
【ペルー国境封鎖足止め日記】母の日はお墓参りで献杯
人生初の中南米一人旅の真っ最中に、新型コロナウイルスが蔓延。
国境は封鎖され、飛行機はキャンセルになり、異国の地でのロックダウン生活。
街中がパニック、一人心細く、早く帰国したいと願う毎日……になるかと思いきや、
彼女は「いっそのこと、ここに住もう!」と決め、ペルーで生活を始めた。
ペルーで暮らして、早3年。
現地からお届けする、予想外で刺激的な日々。
コロナ禍で曜日がわからなくなるほど単調な毎日を過ごしていたところ、友人から“母の日”のお誘いを受けた。友人の “母の日”のお祝いに参加するなんて初めての経験で、どういうことだろうと思いながら友人、友人のママ、友人の子ども2人と乗り合いタクシーに乗り込んだ。アンデス山脈の山間にある「聖なる谷」と呼ばれる道をグネグネ進み、車内ではジェットコースターに乗っているみたいに吹き飛ばされて、子どもたちは大はしゃぎ。
1時間程でCOYAいう小さな村に到着した。バス停でママの弟と、近くに住むおじいちゃん(ママのお父さん)に出迎えられた。近所の商店でビール瓶を数本購入し着いた先は、まさかの墓地だった。
△朝から晩までいくつもの仕事を掛け持ちして、一人で4人の子供を育てた友人のママ。赤い帽子がかわいい。
母の日はママのママ(友人のおばあちゃん)のお墓参りが定番らしい。墓地は公園かと思うほど緑があふれ、花も咲いていて全体的にカラフル。故人が好きだった物や造花、ダンシングフラワーのような太陽電池の玩具が飾られていたりもする。日本の墓地のようなじとっとした暗い感じが一切なく、来世への希望を感じるような明るい雰囲気だ。
ペルーはカトリックで、棺のまま埋葬するので、お墓は団地みたいな構造になっている。まずはお墓の周りを掃除して、ロウソクに火を付ける。そしてさっき買ったビール瓶を取り出し、お墓を囲んでみんなで乾杯し、ママのママに語りかけていた。1年に何度来るかわからないほどお墓参りをするらしく、日本と違うやり方に驚いたけど、真似したくなった。
そしてこの村でとうもろこし農家を営む、おじいちゃんの家に移動した。
博物館に展示されているような原始的な暮らしで、ガスが通ってないので温水は出ない。火をおこし、薪をくべて調理する。一人暮らしの現在、食事は近所に住む親戚がお世話をしてくれているそうだ。トイレが水洗なのは安心できた。
△台所にも電気はないが、窓から鋭い光が差し込んでいた。
TVがない代わりに、情報源を兼ねた娯楽は2台のラジオ。ずっと陽気な音楽が流れていた。
△友人の子どもたち。ラジオから流れてくる音楽に合わせて、ママと踊っていた。踊りの素養が違う。
ケチュア語だけを話すおじいちゃんは86歳で、私の父と同い年だと聞き、「私の父は広島出身で被爆者だよ」と説明しようとしたけど、通訳してくれる友人が言うには「おじいちゃんは勉強してないから、原爆を知らない」。世界の共通言語だと思っていた“Hirosima”を知らない人が居ることに驚いたけど、終始笑顔でビールをガブガブ飲んで楽しそうなおじいちゃんは、幸せそうだ。
△素敵な帽子が似合うおじいちゃん。ペルー人は帽子のセンスがいい。
歌が好きなおじいちゃんに「日本の歌を歌ってくれ」とお願いされ、カラオケは苦手だけど恥ずかしさを押し殺し、とっさの判断で「君が代」を歌った(笑)。歌い終わると皆から拍手して喜んでもらえて嬉しかったけど、もっと明るい歌を選べばよかったと思った。
カーネーションを贈っていただけの、今までの母の日を少し悔やんでしまうほど、ペルーの愛にあふれた家族の在り方を見せてもらえた。
今月のスペイン語
△ペルーには色とりどりのとうもろこしがある。日本にはないジャイアントコーンのChocloは、クスコ名物。
*次回は4月7日(金)更新予定です。
イラスト・写真/ミユキ