【推し活とルッキズム】世間の美醜を問わず「狂おしい顔」が存在する
推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。
こんにちは。コラムニスト/ライターの山野萌絵です。連載第4回となる今回は「推し活とルッキズム」がテーマ。一緒にルッキズムについて考えてみよう!
▼過去の回はこちらから
第一回「【新連載】そもそも推し活という言葉に違和感がある件」
第二回「【令和の推し活ブーム】……推し活にも才能はいる」
ルッキズムは言葉が先行しているのか

「タレコミの黒糧」という概念がある。「whocares」というサイトに設置されていたパスワード付き掲示板のことで、背景の色が黒だから黒糧という身も蓋もない理由だ。
閉鎖してもう7年ほど経つが、古の世ではそこで若手俳優オタクが叩き合っていた。閉じた空間で独自の隠語が飛び交っていた。
例えば「カワユス」と言えば「推し」のこと。「もちゅ」は2ch用語で言う「乙」の変化形だ。語尾は「〜はよ」のように独自に変化させ、貧乏なオタクのことは「ケネナシ」=金無しの変化形で呼ぶ。ほかにも「モモロい」=おもろい、面白いの変化形だ。「ユダ」は裏切り者を指す。これは鍵アカウントの中身が流出した時などに使われる。
ここまでを前提として、本題に入りたいと思う。
「ヌサコニ」という隠語が存在した。「ヌサイクコニシキ」の略である。ヌサイクはブサイクの変化形、コニシキは小錦関には大変申し訳ないのだが体型が太っていること。つまり要するにデブでブスだと言っているわけである。
⚠️※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。⚠️
反対に「キャワ」は単純だ。これは「かわいい」が変化しただけ。
ここから浮かび上がってくる一つの仮説がある。オタクは人の容姿を褒める時よりも、貶す言葉のバリエーションをひねりがちなのである。
私がブログで2020年に行った「発表!オタクが勝手にマネージャー・スタッフにつけたあだ名選手権」というとんでもない選手権でもこの傾向は顕著だった。悪口を言う時の方が不思議となぜかいきいきとした面白さがオタクにはある。
はてなブログ「発表!オタクが勝手にマネージャー・スタッフにつけたあだ名選手権」
(20/05/02)
https://plus14.hateblo.jp/entry/2020/05/02/220519
なぜか? 人間の言語は一般的に、ネガティブな感情を表す語彙の方がポジティブな語彙より多い。これは「ネガティビティバイアス」と呼ばれており、危険を細かく区別する方が生存に有利だったから進化的にそうなったとされている。アメリカ・ペンシルベニア大学の心理学教授によって「20の自然言語」を調査したものが論文にもなっている。オタク特有の問題ではない。
Rozin, P., Berman, L., & Royzman, E. (2010). Biases in use of positive and negative words across twenty natural languages.(ポール・ロジン、ローレン・バーマン&エドワード・ロイズマン (2010). 20の自然言語における肯定語と否定語の使用における偏り)Cognition and Emotion, 24(3), 536–548.
(09/03/31)
https://doi.org/10.1080/02699930902793462
美醜という共通言語で盛り上がりたいらしい

オタクの場合はそこにさらに「内輪のコミュニケーション」が加わる。貶し言葉をひねるのは、悪意ではなく親密さの表現だ。隠語を共有すること自体が「仲間」の証明になる。そして貶す言葉の方が「笑い」に変換しやすい。「キャワ」では笑いが起きないが、「ヌサコニ」では笑いが起きる。
アメリカ・ノースカロライナ大学の言語学者は著書で「常に変化する内輪の語彙を共有し維持することは、集団の連帯を助け、メンバーの包摂と排除の機能を果たす。この点においてスラングはファッションの言語的対応物であり、ほぼ同じ目的を果たす」 と述べているのだ。
Damirjian, A. (2025). The social significance of slang.(ダミルジャン, A. (2025). スラングの社会的意義)Mind Language, 40(2), 138–156.
(24/10/31)
https://doi.org/10.1111/mila.12530
皮肉にもあの悪口は「笑いと親密さの生成装置」として機能していたということになる。
つまり、あなたがもし推し被りに「ブス」と言われた場合、実は「本当にブスなのかどうか」は関係なく、「あなたに対してブスと言うこと」が他の機能を持っている可能性がある、ということなのである。あんまり気にしなくてもいいのだ。
裏を返せば、タレントに対しても同じことが言えてしまう。
例えば、売れているのにその人を推している人間以外からは「ブスじゃね?」と思われている俳優がいるとしよう。仮に鰐川とする。ワニブックスだからね。
「鰐川はブス」は、俳優オタク内では悪口というより所属表明に近い機能を持っている場合がある。そして「鰐川はブスなのに売れている」という言説は、裏を返せば「顔じゃなく実力で売れている」という肯定を含んでいて、それを「ブス」という言葉で包むこと自体が内輪の文法だ。
さらに言えば「鰐川はブス」と言える人間は、鰐川の顔と、前提としてどのような仕事で売れているかを把握している程度には俳優に詳しいということの証明でもある。
しかし、こんなことを言われたとて気休めにしかならないという人もいるだろう。自分が狂うほど好きな顔は、世間的にはブスらしい……と。
世間の美醜より、自分の審美を果てまで追求すべし

今回私が提唱したい新概念は、「狂う顔」だ。
好きな顔、綺麗な顔、狂う顔は違う。それぞれがバラバラな機能を持っている。
まず好きな顔。自分の好みに合う。「タイプ」の問題だ。綺麗かどうかとは別軸であり、「綺麗じゃなくても好きな顔」はある。
次に綺麗な顔。客観的に見て造形が整っていることを指す。誰が見ても「整っている」と認識される。
問題の「狂う顔」というのは、見た瞬間に理性が吹っ飛ぶ。好き嫌いを超えて、人生を何もかも破壊される顔。綺麗でもなく、好みでもないのに狂う場合すらある。自分でも説明できないのが「狂う顔」の特徴だ。
アメリカの心理学者ドロシー・テノフは1979年の著作内で「リメレンス」という概念を提唱している。
cleveland clinic[Limerence: The Science of Obsessive Attraction](クリーブランド・クリニックによる記事「リメレンス:強迫的な魅力の科学」より)
(2025/11/12)
https://health.clevelandclinic.org/limerence
リメレンスの状態にある人間は、必ずしもその感情を望んでいるわけではない。相手が自分の「タイプ」ですらないこともある。しかし何かがその人を引き込み、強く反応を引き起こしている……ということなのだ。
つまり、私は奥目の顔に狂ってきたので、奥目リメレンスということになる。なるのか? なるのかもしれない。
「推しは見つけたくて見つけるものじゃない。ある日突然降りかかってくるものだ」という、よくある言説。推し活という言葉もない1979年に、これに近いことを提唱していたドロシー・テノフが未来の日本でこんなオタク女のコラムに引用されていることを知ったらどう思うのか……は謎だが、とにかく一応説明はつくのだ。
で、結局何が言いたいかと言うと、
好きなだけ好きな顔に狂えるうちに狂っておけ!
これに尽きる。筆者はその昔、若手俳優を地の果てまで追っかけていた。追っかけすぎてドイツまで行ってサインまでもらった。その果てに相手は国民的俳優になりオタクをやめたが、今でも後悔はしていない。
なぜか?
売れてから顔がコケ始めたからだ。
男性でも女性でも顔が変わってしまう日は来る。いつか来るのだ。特に消費対象が若い方。狂えるうちに狂ってください。
※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。
次回は「推し活とメンタルヘルス」のお話。お楽しみに!
illust./イラストAC
*次回の更新は6月24日(水)予定です。
山野萌絵(めりぴょん)
ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。
X(旧Twitter) @_a030
note https://note.com/13weekslaterep








