【生きづらさを乗りこなすヒント】『夜と霧』に学ぶ「繊細な人は強い」説
発達障害、精神的ストレス、感覚過敏など――
ごく身近な“生きづらさ”を乗りこなすためのヒント。
そして、しんどいからこそ見える、世界の美しさについて。
自閉スペクトラム症(ASD)当事者である編集/文筆家・国実マヤコが、
日常のあれこれを、のほほんとつづります。
限界を超えた「異常な苦しみ」のなかで
毎年、8月がくると、ヒロシマへの原爆投下の6日を皮切りに、ナガサキ、終戦記念日、はたまた自身の誕生日と、わたしは人間の命の煌めきとその意味、あるいは絶望とやるせなさに想いを馳せることが、グッと多くなる。
今年も8月がやってきて、たったいま、ナチスによるホロコーストが行われた、世界の「負の遺産」アウシュヴィッツ(正確には、複数ある“悪名高い”支所のひとつ・ダッハウ強制収容所)を生き延びた心理学者・フランクルによる『夜と霧』を読み返しているところだ。
『夜と霧』は、わたしが説明するまでもない世界的な名著で、人間の生きる意味を、フランクルが自身の強制収容所での苛烈な経験から問いかける、体験記であり、実用書であり、芸術そのものである。
毒ガスのシャワーとはつゆ知らず、石鹸をもたされてガス室に送られる人々。何人もが身を寄せて眠る、しらみだらけの板敷き。ほとんど水のようなスープと小さなパンだけの食事、過酷な強制労働、飢餓浮腫、転がる死体。明日死ぬかもしれないという不安、なにより、それらの苦しみがいつ終わるかわからないという、苦しみ……。
読んでいると、とうに限界を超えた異常な苦しみのなかで、人間がいったいどうなってしまうのかを知り、追体験することになる。これを、ただの苦痛と感じるか、それとも自身の血肉にすることができるかで、この本の価値は二分されることだろう。
最初に読んだのは中高生の頃だったから、くわしいことは忘れていたものの、強烈に、脳裏に「絵」として焼き付いていた場面がある。それは、フランクルたちが強制労働で死ぬほど疲れ、居住棟の剥き出しの土の床にへたり込んでいる、そのとき起きた出来事だった。以下は、その抜粋である。
『夜と霧【新版】』(みすず書房)
著:ヴィクトール・E・フランクル
訳:池田香代子
じつは「繊細な人」の方が精神的に強かった!
「突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急(せ)きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄(くろがね)色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐(さつばつ)とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映(うつ)していた。
わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」
(『夜と霧』新版・池田香代子訳/みすず書房)
ぜひ、上記の光景を、頭に思い描いてみてほしい。明日消えるともわからない命を小さく瞬かせ、眼前に広がる自然の美しさに心を奪われる、美しき人々を。殺伐とした収容所生活のなかで、思わず「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」とこぼす、尊き人間の姿を――。
これほどまでに醜悪で苛烈な環境に置かれてなお、仲間たちに「美しい太陽を見せてあげたい」と思う人物がいて、夕焼けを美しいと思う感受性を持ち合わせていた人々がいた。そのことに、わたしは、強く感銘を受けたのだった。
強制収容所に入れられた人間は、その劣悪な環境と耐え難い精神的苦痛から、ほぼ廃人のようになる人も多かったようだが、なんと、たとえば強い信仰を持っている人や、もともと精神的に豊かだった「繊細な人(=感受性の強い人)」の方が、じつは普通の人々よりも精神的なダメージを受けづらいケースがみられたと、心理学者でもあるフランクルは証言している。これは、驚くべき事実であるとともに、励まされる人も多いのではないだろうか。
ちなみに、このささやかな連載のタイトルを、深く考えず「世界は、繊細な人ほど、おもしろい!」と名付けたとき、上記の光景が脳裏にあったことを、付け加えておく。
*次回は9月26日更新予定です。
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『明日も、アスペルガーで生きていく。』(ワニブックス)
著:国実マヤコ 監修:西脇俊二