【INTERVIEW】改名を発表し、新たなスタートを切った新木宏典。役者としての歩みや地元・兵庫県丹波市の魅力を発信するフォトブック「〝新〟発見 丹波ガイド」の見どころを語る。

【INTERVIEW】改名を発表し、新たなスタートを切った新木宏典。役者としての歩みや地元・兵庫県丹波市の魅力を発信するフォトブック「〝新〟発見 丹波ガイド」の見どころを語る。


俳優・新木宏典が6月14日に荒木宏文から「新木宏典」へ改名を発表。今までのキャリアを振り返りつつ、40歳という節目に何を感じて改名に至ったのか。また、7月31日に発売となったフォトブック「〝新〟発見 丹波ガイド」の見どころを含め、“新木宏典の今”に迫る。

撮影/浦田大作 スタイリスト/石橋修一 ヘアメイク/小林純子 文/根岸聖子

——40歳という節目での芸名の改名、そしてフォトブック「〝新〟発見 丹波ガイド」発売が話題です。年齢について、新木さんはどんなふうにとらえているのでしょうか。数字にはとらわれない、という人もいますが。

「僕はとらわれているほうだと思いますし、むしろプレッシャーに感じているくらいです。40年生きてきた人間として、それだけの経験値を持っているのか、恥ずかしくない生き方をしているのかと。生きている年数として、責任を持つべき年齢だと思っていますから。役者としての40歳で言うと、とらわれたくないのであれば、年齢を非公開にすればいいだけの話ですし。プロフィールで見られた場合、その数字にとらわれるのは、むしろ受け取る側なのかなとも。公開するメリットはたいしてないけれど、別に隠す程のことでもない。僕がどう思うのではなくて、周りにとって、基準として必要な数字なのかなと思っています」

——20代、30代と役者としてのキャリアを積んできて、その年代ごとに見てきた世の中の変化には、どのように対処してきましたか?

「世の中の変化で言うと、例えば2.5次元というジャンルにしても、SNSにしても、自分が取り入れるなら……とは考えます。名前を世に出して活動している人間としては、SNSの影響力、利用者の年齢層がどれくらいで、どの層に向けてのSNSなのかなどは、理解しておいたほうがいいのかなと。自分を応援してくれている人に向けてのアプローチと、拡散するため、知ってもらうためにやっておくことというのは、分けて考えたほうがいいのかなと思っています」

——YouTubeもTikTokも、全て自分でチェックして勉強されたと言っていましたが、以前から、ご自身で調べる姿勢でやってきたのでしょうか。

「やっていましたね。それこそ、僕は20代でD-BOYSという俳優集団としてデビューしたので。俳優という個人プレイをやりながら、ある程度の人数がいて、年齢差のある人達の中での活動もしていたので、自分は一体なんなんだろうと、自分を見つめる環境にいたんです。なので昔から、必要な情報は自分自身で取り入れながら、自分に合っているかどうか、合うならどう活かすかなど、知っておいたほうがいいことは自分で調べながらやってきました」

——多かれ少なかれ、D-BOYSのメンバー間で影響を与え合うことにもなっていた?

「同じ年の同期で、D-BOYSが立ち上がった少しあとに追加で一緒にグループに入った鈴木裕樹という存在があったので、比べる基準になっていました。彼には勝てない部分がたくさんあって、真っ向勝負するだけでは敵う訳がない。自分は何を伸ばしていくべきなのか、僕だからこそ鈴木に勝てる分野はどこなのかをちゃんと見定めてないと、生き残れないだろうなと。そういった自分の尻に火がつくような環境下に身を置けたのは、才能のある鈴木裕樹が同期にいてくれたからです。僕にとってとても大切な、最初の後輩が瀬戸康史だったことも大きかった。康史の先輩でいることを考えると、自分はどれだけのことをやらなきゃいけないのかっていうのが、自然と活力にもなっていました」

——世の中の流れがどんどん速くなっていく中で、新木さんはつねに新しいことに果敢に挑戦している印象です。改名にガイドブックとしてのフォトブック出版など、誰もが予想しないことをやっている。出演される作品の幅も広いですし。

「ありがたいなと思っています。僕は芸能事務所に所属をして、マネージャーがついて役割を分担した上でやっているから、役者業に専念出来る訳です。マネージャーのサポートがあって各方面との信頼関係が築けているからこそ、こうして出版するきっかけも頂けている。同時期に、別々なオファーがあったとして、どっちをやるべきか、その選択についても話し合った上で決めることが出来て、こういう話があったんですがスケジュール的に難しかったのでお断りしました、というのも教えてもらっている。繋がりが途絶えてしまったのではなく、お話は頂いているんだけど、スケジュールが埋まっているから実現はしなかったんだと。今度はこういうことをしましょう、という新しい企画の話が出来るのも、関係性や人脈をマネージャーが繋ぎ続けてくれているからだと思います」

——役者の交流や作品については、ベテランの方達、年下の後輩達、両方とつき合いがありますが、その辺のバランスはどう意識していますか?

「色々な状況下で交流はしていますが、僕自身が、コミュニケーション能力にあまり自信がないので、この人は僕のこと、あんまり好きじゃないんだろうなという人に頑張って近づいていくことはしていないですね。波長が合う人、もしくは僕のことを“おもしろいな”と興味を持ってくれている人だったら、コミュニケーション能力が高くなくても交流しやすい。聞く姿勢を持ってくれている相手なら、誤解があったとしても、訂正するチャンスももらえますから」


——年下、後輩の子達もそうですか?

「後輩の子は、新木さんがやってるから自分もやろうっていうのを、勝手にやっていたりする(笑)。わかりやすい例えで言うと、野球で素振りの練習を100回やっていたとして、“新木さんが100回やるんだったら、僕も100回やろう”っていう後輩がいたら、残って100回素振りをするやつがふたりにいることになる。そうなると、お互い意識し合うようになって、ポロッと本音で語り合う会話が生まれたりする。ちょっとおバカなふりをして、新木さん、教えて下さい! みたいに来てくれるような、コミュニケーション能力の高い子がいてくれると、こちらとしては助かりますね(笑)。自分からコミュニケーション取る方法を知っていて、そうやってきっかけを作ってくれる人もいます」

——新木さん自身も、先輩のマネをしたことってありましたか?

「ありますよ。凄い先輩達が何をしているのかっていうのは、やっぱり盗むべきだと思うので。そうやって生きてきたし、自分からは聞くことはしなかったです。口で色々教えていただくよりは、取り組む姿勢を勝手にこちらで尊敬して、勝手に盗むものだと思っていましたし、そうさせてくださる方は先輩として信頼できまよすね」

——当時、どなたを見ていましたか?

「マモさん、宮野真守さんです。ミュージカル『テニスの王子様』で共演した時に、同い年でこんなに凄い人がいるんだ!? って思いましたから。勝てない、この人にはどうしたって敵わないって焦りました。こんな人がゴロゴロいるんだったら、芸能界では生きていけないなと。それこそ、しゅんりー(髙木俊)さんとマモさんのあのコンビ(ミュージカル『テニスの王子様』で宮野演じる石田鉄と髙木演じる桜井雅也はダブルスのペアだった)に関しては、敵わない、どうしよう!? っていう焦りしかなかったです。この人達の背中を追いかけて、この人達が出来ることを出来るようにならない限り、自分は生き残っていけない。もの凄くハードルの高い目標でしたね」

——デビュー当時の自分からしたら、今40歳になって、改名して、地元のガイドブックを出版している現在の状況っていかがですか?

「環境として、凄く恵まれていると思います。諦めようと思った瞬間なんてたくさんあるけれど、それでも続けてきたことが、僕の今の財産になっている。当時は凄い生意気な若者だったんですよ。“僕はこう思う”“こうしたいんだ” “そんなことする必要ないと思う”とか、もう好き放題言って何度も会社の人達とぶつかりながらやってきたので(笑)。新木さんって怖いイメージがあると後輩達に言われていたけど、まさにその時期だったんでしょうね」

——ご自身の意見をたくさんぶつけていたと。

「めちゃくちゃ面倒くさかったと思うし、そんなに文句言うならやんなくていいよ、っていう感じになった時もあります。多分、本音で言い合ったからこそ、僕にとっては東京の家族のような存在になったのかも(笑)」

 —— “あいつが真っ当になってよかった”と、結局、かわいく思う先生と反抗的な生徒みたいですね。

「かわいいかどうかは微妙ですが(笑)、昔から大切にしていただいているなとは思います」

 ——改名する時、誰かに相談とかしましたか?

「(改名)しようと思うんだよね、というのを最初に話したのはマネージャーです。でも相談というよりは、させてほしい、っていう感じでしたね。親にも、もう本名ではやらないよと話はしましたが、それも相談ではなく、報告です。40歳の誕生日っていうのは節目としていいタイミングなので、ここで改名したいですと。ダメって言えないような空気で、こういう理由でと、改名すること前提で話を進めていました。仕事とプライベートではっきりと分けたかったので、改めて芸名を作ることにしたんです」

——芸能人にとって大きいですよね。名前を変えるって。

「今までの名前に愛着があると言われて説得されかけた時は、“えっ、この程度で!?”って返したんですよ。それって、芸能人としてゴールを踏めるぐらいの実績ですか? と。もっと芸能活動を貪欲にやっていくんだったら、今の段階でたくさんなんて言えない。もちろん、多くの人たちに支えられていることは重々承知だけど、ここでたくさんって呼んじゃダメなんじゃないかと。そんな会話から、こいつはもう折れないな、と思ってもらえたんじゃないかな(笑)」

——そんな経緯で改名した名前で、自分の地元のガイドブックを出版する訳ですが、新しい芸名で出版することは、いつお話されたんですか?

「ロケを終えたあとぐらいかな。改名することしか決まっていなかったので、ロケの訪問先で書かせていただいたサインは全部ひらがなです(笑)。(新芸名は)バースデーイベントで流した映像を撮る1週間前ぐらいに決定しましたから」

——レアなひらがなサインも、このガイドブックを片手に現地で確認してもらうと(笑)。

「フォトブックと言いながら、実際、もの凄く便利なガイドブックになっています。レンタカーの場所まで書いてありますからね。観光協会の方々に協力して頂いたことも、大きかったです。来てくれる人のためのガイド本なので、不安要素は一切ありません。ここに載っているところは、全部行っていい、むしろ人に集まって欲しいところなので。人が来て喜ぶ場所しか取り上げていないので、容赦なく行って、楽しんで頂きたいです(笑)」


●プロフィール
新木宏典/あらき・ひろふみ
1983年6月14日生まれ。兵庫県丹波市出身。近年の主な出演作はミュージカル『刀剣乱舞』、舞台『ACCA13区監察課」、『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage、舞台『モノノ怪~化猫~』など。9月3日~10日には『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』Rule the Stage -Battle of Pride 2023-、9月23日には『AD-LIVE2023』、10月28日~12月16日には舞台『赤ひげ』に保元登役で出演を控える。新木が生まれ育った兵庫県丹波市の魅力を“新”発見出来るフォトブック『〝新〟発見 丹波ガイド』(東京ニュース通信社刊)が発売中。


 





 

 

 

 

 



新木宏典フォトブック『〝新〟発見 丹波ガイド
Amazon限定版『〝新〟発見 丹波ガイド
(東京ニュース通信社 刊 / 税込¥4,000)




衣裳協力: ジャケット¥57,200、シャツ¥30,800、パンツ¥39,600、シューズ¥59,400(以上全てATTACHMENT/Sakas PR 03-6447-2762)、アクセサリー本人私物