【推し活とメンタルヘルス】世界一幸せだった次の日に、世界一不幸になる
推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。
WANI BOOKOUTをご覧の皆様、こんにちは。ライターの山野萌絵です。
第五回のテーマは「推し活とメンタルヘルス」。しばしお付き合いください。
▼過去の回はこちらから
第一回「【新連載】そもそも推し活という言葉に違和感がある件」
第二回「【令和の推し活ブーム】……推し活にも才能はいる」
心が息切れしていたら読んでほしい

平成二十六年、当時高校二年生の私は、若手俳優のヒーローショーを毎週末朝から晩まで水道橋で観劇するという生活を送っていた。総イベント参加数は優に百五十回を超えていたと思われる。「新興宗教の修行」と要約しても差し支えなかろう。
その後、私はガチ恋を三年近く続け、その間に閉鎖病棟に入院したり自殺未遂を繰り返したりするなどして「病んでる人」へと立派に進化を遂げた。
十九歳の冬、私はベゲタミンA※とコントミンのオーバードーズで胃が完全にダメになっていて、閉鎖病棟のトイレで嘔吐しながら「自殺って遂行するの難しいな〜」と考えていたのだ……というのが、私の最初の本格的な「推し活」である。最初の推し活で閉鎖病棟というのもなかなかどうかと思うが、人生はそうそうきれいな順序で進んでくれない。
(※)ベゲタミンAは当時処方されていた鎮静作用の強い精神科薬で、現在は製造・販売を終了しています。
令和の世では「推し活」は心の健康に良い、生きがいを与えてくれる、辛い時に支えてくれる、と無邪気に語られる。
以前も引用したが、博報堂「オシノミクスレポート」※によると「『推し』は生きがいを与えてくれる」に同意する人が69.0%。「辛いとき・大変な時でも『推し』の存在が支えてくれる」に同意する人が66.9%。
では推し活は心に良いのか? 悪いのか? 今回はその二択の答えを探しに行きたい。
(※)「オシノミクスレポート」
(HAKUHODO HUMANOMICS JOURNAL#2
https://www.hakuhodo.co.jp/humanomics-studio/assets/pdf/OSHINOMICS_Report.pdf)。
私の結論を先に書いておくと、推し活は躁鬱の構造そのものをしている。良いも悪いもなく、推し活というシステムが躁鬱の波形でできていると考える。だからどっちの言説も部分的には正しくて、部分的には全然足りないのだと思っている。
推し活は心に悪いのか?

まずは「推し活で病んだ」側の話。
Celebrity Worship Syndrome(CWS、有名人崇拝症候群)という概念がある。
1980年代から研究が進んできた精神医学的概念で、有名人への過度な執着が抑うつ、不安、身体症状、社会機能低下と相関するという話だ。イギリスのマルトビーらによる一連の研究では、Celebrity Attitudes Scale(有名人態度尺度)を使って、強い「個人的・感情的な有名人崇拝」次元が、抑うつ、不安、ストレス、身体症状の高さと統計的に有意な関係を持つことが何度も確認されている。
出典:PMC Copyright Notice
Sansone RA, Sansone LA. “I’m Your Number One Fan”- A Clinical Look at Celebrity Worship. Innov Clin Neurosci. 2014 Jan;11(1-2):39-43. PMID: 24653942; PMCID: PMC3960781.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3960781/
CWSが現れやすい人の特徴として研究で挙がっているのが、不安型・回避型のアタッチメントスタイル、神経症傾向、低い自尊心、自他境界の弱さ、空想傾向、解離傾向、強迫的な買い物癖、現実の人間関係の質の低さ、依存性。この一覧を眺めていると、メン地下や若手俳優界隈で私が観測してきた人々の特性とそれぞれ部分的に一致する。
日本でもこの問題は地味に進行していて、銀座泰明クリニックなどでは「推し活依存症※」を診療カテゴリとして扱っている。注意したいのは、ここでも「推し活依存そのものの第一選択薬はない、本来の適応(ADHDやうつ)に沿って処方する」という立場が取られていることだ。
(※)銀座泰明クリニック「依存症(アルコール・ギャンブル・性など)」
https://www.ginzataimei.com/dependency/
平たく言うと「推し活で病んだように見える人は、もともと別の病を抱えていて、推し活によってそれが顕在化した可能性が高い」のである。「推し活が原因で病んだ」言説にはすでにここでズレが入る。
精神科医・熊代亨氏は『「推し」で心はみたされる?』(大和書房)で、推し活の危険性として①集団内対立、②キャラクタービジネスやインフルエンサーの養分にされること、③政治団体・カルト団体への動員を挙げている。ここはもう全くもってその通りだ。
問題は、熊代氏の処方箋が「身近な存在を推せるようになりなさい、社会性を身につけなさい」という、ものすごく真っ当な大人の助言なところであり、それができたらそもそも私は閉鎖病棟に入っていない。それができないのが、推し活当事者なのである。
推し活は心に良いのか?

次に「推し活で救われた」側の話。
パラソーシャル関係(parasocial relationship)という研究分野がある。1956年、Horton & Wohl が提唱した概念で、「メディア上の人物に対して一方的に築かれる関係性」を指す。つまり推しと自分との間にある、あの一方通行の関係のことである。近年の研究では、パラソーシャル関係が孤独感を緩和したり、自己肯定感を支えたり、メンタルヘルス問題のスティグマを減らしたりするポジティブな効果も報告されている。
ハーバード・ヘルスの記事でも、推し的な関係性は孤独を埋め、生活に喜びを供給することが認められている。
出典:Harvard Health Publishing®
Do parasocial relationships fill a loneliness gap? By Heidi Godman, Managing Director
(パラソーシャルな関係は孤独感を埋めてくれるのか? ハイディ ・ゴッドマン)
https://www.health.harvard.edu/blog/do-parasocial-relationships-fill-a-loneliness-gap-202409303074
ただし、同記事内で専門家がこう警告している。「パラソーシャル関係はフェイクフードのようなものだ。味はするが、栄養はない」。これ、めちゃくちゃ真っ当な比喩である。
我々は推し活で味の濃い刺激を毎日浴び続けているけど、栄養になっているかどうかは別問題、という警告なのである。
ドイツの心理学者シュタインらが2022年に発表した実験論文(Mass Communication and Society)では、参加者にリアルの友人関係について考えてもらった群と、パラソーシャル関係について考えてもらった群を比較したところ、気分はどちらも同程度に改善したが、孤独感はパラソーシャル関係では減らなかったと報告されている。
出典:Stein, Jan-Philipp & Liebers, Nicole & Faiss, Maria. (2022). Feeling Better…But Also Less Lonely? An Experimental Comparison of How Parasocial and Social Relationships Affect People’s Well-Being. Mass Communication and Society. 27. 10.1080/15205436.2022.2127369.
https://www.researchgate.net/publication/364140948
つまり推し活は、気分を上げる効果はある。しかし孤独そのものは埋めない。
「救われたように感じる」のと「実際に救われている」が違うのである。
これは結構重要な事実だと思うのだが、巷の「推し活でドーパミンが出るから幸せになる」言説の中で、このニュアンスはほぼ無視されている。
躁鬱を助長する、推し活の構造とは

さて、なぜ推し活は躁鬱の構造をしているのか。
私が思うに、ライブ、舞台、現場という「ハレ」の日と、日常という「ケ」の日の落差。これが躁鬱の波そのものなのである。
ハレの日にはドーパミン、オキシトシン、アドレナリンが脳内で同時に分泌される。現場で擬似恋愛・擬似家族・擬似祝祭を体験する。
しかしハレが終わると、神経伝達物質が一気に引いて谷が来る。これはコンサート後抑うつ(Post-Concert Depression)と呼ばれていて、パラソーシャル関連の研究文脈でも観測されている現象である。世界一不幸になるわけだ。
ここで推し活の罪深いところは、谷から上がる前に次のハレが計画的に提供されてくるところだ。次のライブ、次のチケット発売、次のグッズ、次のSNS更新。普通の恋愛だと、ハレと谷のサイクルは長期にゆるやかに均されていくのに、推し活では「次のハレ」が常に視界にあるから、谷から上がる時間がない。躁鬱の波が永久に維持される装置として、推し活は完璧に設計されている。
第二回の連載で書いた、博報堂「オシノミクスレポート」の「『推し』は生きがいを与えてくれる」69.0%、「辛いとき支えてくれる」66.9%。あのデータの裏側で起きているのは、自分の精神状態を推しに外注している状態である。推しが幸せだと自分が幸せ、推しが不調だと自分が不調。これは、ほぼ電源接続だ。
もともと躁鬱気質を持っている人間が、躁鬱の波形をした装置と出会うと、自分の波形を増幅できる場所として推し活を選ぶ。そして推し活はその波形を維持し続ける装置として、本人の躁鬱を増強する。本人もシステムも、お互いを必要としている、共依存の関係なのだ。
推しで病まないために…

というわけで、私の結論はこうなる。
推し活で病んだ人は、推し活のせいで病んだのではない。推し活が躁鬱の構造をしているから、もともと持っていた躁鬱気質が増幅されたのだ。これは推し活が原因の病ではなく、推し活が増幅装置として機能した結果である。
推し活で救われた人も、推し活のおかげで根本的に救われたわけではない。気分は確かに改善したけれど、それは推しに精神状態を外注した一時的な状態でしかない。フェイクフードに栄養はない。推しがいなくなった瞬間、谷が来る。
じゃあ推し活はやめた方がいいのか? というと、それは違うと私は思う。やめろと言って成立するのなら、世界はとっくに平和である。
推し活が躁鬱の構造を持っていることを自覚した上で乗りこなすしかない。「世界一幸せだった次の日に世界一不幸になる」のは、自分の弱さでも推しのせいでもなく、因果の仕様だ。仕様であることを知っていれば、谷の日に「これは因果による谷で、明日には次のハレが来る」と認識できる。因果に乗っ取られず、因果を予測し、使う側に回れる。
もちろんこれが言うほど簡単ではないことは、十九歳で閉鎖病棟にいた私が一番よく知っている。けれど、これを読んでくれた方が、推し活で振り回された時、自分の振れ幅を因果の仕様だと思い出せたら、見えている世界の捉え方が、まだマシになると思うのだ。
illust./イラストAC
*次回の更新は7月22日(水)予定です。
山野萌絵(めりぴょん)
ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。
X(旧Twitter) @_a030
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