“本当の友達”が集まるイタリアの誕生日パーティ

“本当の友達”が集まるイタリアの誕生日パーティ



イタリア在住のイラストレーター・マンガ家のワダシノブさんが、
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今回は、イタリアの誕生日パーティを通して見えた友人関係について。


イタリアでは誕生日パーティは本人が企画し、パーティにかかる代金はすべて本人が支払うことが多い。招待される側はよほどの事情がないかぎり出席する。 特に30歳や40歳といった大台に乗る年は気合いが入っていて、結婚式並みに欠席できない大事なイベントだ。

夫の年長の友達ロベルトも、50歳のときに盛大な誕生日パーティをした。 ロベルトは数年前から「50歳になったら盛大なパーティをする」と宣言していて、実際に誕生日の数ヶ月前には招待状が届いた。

ロベルトのパーティは、わが家から車で3時間以上かかる湖の近くにあるレストランで行われた。イタリアのあちこちから集まった友達は、みんなロベルトと10年以上の付き合いだった。
大人たちが「久しぶりに会えて嬉しい」と口々に言いあう姿は、私の目には新鮮に映った。彼らはたまにしか会えなくても、なんでも話せる友達は特に大切だと照れずに言うのだ。

オープンで明るく、「誰でも友達」という印象が強いイタリアの人たちだが、決してそんなことはない。彼らが本当に友達と呼ぶ人の数は少なく、なんでも話す友達とそれ以外をはっきりと区別していて、そのことがよくわかるのが誕生日パーティなのだ。パーティに呼ぶ人、つまり自腹でもてなしてでも会いたい人が“本当の友達”なのだ。

なんでも話せる安全地帯のような友達は、彼らに頑張りすぎなくていいという安心感を与えてくれる。無理して自分を飾らず、素のままでいても自分を好きな人がいるという強さ。そしてその関係は年月をかけないと作れない。

正直私はそんな関係がうらやましいし、彼らのことがまぶしくて仕方がなかった。
人付き合いが下手で、長く続く友達がほとんどいないことがコンプレックスで、日本にいた頃はずっと「人付き合いは疲れる。でも、誰かに肯定されたいからパートナーは欲しい」と思っていた。

大人は誰にも迷惑をかけてはいけない、1人で生きていける強さがなければいけないと肩に力が入っていた。自分はたいした人間ではないのだから、誰かと会いたいなら常になんらかの価値を提供しなくては意味がないと思っていた。「暇だから会いたい」なんて言っていい相手は、パートナーだけ。そう思っていたし、そんな自分のことが嫌いだった。

でも、人付き合いで疲れていたのは、自分をよく見せようと本来の自分以上の姿を演じていたからだと、今ならわかる。

何者でもない自分のまま、誰かに接することが怖かった。だから学生時代の知り合いには、自分を必要以上によく見せようとしたし、社会人になってから出会った人たちとは考えすぎて何を話していいのかわからなかった。人に会った後は「あんなことを言ってしまった(言えなかった)」と反省ばかりだった。

今なら「そんなに頑張らなくてもいいのに。もっと素直に自分を出せばいいのに」と思う。正直な自分を出さないかぎり、人付き合いは疲れるだけだとイタリアに来て知ったから。

1人が楽しめないのなら、自分のことをそういう人間だと認めて、「寂しいから会いたい」と周りにメッセージを送ればいい。「おひとりさま最高」と思う日もあるけれど、誰かに会いたく日もある。そんなときは「何してる?」と気軽に周りに聞けばいい。時間をかけないと信頼関係は築けないのだから。

オシャレしたロベルトと友人たちが楽しそうに思い出話をするのを見ながら、そんなことを思った。

Written by wadashinobu
ワダシノブ

イラストレーター・マンガ家。広島県生まれ、イタリアのトリノ在住。
日本で出会ったイタリア人パートナーの帰国に付いて、2007年からイタリア生活を始める。
イラストのほか、noteやPodcastでイタリア生活や趣味について発信している。
Twitter @shinoburun
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