【令和の推し活ブーム】……だけど推し活にも才能はいる

【令和の推し活ブーム】……だけど推し活にも才能はいる



推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。


BOOKOUTをご覧の皆様、こんにちは。ライター/コラムニストの山野萌絵です。第二回のテーマは「推し活にも才能はいる」。しばしお付き合いください。

 

令和は「1億総推し活時代」!?

東洋経済オンラインに、こんな記事がある。

「「1億総推し活時代」ブームで増える”不安と悩み”」
(東洋経済オンライン 24/12/27
https://toyokeizai.net/articles/-/849047

衝撃の事実だ。なんと、今や1億総推し活と言われる時代に突入しているらしい。

まあ……1億はさすがに盛りすぎだろと思うが、記事内でも引用されている博報堂「オシノミクスレポート」によると日本人の34.6%には「推し」がいる模様である。

(※)「オシノミクスレポート」
(HAKUHODO HUMANOMICS JOURNAL#2
https://www.hakuhodo.co.jp/humanomics-studio/assets/pdf/OSHINOMICS_Report.pdf

単純計算で約4,300万人が何かを推しているという自認があることになる。普通、物を書く際に「みんな○○している」と断言すると、主語が大きくなりすぎてそんなことはないという反論が飛んできそうなところではあるが、これはもはや「みんな推し活している」と形容しても差し支えない状態であろう。

だが私は思う。今世の中で「推し活」と呼ばれている異常執着行為って、本当はもっと向いている人と向いていない人がいるのでは? 少なくとも日本人のうち4,300万人みんなに向いているとは言えないと思うのだ。異常執着にも、結構な才能が要るのである。

 

推し活で消費しているモノ・コト

まず、そもそも私は唱えたい。赤の他人である演者を好きになってお金を使うのって、結構ニッチな行為なのだ。

そして持論であるが、世の中には推しに対して「そのコンテンツのみを楽しむために刹那にお金を払っている人」よりも、「未来や人間性にベットしてお金を払っている人」が多すぎる。前者は提供されたコンテンツのみへの消費行動で、後者は投資みたいなものだ。

この二つを「推し」側の演者や企業もごっちゃにしているから混乱が起こる。前者に比べて、後者はかなり危険度の高い行為なのに「推し活」という語で一緒くたにされているため、SNSではしばしば「推し」と呼称されるたぐいの有象無象が炎上している。「チケット代返せ」だの「グッズ代返せ」だの、枚挙にいとまがない。

「高額の指輪を買わされた」とかは……ちょっと同情するけどね! でも、ちょっとだけだ。大人が自分で買ったものは基本的に自己責任であろう。

「推し」が悪い、というか愚かな場合も結構あるけど、基本的に令和のオタク、払った額以上の未来を期待しすぎなのである。

博報堂「オシノミクスレポート」でも、この二つは割と一緒くたにされていると思う。「『推し』に特徴的な感情」の項で「商品やグッズを集めたくなる」と「崇拝したくなる」が並列に紹介されているのだ。

並列にしない方がいいと思うよ!

と私は声を大にして言いたい。

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。

「推し」の対象が新興宗教でもなければ、物を買うのと相手を崇拝するのは全然違う行為である。物を買った分量で勝手に崇拝を加速させてしまうと、かなりの確率で裏切られる結末が待っているぞ!

何が言いたいかというと、「推し」に掛けたお金というのはその場で楽しんだコンテンツの対価でしかない。このことを理解して納得できる人しか本質的には「推し活」をしてはならないと私は思うわけである。これが私が「向いている人と向いていない人がいる」と思う根拠だ。

理解できない側の気持ちもわかりますよ。だって、人によってはまあまあな金額を払っているわけで、最初はコンテンツや提示される虚像にお金を払っていたはずが、どんどん「相手の人間性」の部分に侵食してくることもあるはずだ。「リアコ」になってしまったりするとその辺の境界線も崩れやすい。

 

曖昧な自他境界のコントロール

博報堂「オシノミクスレポート」における、
「Q.推しについて、以下はあなたのお考えにどの程度あてはまりますか」という項
「『推し』は生きがいを与えてくれる」の回答が驚異の69.0%を占めている。

赤の他人を生きがいにすることって、怖いですよ〜。推し対自分って、本質的にはコントロール不能な他人なのだ。実はそのコントロール不能感がある意味楽しかったりもするのだが、世の中の皆さんはそこまで自覚して「推し活」をしていないだろう。

生きがいの分散投資ができていれば良いが、推しのみに感情的に依拠してしまっている人が「裏切られた」時に自己を崩壊させる。これも私が「本質的に推し活には向いている人と向いていない人がいる」と思う根拠なのである。

上記に続く回答で「辛いとき・大変な時でも『推し』の存在が支えてくれる」という答えが66.9%。結構みんな自分の人生に推しを感情的に代入させている模様なのだ。

「支えてくれる」という言い方にうっすらと欺瞞を感じる。推しはあなたの人生を支えてなどいない。推しを見てどうにか頑張ったあなたがあなたの人生を支えたのであって、あなたは最初から最後まで一人の人間なのだ。

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。

私が思うに、推し活においてまず必要な才能。それは「自他境界の線を引く才能」である。そして次に「何にお金を払っているのかの区別をしっかりとつける才能」も重要だと思う。

この才能……学習して身につく場合もあるが、怖いことに一生身につかないままの人もいるし、先述したように「推し」側も色んなことの境界線が曖昧だったりするので、それが「推し活」の恐ろしいところなのである。

しかし、「推しを自分の人生に感情的に代入させる」という割とイージーな消費の仕方をしている人からすると、推しと自分は他人であるとはっきり境界線を引きながら「あくまでも自己満足のために大金を使う」人間は冷たくも見えるのかもしれない。前者と後者は永遠に分かり合えない種族なのだ。

こうして分解していくと、広告代理店の「推し活」像がかなり雑というか、色んなものを十把一絡げにして語ってしまっているので、異教徒たちに同じラベルをつけているような違和感があることがおわかりいただけるだろうか。これが私の抱いている「推し活」への違和感でもあり、ひいては「異常執着行為」という正しい名称に変更すべきだと言う根拠なのでもあった。

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。

次回は「推し活と承認欲求の話」。ディープなオタクの心理について考えてみよう!

illust./イラストAC

*次回の更新は4月22日(水)予定です。

山野萌絵(めりぴょん)

ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。

X(旧Twitter) @_a030
note https://note.com/13weekslaterep