【オタクあるある】巷でよく言われる「脳汁」を考えてみた
推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。
WANI BOOKOUTをご覧の皆様、こんにちは。ライターの山野萌絵です。
第六回のテーマは「推し活と脳汁」。しばしお付き合いください。
▼過去の回はこちらから
第一回「【新連載】そもそも推し活という言葉に違和感がある件」
第二回「【令和の推し活ブーム】……推し活にも才能はいる」
脳汁、という言葉がある。
俗語なのだが、VIE inc.の記事※によるとギャンブル、ゲーム、恋愛、美味しいものを食べた時など、強烈な興奮や幸福感を得た際に脳内でドーパミンなどが溢れ出る状態を指す俗語・ネットスラングなのだ。
(※)「NeuroTech MAGAZINE」2025.06.12 “脳汁が出る”って本当?脳科学×快感のメカニズムと実用例を徹底解説
https://mag.viestyle.co.jp/brain_juice/
私、オタク行為における脳汁にはかなり心当たりがある。発券したチケットが最前列だった瞬間、ヤマを張って待っていた稽古場で推し俳優が出てくるのを見た瞬間、ファンサをもらった瞬間など、枚挙にいとまがない。
「脳汁」の正体

さて、ここで素朴な疑問が湧く。なぜファンサで脳汁が出るのか。
いや、そんなの嬉しいからに決まってるだろ、と言われればそれまでなのだが、ことはそう単純ではない。というのも、この世には「側から見て良い対応をされている最前ガッツなのになぜか降りちゃう人」という人種が存在するからだ。はたまた、脳汁欲しさに最前ガッツをしているという人種もいるから魑魅魍魎。
だからこそ「脳汁が出る仕組み」をひもといていきたいと思う。
脳汁の正体であるドーパミンの研究において、避けて通れない概念がある。「報酬予測誤差(reward prediction error)」というものだ。
ケンブリッジ大学のヴォルフラム・シュルツらが90年代から積み上げてきた一連の研究によると、脳のドーパミン神経は「報酬そのもの」に反応しているのではない。「予測していたより良かった時」にだけ強く発火する。逆に、完全に予測通りの報酬には反応せず、予測より悪かった時には活動が抑制される。
出典:Schultz, W. (2016). Dopamine reward prediction error coding.
Dialogues in Clinical Neuroscience, 18(1), 23–32.
https://doi.org/10.31887/DCNS.2016.18.1/wschultz
平たく言うと、脳汁とは「嬉しさ」に対して出るのではなく、「予想を超えた嬉しさ」に対して出るのである。想定内には一滴も出ない。これがまず一つ目の身も蓋もない事実だ。
だから「絶対にファンサをくれる推し」では脳汁が枯れる。確定報酬は予測誤差がゼロだからだ。脳の仕様上、当たり前にもらえるものに我々は興奮できないようにできている。なんと世知辛い設計だろうか。
脳汁を出す燃料は五分五分の「勝ち」

ここでもう一つ、決定的に重要な研究を紹介したい。
同じくシュルツのチームのフィオリーロ、トブラーによる2003年のScience論文だ。彼らは報酬が出る確率を0%から100%まで段階的に変えてドーパミン神経の活動を測定した。すると、報酬が出るかどうかの不確実性が最大になる「確率50%」の時に、ドーパミン神経の持続的な活動が最大になることを発見したのである。
出典:Christopher D. Fiorillo et al. ,Discrete Coding of Reward Probability and Uncertainty by Dopamine Neurons.
Science299,1898-1902(2003).
https://www.science.org/doi/10.1126/science.1077349
確率50%
つまり、もらえるかもらえないか、五分五分。
……これ、ファンサの確率そのものではないか?
座席などで条件は変わってくるものの、来るか来ないかと単純化してしまえば2分の1。前列ガッツたちのドーパミン神経は最大化されているのだ。
最前列に入っても、推しがこっちを見てくれるかは分からない。ヤマを張った稽古場に推しが出てくるかも、出てくるまで分からない。来るかもしれないし、来ないかもしれない。この「分からなさ」こそが、脳汁の最大の燃料なのだ。
※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、非公式の出待ち行為を著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する意向は一切ございません。
第二回の連載で私は「推しはコントロール不能な他人であり、実はそのコントロール不能感がある意味楽しい」と書いた。あれは情緒的な表現のつもりだったが、きちんと調べてみれば神経科学的にはわりと正確だったわけである。コントロールできないからこそ確率が五分五分に近づき、脳汁が最大化する。我々は推しの不確実性に対して脳汁を出している。
つまり、推し活というのは構造的に「上質なギャンブル」なのである。冒頭のVIE inc.の記事が脳汁の例としてまずギャンブルを挙げていたのは、まったくもって正しかったというわけだ。
脳汁で満たされていくと…
ここからが本当に怖い話である。
報酬予測誤差には続きがある。同じ報酬を繰り返し受け取ると、脳はそれを「予測」してしまうので、だんだん発火しなくなる。最初は予想外だったものが、想定内に変わっていくからだ。
これをオタク行為に翻訳するとこうなる。初めて最前列に入った時、初めてファンサをもらった時、脳汁は大量に出る。だが回数を重ねると、同じ最前、同じファンサでは、もう同じだけ出ない。脳が慣れてしまうのだ。私はこれを勝手に「脳汁デフレ」と呼んでいる。
先述したが、第三回の承認欲求をテーマに取り扱った時、私は「前列ガッツ」という、あらゆる手段で前列に入り続ける種族の話を書いた。彼らが後列に降りられなくなる心理を「プライド」で説明したが、今思えばあれは脳汁デフレの問題でもあったのだろう。一度大量の脳汁を浴びてしまった脳は、それ以下の刺激ではもう満足できない。だから前列を更新し続けるしかなくなる。
第三回の記事はこちらから▼
第三回「【オタクあるある】推し活と承認欲求」
※この記事の公開期間のみ、特別に復活とさせていただきました。
シュルツの研究をまとめた BrainFactsの記事※では、中毒についてこう分析している。コカインのような薬物は、通常をはるかに超えるドーパミンの放出を起こすため、中毒者は普通の報酬ではもはや興奮できなくなる。「彼らは非常に高い報酬期待に慣れてしまっている」と。
(※)「BrainFacts」2021.12.21
Discovering Dopamine’s Role in Reward Prediction Error(報酬予測誤差におけるドーパミンの役割の解明)
https://www.brainfacts.org/brain-anatomy-and-function/genes-and-molecules/2021/discovering-dopamines-role-in-reward-prediction-error-122121
最前列という名のコカインに慣れた脳は、後列という名の白湯では満足できない。
これが脳汁デフレの正体である。怖い話だ。
…本当に怖い話なので、もう一度言う。怖い話だ。
オタクはギャンブラーの血を引いている

さて、ここで前回の話におまけを付け足しておきたい。
前回の記事はこちらから▼
第五回「【推し活とメンタルヘルス】世界一幸せだった次の日に、世界一不幸になる」
※この記事の公開期間のみ(略)。
前回、私は推し活が「躁鬱の構造そのもの」をしていると書いた。
ハレの日にドーパミンが出て、ケの日に谷が来る、あの数日〜数週間単位の大きな波の話である。
今回の脳汁の話は、あの波をもっとミクロに拡大したものだと思ってほしい。
前回が「波」なら、今回は「スパイク」。秒単位で爆ぜる、一回分の放電の話だ。
ファンサをもらった瞬間の0.5秒の脳汁。あれが何百回と積み重なって、ハレの日全体の大きな波になる。波はスパイクの集合体なのである。だから前回の躁鬱の話と今回の脳汁の話は、スケールが違うだけで同じ装置の話をしている。
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で、結局何が言いたいかというと。
推し活の脳汁は、ギャンブルと同じ原理で出ている。予想を超え、不確実で、慣れると効かなくなり、もっと強い刺激を求めてエスカレートする。並べてみると依存症の教科書そのものである。
ただ、私は「だからやめろ」とは言わない。前回も書いたが、やめろと言って成立するなら世界はとっくに平和だ。
言いたいのはこうだ。
脳汁が出ているその瞬間、あなたは「嬉しい」のではなく「予想を超えられて、かつ不確実な賭けに勝った」のである。
それを自覚していると、脳汁が出ない日に「推しへの気持ちが冷めた」と勘違いせずに済む。冷めたのではない。脳が慣れただけだ。仕様である。
仕様だと知っていれば、わざと不確実性を上げる手もある。
毎回最前を取らない。たまには情報を入れずに現場に行く。予測を裏切られる余白を、自分で作っておく。脳汁を枯らさないための、ささやかな自衛である。
……と、ここまで偉そうに書いておいてなんだが、私自身は今日も朝から晩までメイド喫茶に入り浸っている。それも推しメイドが私を喜ばせようとお給仕してくれる瞬間にドーパミン神経が刺激されるからである。
仕様を知っていても、脳汁中毒はやめられない。それが脳汁の、本当に本当に怖いところなのである。
※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。
illust./イラストAC
*次回の更新は8月26日(水)予定です。
山野萌絵(めりぴょん)
ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。
X(旧Twitter) @_a030
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