【特別寄稿・明治大学文学部教授/齋藤孝】『私は私のままで生きることにした』を読んで



近年、「頑張りすぎないこと」「他人と比べないこと」など
“自分らしい生き方”について書かれた韓国発のエッセイが、
若い女性たちを中心に、強い人気と支持を得ています。

そんな話題の韓国本の中から、編集部が3冊をピックアップ。
“自分らしい生き方”について掘り下げていく特別企画を、3週に渡ってお届けします!

 ぜひ、みなさんが自分と向き合うための “きっかけ”となりますように――。


第2回となる今回取り上げるのは、日本での発行部数50万部を超えるベストセラーとなった、韓国発のイラストエッセイ『私は私のままで生きることにした』。他人からどう見られるのかを気にしている人に、ありのままの自分で生きることを薦めている本書は、生きづらさを感じている女性を中心に幅広い世代から反響がありました。

日本での発行部数が50万部を突破したことを記念して、明治大学文学部教授の齋藤孝先生に本書の書評をいただきました。

“歪んだ鏡”に苦しむ、あなたのための本

私の郷里である、静岡市の駿府公園(現在の駿府城公園)内には、かつて、比較的規模の大きい児童館がありました。まだ小学生だった私は、友人と連れ立って、今はなき、その児童館によく足を運んだものです。
そこには、たとえば鉄道模型や大型の天体望遠鏡、ロボットといった、子どもたちに人気の遊具や展示がたくさん置かれていましたが、私たちがもっとも心を奪われたのは、なんと、歪んだ3枚の鏡でした。

1枚目の鏡の前に立つと、鏡が歪んでいるために、自分がずいぶんと太って見えます。2枚目の鏡の前に立つと、逆に自分がとても痩せて見え、3枚目の鏡の前に立つと、今度は自分が小さく見える――。
まだ幼いものですから、私たちには鏡に映る自分たちの姿がおかしくて仕方がない。飽きもせず児童館へ足を運んでは、この鏡の前に立ち、爆笑していたものです。

『私は私のままで生きることにした』を読みながら、私はふと、少年の頃に見た、あの3枚の鏡を思い出しました。なぜなら、本書は“歪んだ鏡”に自分を映すことで苦しんでいる人たちへ向けたエールである、と感じたからです。

あなたが「私」自身だと認識し、納得している“自分像”があるとして、その通りにあなたを映してくれる鏡(=他者)は、いったい何枚(=何人)あることでしょう。自分の姿をそのまま映してくれる鏡は、ほとんどありません。おそらくは、どれも少しずつ歪んでいるはずです。

そう、多くの人は“歪んだ鏡”に自らを映すことで、「これは、本当の私ではないのに」と、苦しんでいるのです。本書は、そんな私たちに「その鏡は歪んでいる。映して苦しむのは、もうやめよう」と気づきを与えるのみならず、その苦しみのメカニズムについて、読者の共感を呼ぶエピソードを交えながら、きわめて理性的に諭してくれます。

たとえば、あなたに「ねえ、結婚しているの? 独身?」などという不躾な質問をしてくる人がいるとすれば、問題なのは質問そのものでなく、その人の背景にある“理解力のなさ”にほかなりません。くり返しますが、他人があなたを映す鏡など、たいてい、少しずつ歪んでいるもの――。したがって、そんな理解力の欠如で歪められた鏡に、あなたが傷つく必要はないのです。

 

「こんなはずじゃなかった」「なんてちっぽけな存在なんだろう」

そして、これは自分自身にも言えることです。
「自分が幸せであることを人に証明しながら生きることは、最も不幸な生き方(p243)」とありますが、“幸福な自分”を前提に生きているようであれば、自分自身を見る鏡もまた、同じく歪んでいるということ。つまり、“幸福な自分” という認識がすでに歪んでいますから、自分も、自分自身を正しく見ることができていないわけです。
ちなみに、著者のキム・スヒョンさんによる「人生の目的が幸福にあるという考え自体が大きな錯覚だといえる(p241)」という一文は、なんと大胆、かつ強烈な提言でありましょう。

このように、他者から見たときの歪み、そして自らを見るときの歪み。この二つの“歪み”によって、「こんなはずじゃなかった」「なんてちっぽけな存在なんだろう」と、私たちは苦しんでいるのです。加えて、「未来のことについて適当なシナリオを書かない(p132)」という項目がありますが、私たちは起こってもいないことを心配し、取り越し苦労をすることで、未来さえも歪めてしまう……。
まさに、あっちもこっちも“歪んだ鏡”だらけです。

どうにかこの“歪み”を克服しようとするならば、それは、できるだけ客観的に自分を見つめるということ。
「ゆがめられた未来にとらわれて、今を台無しにするのはやめよう(p133)」というメッセージの通り、余計な不安を持たないこと。あるいは、一切“鏡を見ない”ということを、選択肢に入れてもよいかもしれません。

イラスト/キム・スヒョン

 

「お手本」のようなクオリティのエッセイ

私は、大学生に「エッセイの書き方」を指導しているのですが、本書は、そのお手本となるような、非常に優れたエッセイであると感じています。
本稿の冒頭で、私は自分の少年時代のエピソードに触れましたが、これも、実は本書に倣ったスタイルなのです。

つまり、本書の優れた第一のポイントは、キム・スヒョンさんの飾らない“等身大”のエピソードにあります。この“自己開示”があってこそ、人は「あるある!」「実は、私もね……」と話したくなるもの。だからこそ、本書には、まるで気の置けない友人との会話のような爽快感があるのです。

以下、本書の優れたポイントを、いくつかご紹介していきましょう。

次なるポイントは、ほかならぬ、著者キム・スヒョンさんによるイラストです。
おそらく、イラストという明確なビジョンが描けるからこそ、文章(言葉)も、これほど的確に出てくるのでしょう。もしかすると、イラストの方が先に完成しているのでは? と思うほどです。

そして、忘れてはいけないのが、本書一冊の中に、多くの偉人たちの名言やエピソードが惜しげもなく詰まっていること。もちろん、キム・スヒョンさんの言葉も名言だらけなのですが、加えて、人生の先達であるアリストテレスにトルストイ、サリエリといった偉人たちが、次々登場します。
ある項目では「哲学者のエピクロスは言った(p226)」、「突きつめれば、問題の始まりはアリストテレスだった(p241)」という一行から文章がはじまるのですが、これらの出だしの、実に素晴らしいこと!
一読者として思わず話に引き込まれると同時に、私はたいへん感心させられました。

なかなか、エピクロスを読む方は少ないのではないでしょうか(笑)。つまり、本書を読むことで、視野が広がるのみならず、教養すらも身につくのです。

次なるポイントとしては、「not A but B」といった文型に代表される、わかりやすい文章構成が挙げられるでしょう。
「歩いてきた道を振り返るとき、必要なのは後悔ではなく、評価」「これからの道を見つめるとき、必要なのは心配ではなく、判断(p138)」といった文章からは、キム・スヒョンさんの頭と心が実にクリアに整理されており、いかに彼女が感情に振り回されない、理性的な人物であるか、手にとるようにわかります。
もちろん、文型のみならず「これからの道を見つめるとき、必要なのは心配ではなく、判断」といった的確な一文には、思わず私もハッとさせられました――。

そしてもう一つ、なによりキャッチーなタイトル(小見出し)を挙げることができるでしょう。「幸せは人生の目的じゃない(p241)」「未来のことについて適当なシナリオを書かない(p132)」など、思わず「そうそう!」と膝を打つような、読み手を惹きつけるキャッチーなタイトルが並びます。

 

本書こそ、「歪みのない等身大の鏡」である

「韓国では、未来についての質問が多すぎます(p134)」というイラストの吹き出しが象徴するように、現在の韓国は、あらゆる競争などが激化し、もしかすると日本と同じ、あるいはそれ以上に“生きづらい”事情があるのかもしれないと、どこかシンパシーのようなものを感じます。
やはり、同じ東アジア圏の国ですから、どこか感覚的に近いものがあるのでしょう。つまり、翻訳書でありながら、身近な日常生活の一コマが浮かび上がるような、親しみやすさに溢れた一冊です。

イラスト/キム・スヒョン

なにより、この“歪んだ鏡”だらけの世の中において、本書こそ、貴重な「歪みのない等身大の鏡」ということができるのではないでしょうか――。

孔子も『論語』の中で「自分がどう評価されているか、知られているかを気にかけるな」ということを書いていますが、残念ながら唐突に「ねえ、結婚しているの? 独身?」などという不躾な質問をしてくる人がこの世から一人もいなくなる、ということはないでしょう。
しかし、それが「相手の理解力の問題」だと、頭を整理することができたなら、多少は気分がスッキリするはず。そのために必要なのが、この「歪みのない等身大の鏡」なのです。

それでも、取り越し苦労などで、あなたの心がいっぱいになることがあったなら――。「人間関係」「恥」「欲望」「心配」とラベルの貼られた「それぞれのゴミ箱に、いらないものを捨ててください(p247)」。さらば、不用品!

イラスト/キム・スヒョン

「歪みのない等身大の鏡」である本書を読むことで、きっと、みなさんは“本当の自分”を取り戻すことができるはずです。

 

 

『私は私のままで生きることにした』
著:キム・スヒョン
訳: 吉川南