ブラックアウト・ウィズ・鏡月 #それでも女をやっていく

ブラックアウト・ウィズ・鏡月 #それでも女をやっていく



会社員、フリーライターであり、同人ユニット「劇団雌猫」として活動するひらりささんが、「女」について考えるこの連載。
今回は、お酒と友達付き合いについて綴っていただきました。


人生の大半は、思い込みで成り立っていると思う。「こういう振る舞いをしたほうが人に好かれるらしい」とか「こういうことをすると女らしい/男らしい」みたいなやつ。思い込みというか、常識のように思わされている共同幻想というか。日々、周囲の人とのやりとり、学校での勉強、メディアの情報などを通じて、「らしい」ことを自分の人生に取り入れたり、あるいは取り入れないことを選んだりして、暮らす。

「黒髪のほうが清楚で女らしい」とか「たくさん食べたほうが男らしい」のように、性別にひもづいたステレオタイプを助長する「らしい」は、弊害の強さが徐々に認識されてきた。学校の制服にジェンダーレスなものを取り入れたり、職場でのパンプス・ストッキング着用義務に異をとなえる「#KuToo」運動がSNSで盛り上がったりと、団結して、「らしさ」に反旗を翻す動きも出てきた。

わたしは性別には違和感を持っていないけれど、「女」をうまくやれる人間ではないと思っていたし、そういう自分がうっかり「女」のコードにならった振る舞いをすると、気持ち悪く感じた。それは逆説的に言うと、この手の思い込みが強いからとも言える。女らしい/男らしいのイメージにがっちりと頭を掴まれている。無理に抵抗しようとして、かえって妙な反動がつくこともあった。

20代半ば以降、酒を飲むのが止められず、アルコール依存症に限りなく近い場所にいたのも、その反動のせいだったのではないかと、最近ふと気づいた。

 

「獺祭」がきっかけで酒に目覚める

大学時代、わたしは酒が嫌いだった。サークル新歓期のコンパで飲んだ生ビールは、いやな苦みの色水にしか思えなかった。連れて行かれたのが白木屋などの激安居酒屋ばかりだったこと、当時炭酸飲料が苦手だったのにビールから始めてしまったことも、大きかったとは思う。自分が白面だと、酔っ払ってテンション高く絡んでくる人間たちは非常にうざったかった。結局入ったのが学生新聞団体で、その後は、とくにコールなどもないまったりとした飲み会に参加するだけでよかったので、酒が飲めるようになる必要もなかった。

(イメージ:写真AC)

歯車が狂ったのは、新卒で編集者を始めてからである。いまは新型コロナ感染症で状況も変わっているだろうが、メディア業界はとにかく飲み会が多い。うちは新興のウェブメディアで経費もそこまで使えないから、だいぶ少ない方ではあったと思う。それでも、顔をつないで仕事につなげるために、ライター・業界関係者が集まった飲み会には定期的に顔を出したり、年末年始は、著者や他社の編集さんに誘われた忘年会を、毎日はしごしたりしていた。業界の飲み会では、「飲める」ほうが喜ばれる。しかしわたしにとって、ビールは色のついた炭酸水である。最初はどうしてもおいしいと思えず、一人ティーポットで頼んだロイヤルミルクティーを飲んで上司に激怒されたりもしていた。

しかし、ある著者が自宅で開催した忘年会でふるまわれた「獺祭 磨き その先へ」を飲んで、世界が変わった。え、なにこれ……。さくら水産で一度だけ注文してしまった、消毒液みたいな味の清酒と、同じ名前で呼ばれる液体とは思えない。視界が澄み渡って10メートル先まで見えるような、晴れやかな味わいだった。するする喉を通って魔法みたいに気分が良くなる透明な飲み物。そうか、わたしはビールやまずい酒が苦手だっただけなのか。しかも日本酒にはさまざまな風流な名前がついていて、蔵元を調べると、いろいろな由緒があったりする。いろいろな日本酒を飲むのは、ポケモンを集めるみたいで楽しい。気づいてからは、あっという間だった。評判の日本酒居酒屋を回ったり、蔵元が集まる試飲イベントに友達と遊びに行ったりした。


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Written by ひらりさ
ひらりさ

ライター・編集者。平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。
劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。
個人としてもアンソロジー同人誌『女と女』を発行するなど、女性にまつわるさまざまなテーマについて執筆している。
初の単著『沼で溺れてみたけれど』(講談社)が発売中。

»https://twitter.com/sarirahira

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