【生きづらさを活かすヒント】「ひとり時間」がアナタを救う!

【生きづらさを活かすヒント】「ひとり時間」がアナタを救う!



HSPや発達障害、精神的ストレスなど――
ごく身近な“生きづらさ”を活かすためのヒント。
そして、繊細だからこそ見える、世界の美しさについて。
書籍や映画など、さまざまな知恵や芸術に学び、ご紹介しながら、
自閉スペクトラム症(ASD)当事者である編集/文筆家・国実マヤコが、つらつらと、つづります。


 

「ひとりがラク」「ひとりになりたい」アナタへ

前回、「他人に甘えることは悪いことではない」「ともに“甘え上手”になろう!」と拳を突き上げたわたしだが、一方で、自閉スペクトラム症(ASD)の特性のひとつでもある「周囲に合わせるのが苦手/疲れる=対人関係にまつわるストレス」を回避するためにも、「ひとりの時間」がないと、正直、キツい。これはたとえ、相手が家族であっても、だ。

たとえば、わたしによく似ていた、(強めのASDと推測される)父方の祖母は、生前、ひたすら自室にこもりきりで過ごしていたが、「寂しさを感じたことは一切ない」とキッパリ。地元の老人会も、興味のない会合は「持病が……」と嘘を言って休み、電話を置いたそばから、テレビを見て笑う元気な声が、部屋から漏れ聞こえたものだ。ひとりで絵を描き、本を読み、彼女は、明らかに孤独をエンジョイしていた。いや、孤独が寂しさをともなう意味合いであるならば、自分が孤独だという認識すらなかっただろう。

そんな祖母の子である父もまた、わたしが幼い頃から自室にこもっては、ひとり、飽きることなくゲームをしていたし――それにしても、羨ましさで指をくわえる小学生の我が子を差し置き、ドラクエやファイナルファンタジーの新作をプレイする父親が、ほかにいただろうか?――家に来客があっても、あくまで自分のペースで顔を出し、ひとしきり喋ると「じゃ」と言って、自室へと戻っていく。それはまるで、「周囲に合わせる」という概念自体を持ち合わせていないかのようだ。

そう、彼らほど自分のペースやルーティンを貫くことができたなら、そして「普通のおばあちゃん」「普通のお父さん」との乖離を、つまり、他者の目を気にすることがなければ、当人のストレス度は低い(周囲にいる人間は大変だけれども……と小声で付け足しておく)。なにより、彼ら自身が“困っていない”ので、祖母も父も(特性はあれど)発達“障害”ではない。これはあくまで私見だが、特性のあるなしに関わらず、本人が二次障害による不調、あるいは仕事や人間関係でのトラブル&ストレスといった“困り感”を抱えていなければ、わざわざ障害にする必要はないし、診断も要らない。それは、あくまで「個性」である。

ところが、だ。わたしは彼らほど開き直ることができない。相手にどう思われるかが人一倍気になるし、幼い頃から、周囲の期待に応えようと必死に頑張るタイプで、なんなら、大立ち回りを繰り広げて周囲の喝采を浴びることもしばしばだ。もはや、生まれ持っての性(さが)ともいえる、この、周囲を窺い他人に合わせる思考や行動は、一般的に「過剰適応」と呼ばれるが、「過剰」ということは“度を超えている”わけであり、いうまでもなく、当人のストレス度は高い。

加えて、女性に多い傾向として「フィーメール・カムフラージュ」と呼ばれるものがある。これは名称のとおり、過剰適応によって発達障害の特性を「カムフラージュ」する女性(フィーメール)が多いというもの。このことばを、はじめてNHK「あさイチ」のプロデューサーから聞いたとき、目から鱗のみならず、涙も落ちた。「ああ、わたしは“頑張って”適応していたのか、疲れて当然だったのか」と――!

これはぜひ、みなさんのお耳にも入れておきたいのだが、一般的に知られるASDの代表的な特性「空気が読めない」の一方で、不器用ながら「空気を読みすぎる」というのも、とくに女性に多いとされるASDの特性のひとつなのである。そのため“ちょっと変わった子”のまま、大人になるケースも多い。

もちろん、「カムフラージュして、人間関係、仕事や生活が成り立つなら、問題ないのでは?」と考える人もいるだろう。しかし、発達障害を抱える人間は、児童精神科医の吉川徹先生がおっしゃっていたように、特性上むずかしいとされる事柄が「まったくできない」わけではなく、「できるけれども(とても!)疲れる」というスペクトラムがあることを知っていただけたら、幸甚に存じます……。

 

わたしの心の隙間を埋めたのは「ヒロシです」

そう、「過剰適応」は、あくまで“無理をして周囲に合わせている”に過ぎない。そのストレスから、わたしのようにパニック障害などの二次障害を引き起こす可能性がきわめて高く、「カムフラージュ」していても、隠れた素顔は悲鳴をあげている。そんな日も、ある。

さて、この春、子どもが保育園を卒園し、小学生となった。ASDの特性をもつわたしにとって、生活上の「変化」は、想像以上に大きな負荷がかかる。なんとか踏ん張っていたものの、猛暑によって部屋のエアコンが相次いで故障した頃、エアコンと一緒に、わたしもストレスから心身が“故障”した。思いがけず、大きな病院での精密検査などが続きハラハラしたものの、幸いにも、身体はどうにかなりそうだ。ところが、心はまだである。

秋の気配もだいぶ濃くなってきた頃、そんなわたしの心の隙間を埋めてくれる男性が、突如、現れた。彼は、ふとアマプラで見かけた、ヒロシ。そう、かつて「ヒロシです」といった自虐ネタで一世を風靡し、現在はキャンパーとしてふたたびブレイク中の、あのヒロシだ。


ヒロシのぼっちキャンプ Season1 [DVD]
https://bs.tbs.co.jp/botticamp/

『ヒロシのぼっちキャンプ』(BS-TBS)は、言わずと知れた人気番組であり、ヒロシがソロキャンプをたのしむ様子が淡々と流される、いわゆる“癒し系”コンテンツ。これを、ある日、何気なく見はじめたわたしは、晴れやかな舞台を去り、人目を避け――コンテンツがヒットしたことで、皮肉にも、逆に衆目を集めているという現実はあるものの――至極の「ぼっち時間」を確立したヒロシの姿に、憧れにも似た、淡い想いを抱くようになった。しかし、これは恋ではない(笑)。おそらくヒロシに、どこか、自分を重ね合わせたのだろう。

穏やかに揺れる木漏れ日、翡翠のごとく輝く清流のせせらぎ、炎で薪のはぜる音、闇夜に浮かぶランタンの灯りに照らされたヒロシの横顔――。なにもかもが、涙をこぼすほどに美しかった。心が疲れていなかったら、たかだか画面越しの情景に、これほど心が動かされることもなかったろう。しかし、わたしは『ヒロシのぼっちキャンプ』を見ながら、「これ、タイタニックじゃないけど?」とつっこまれるほどに、嗚咽をあげたのだった。

では、わたしもヒロシのようにソロキャンプを始めるのか? 答えは「否」である。もちろん強い憧れはあるが、いまだ二次障害であるパニック障害とも仲がよく、ひとり山を分け入り一晩を過ごすような度胸はない……残念ッ! 

そこで、いまのわたしに可能な「ひとり時間=ぼっち時間」は、もっぱら寝る前の1〜2時間ほど。耳にイヤホン・ヘッドフォンを装着し、家族の声が漏れ聞こえないようにしてから、唯一ひとりになれる寝室で照明を落として、江戸川乱歩のことば「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」よろしく、趣味のラジオやポッドキャストを聴く。いやはや、ラジオはいい。暴力的なテレビと違い、ラジオはどんな人にもそっと寄り添う、貴重なエンタテインメントだ。ひとりであって、ひとりでない。そんな不思議な感覚を得ることができる。

こうして、わたしはようやく息を吹き返すのだ。夫は、これを「キミの自閉時間だね」と揶揄するが(笑)、このルーティンがないと「やっていられない」。ヒロシだって、キャンプをとりあげられたら、「やっていられない」だろう。

わたしが、自宅でひとりジメっとラジオを聴く、ささやかな「ひとり時間」は、はたしてこれから、ヒロシの「ぼっちキャンプ」のように、美しく、研ぎ澄まされたものに、昇華していくことがあるだろうか。いつか、そんな「ひとり時間」を創造していけたら。

ささやかな野望を胸に抱き、日々はつづく――。

追記

本稿を書き終えて、はじめて、ヒロシの人となりについてネットで検索してみた。すると、かつて彼も自死を考えるほどに辛い時期があった、とのこと。さらには、医師からパニック障害と診断を受けた、とも……。ヒロシに自分を重ね合わせた理由が、なんとなくわかったような気がする、今日この頃。やはり、わたしもソロキャンプをはじめるべきだろうか?

*次回は12月29日更新予定です。


Written by 国実マヤコ
国実マヤコ

東京生まれ。青山学院大学文学部史学科を卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスに。
書籍の編集、および執筆を手がける。著書に、『明日も、アスペルガーで生きていく。』(小社刊)がある。
NHK「あさイチ」女性の発達障害特集出演。公開講座「大人の生きづらさを知るセミナー」京都市男女共同参画センター主催@ウイングス京都にて講演会実施。ハフポストブログ寄稿。
Twitter:@kunizane

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