
永遠にマクドナルドにいたかった #それでも女をやっていく
会社員、フリーライターであり、同人ユニット「劇団雌猫」として活動するひらりささんが、「女」について考えるこの連載。
今回は、女友達との思い出について綴っていただきました。
はじめてのペアリングは、女友達と買った。
彼女は苗字にちなんだ二音のあだ名で呼ばれていた。サトちゃんだとかタカちゃんだとか、適当な仮名をつけるか、せめて音を固定したアルファベットをふるべきだろうが、どうもしっくりこない。読みにくいかもしれないが、XXと表記する。
ペアリングと呼ぶのは、正確ではないのかもしれない。高校二年生のときに御茶ノ水駅前にあったshop inで、1200円のシルバーメッキのリングをおそろいで買っただけだ。薬指につけていたのはたしかだが、わたしは、左手にするか右手にするか相当真剣に悩んだと思う。結局、彼女が右手の薬指につけたのを見て、それに合わせたはずだ。
BLという趣味がつないだ関係
わたしとXXは同じ中高一貫女子校に入学し、同じクラスになったのをきっかけに仲良くなった。中学二年から部活も同じになった。わたしはバレー部に入ったが練習量と先輩のしごきに耐えられずに一年ともたず退部し、彼女が入っていた部に飛び入りしたのだ。
XXと一対一の関係がどのように築かれていったかの詳しい記憶はあまりない。わたしは当初、新しい部活よりも、別クラスの同級生に夢中になっていた。PhotoshopとIllustratorを使いこなし、フリルやレースたっぷりの少女のカラーイラストを描いていた“マダム”だ(イラストの繊細さと本人の性格から、こう呼ばれていた)。コミックマーケットに連れて行ってもらい、マダムがいる漫画研究会にも入部し、わたしもつたないカラーイラストや4コマ漫画を描いた。
(イメージ:写真AC)
役職につき真面目に勉強してきっちり部活動をしているほうのXXと、活動の内容にそこまで興味がなく掛け持ちしながらへらへらオタ活していたわたしは、だいぶかけ離れていた。
しかし共通項はあった。XXも腐女子だったのだ。マダムと少女漫画の影響でオタクぶりを深めていったわたしも、年齢を重ねると、学校内での同好の士が多いBLに傾倒していった。漫研には引き続き所属していたものの、マダムの猿真似のようなイラストを描くよりも、男同士のラブロマンスを渉猟し、たまに短いショートショートを書くほうに興味がうつっていった。部活の合間に、XXと「機動戦士ガンダム00」などのアニメのカップリングや、声優の話で盛り上がることが増えた。ふたりとも水城せとなの大ファンで、『窮鼠はチーズの夢を見る』シリーズのうち、当時単行本未収録で手に入らなくなっていた読切を、ヤフオクで一万円で落札し、割り勘したりもした。
通学に使っている電車は別方向だったけれど、ふたりとも総武線ユーザーではあった。わたしは当時東小金井に住んでいて、三鷹で総武線に乗り換えて市ヶ谷駅で降りるというルーティンをこなしていたわけだが、XXと特に親密になってからは、毎朝市ヶ谷駅を通り過ぎ、彼女の乗換え駅である2駅先の秋葉原駅まで足を伸ばすようになった。そこで彼女と合流し、一緒に登校するのだ。帰りはその逆で、秋葉原駅まで見送り、本来自分が乗るべき方向の電車に乗り直していた。まだPHSの時代だったうえ、カップル定額プランみたいなものに入る関係でもない。帰宅してから電話するというのは現実的でなく、通学時間をどれだけ引き延ばせるかが一大問題だった。行き帰りあわせて、部活の時間もあわせたら週に10時間は超えていたはずだと思う。大人になってから思うと、同じ相手と一対一で話すには十分すぎる長さなのだが、当時は、どんなに話しても話しても話し足りないとじれったかった。
30歳までお互い独身だったら本当に一緒に住もうね、と言ったのはわたしだ。XXは
「りさって片付け苦手じゃん。一緒に住むのはなあ」
と難色を示して見せてから、
「隣の部屋ならいいよ」
と笑った。
一度だけXXがわたしを怒ったことがあったのは覚えている。模試で同級生に全国順位を抜かれてしまったわたしが激しいメランコリーに陥り、今は何も面白いことを話せない、しばらく一緒に帰るのをやめようと言ったときだ。
「別にあなたが面白いことを話すから一緒にいるわけじゃないんだよ」
彼女がわたしの人格を尊重してくれたのと同じかたちで、わたしも彼女やわたし自身を尊重しようともう少し努力していたら、なにかが違っていただろうか、とは今でも思う。