監修:西脇俊二


Written by 国実マヤコ
国実マヤコ

東京生まれ。青山学院大学文学部史学科を卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスに。
書籍の編集、および執筆を手がける。著書に、『明日も、アスペルガーで生きていく。』(小社刊)がある。
NHK「あさイチ」女性の発達障害特集出演。公開講座「大人の生きづらさを知るセミナー」京都市男女共同参画センター主催@ウイングス京都にて講演会実施。ハフポストブログ寄稿。
X(旧Twitter):@kunizane

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