『家族最後の日』

『家族最後の日』


「お母さん、きょうの晩ごはんなに?」
「きょうはねぇ……」

夕方に近所の商店街を歩いているとき、すれ違った親子のほうから、そんな会話が聞こえてきたことがあります。「一回あった」わけではなく、同じような会話を聞いたことは何度かありました。

晩ごはんの話題は、家族にとって不可欠ですよね。

だからそういうタイミングに遭遇すると、知らない家族の日常に触れることができたような、ちょっとトクしたみたいな、暖かい気持ちになれるのです。

そうでなくとも、街に出ればどこかから聞こえてくる家族の会話には、とても心惹かれます。行き交う言葉は、僕の家族にはないものかもしれないし、そもそも価値観自体、うちとはまったく別かもしれない。けれど、そこから伝わってくる「家族の日常」に、どうしても関心を寄せてしまうのです。

もちろん、ほのぼのとして見えるだけで、現実的には「きょうの晩ごはんなに?」でくくれないほど深刻な問題が横たわっていたりする場合もあるはずです。しかし、そういうことも含めて家族。つまり家族とは、いいことも困ったことも共有する「小さな社会」だということ。

『家族最後の日』(植本一子:著/太田出版)の著者は写真家であり、日本を代表するラッパーとして知られるECDさん(以下、石田さん)の奥様です。僕はファンとして、自分なりに80年代から石田さんの活動に注目してきたのですが、奥様である著者のことを知ったのは、そこから20年近く経ったころでした。

 印南さん連載用text
kazokusaigonohi

2008年に石田さんと結婚した彼女は、2児の母として子育てに追われていたため、写真家としての活動ができなかったのだそうです。ご主人の石田さんも舞台設営の仕事をしながらラッパーとして活動していたようです。

そんななか、著者のことをおもしろいと感じたのは、その生活を、家計簿と日記で構成されるブログ「働けECD」で明かしてみせたから。そんなこと、なかなかできませんよね。でも、マイナスに見える部分も受け入れてしまおうというようなスタンスが、傍目にも心地よかったのです。

そして、なにより魅力的だったのは、家族との関係性です。どう考えても暮らし向きは楽ではなさそうのですが、そんななかでの家族との向き合い方が、とても自然に思えて。

ちなみにブログ自体の更新は止まっているようですが、「働けECD」は2011年に書籍化もされているので、機会があったらぜひ手にとってみてください。

さて、そんなことがあったものだから、以後も著者と石田さんの活動は気にしていました。が、だからこそ、著者が昨年発表した『かなわない』という作品には困惑させられもしました。

『働けECD』から感じられた穏やかさはそこに希薄で、育児に悩みながら子どもに当たる姿が生々しく描かれていたり、いつの間にか、石田さんとは別の「好きな人」という登場人物が現れたり、こちらが勝手に思い描いていた植本一子像が音を立てて崩れていくような気がしたからです。

だから、それ以来、著者に対する感じ方を整理できないままの状態が続いていたのですが、この『家族最後の日』を読んで、ずっとモヤモヤしていたものが晴れたような気がしました。

まず登場するのは、理解し合えない母親と絶縁に至るまでのプロセスを描いた「母の場合」、義弟(石田さんの弟)の自殺に触れた「義弟の場合」という二編。これらもとても心に響く内容なのですが、さらに大きな意味を持っているのが、本編と呼ぶべき「夫の場合」です。

というのもここには、がんにかかって闘病生活を送ることになった石田さんと著者、そしてふたりの小さな娘たちの姿が淡々と描かれているからです。

基本的には日記形式なので当然といえば当然なのですが、この“淡々と”という部分がとても重要だと感じました。もちろん、そんな著者の内部にいろんな意味での不安があることは明らか。しかし、必要以上に悲観的になったりせず、無理して元気そうに見せるでもなく、目の前に映ったことを静かに描写しているのです。

そして、そこには『かなわない』に感じたモヤモヤを払拭させてくれるなにかがありました。まず、読んでいる限り、娘たちとの関係は『かなわない』のときよりも穏やかに見えます。つまりそれは、誰しもが通るであろう子育ての葛藤を、彼女が乗り越えたということなのでしょう。「好きな人」の存在も、もうすっかり消えています。

つまり、推測の域を超えないとはいえ、前作からここまでの間に、著者がいろいろな意味で成長している。そんな気がします。ちなみに僕は、人間は死ぬまで成長するものだと考えているので、「成長している」という表現は決して上から目線的な意味ではありません。その成長が、とても心地よく映ったのです。

かといって、石田さんはまだ闘病中ですし、入院費などお金の問題が解決したわけでもないでしょうから、本書はハッピーエンドで終わるわけではありません。そういう意味では、「現実って、そういうものだよな」と思わせもするのですが、それでも読んでいると、なにか不思議な暖かさに包まれるのです。

おそらく、本書の描写のなかから、石田家4人の「家族の絆」の温度が伝わってくるからなのではないか。抽象的ではあるのですが、僕はそう感じました。「感動的に盛り上げよう」とか「悲しい気持ちを強調しよう」とか、そういう作為がないからこそ、虚飾のない文章が響いてくるともいえるでしょう。

それは、「なにも起こらない日常」の価値を実感させてくれることになります。実際には、いろいろなことが起こっているのですけれど、そんななかにも“家族が一緒にいられる以上は保つことができる平穏な状態”というものがある気がするのです。

だから今回は、そんな、何気ない描写のひとつを「神フレーズ」としてご紹介したいと思います。病室から窓の外を見る、石田さんと下の娘の姿を映し出した部分です。

下の娘がペラペラと石田さんに話しかけていると「えんちゃんはよくしゃべるようになったね」と言うので驚いた。私は全然気づかなかったのだが、下の娘も「それほいくえんのせんせいにもいわれた」と言う。
三人でしゃべるでもなく過ごしていると、石田さんが「あ、虹!」と窓の外を指す。まだ病院の外は雨が降っているけれど、渋谷の方向は晴れ間が見え、太い大きな虹が出ている。下の娘が「てんごくへのかいだんだよ!」といい、縁起でもないな、と思って笑った。

(94ページより)

 

石田さんが1日も早く回復することを、陰ながらお祈りしています。

 

 『家族最後の日』(植本一子:著)

 

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Written by innami atsushi
innami atsushi

印南 敦史(いんなみ・あつし)/作家・書評家・ライター 1962年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は、「ライフハッカー[日本版]」「マイナビニュース」 「ニューズウィーク日本版」「Suzie」など多くのメディアで連載。最新刊『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社刊)がベストセラー記録更新中。FMおだわら78.7Mhzで 毎週日曜日20:30~21:00(再放送:金曜22:30~23:00)、ラジオ番組「印南敦史のキキミミ図書館」のパーソナリティも。http://book-radio.net

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