代わりの女 #それでも女をやっていく

代わりの女 #それでも女をやっていく



文筆家のひらりささんが、「女」について考えるこの連載。
今回は、20代に経験した職場での出来事について綴っていただきました。


これは告発ではない。この文章に実名は出てこない。でもわたしの歴史を振り返るために書く必要はあると、9年経って思った。今この文章を必要とする人もどこかにいるかもしれない、とも。

編集者をしていた。30歳までに死ぬと思っていた。耐えられて、30歳じゃないかと思ったのだ。だって、あまりにも疲れて、ぼろぼろで、自分の存在に価値を持てなかったから。価値がないと言い続けられていたから。展望がなかった。

つらかった頃の記憶はあいまいで、現実よりも、当時よく見ていた悪夢の内容のほうを頻繁に思い出す。わたしは夜道を急ぎ走っている。両手を軽くかさねて胸の前にかかげながら走っている。口から歯がぽろぽろとこぼれ落ちていて、それを受け止めるのに必死なのだ。やがて背の高いマンションがあらわれる。エントランスを抜けたわたしはエレベーターに乗る。左手は相変わらず歯を受け止めながら、右手で4階のフロアボタンを押す。どうやら自分の部屋に帰ろうとしているらしい。しかしエレベーターは4階で止まらずに最上階まで行き、また下に戻ってしまう。わたしは何度もボタンを押し続けるが、同じ現象が繰り返される。その間も歯がぽろ、ぽろ、と抜け続け、ついに手からこぼれ落ちようとした瞬間、目が覚める。

 

予想外の形で始まった社会人生活

自分が新卒で編集者になるとは、大学に入った頃は思いもしていなかった。学生新聞団体に所属していて、書いたり編集したりすることは好きだった。出版社や新聞社の説明会にも、一応足を運んだ。でも採用担当者が「うちは応援団のOBが来るルートができていて」と悪びれもせず言っていたり、内定者から「就活で語れるエピソードをつくるために夏休みは子供電話相談室でバイトして」などと言われると、くらくらしてしまった。「好き」は趣味のままにして、試験でのし上がるほうが、わたしには向いているんじゃないか?と思い、法科大学院を目指していたが、予備校の雑居ビルで模試を受けている最中に、東日本大震災が起きた。「明日死ぬならやりたいことはこれではない」と思った。迷いに迷って大学4年の冬、やっと進路を変えた。Twitterで発信している編集者にDMを送ったり、大手出版社の前で出てきた社員に声をかけて仕事の話を聞かせてもらったりと、その時点で考えつく「就活」をしまくった。

(イメージ:写真AC)

留年して一学年下の学生たちと一緒の選考に参加しようと思っていたのだが、予想外のことが起きた。情報収集のためコンタクトをとった会社から、4月から正社員として採用したいという提案をもらったのだ。ウェブメディアを準備中のスタートアップ企業だった。履歴書を持っていたわけでもない即日のオファーに、多少不安はあった。自分が特集担当をつとめた学生新聞のバックナンバーを持参していたので、それと学歴で「アリ」だと思われたようだ。この、新しいメディアの構想を熱心に語る、実績豊富な人がそのように言うのだから、そういうものなのだろう。わたしも、「好き」を仕事にできるのだ。その時点で一社すでに来年度の内定をもらっている出版社があったのだが、考えたすえ、その会社に入ることにした。型通りの選考よりも、「わたし個人を評価している」と言ってもらえた気がしていた。


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Written by ひらりさ
ひらりさ

ライター・編集者。平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。
劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。
個人としてもアンソロジー同人誌『女と女』を発行するなど、女性にまつわるさまざまなテーマについて執筆している。
初の単著『沼で溺れてみたけれど』(講談社)が発売中。

»https://twitter.com/sarirahira

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