【ペルー日記】お別れは突然に

【ペルー日記】お別れは突然に


人生初の中南米一人旅の真っ最中に、新型コロナウイルスが蔓延。
国境は封鎖され、飛行機はキャンセルになり、異国の地でのロックダウン生活。
街中がパニック、一人心細く、早く帰国したいと願う毎日……になるかと思いきや、
彼女は「いっそのこと、ここに住もう!」と決め、ペルーで生活を始めた。

ペルーで暮らして、早4年。
現地からお届けする、予想外で刺激的な日々。


 

私が住んでいる家(というか小屋)は駐車場の一角にある。ある日、買い物に行こうと部屋を出ると、いつもは車が4~5台停まっている駐車場に、この日は1台ない。
買い物を終え戻ってくると、異様に気合いの入った駐車場の大掃除が行われていた。部屋でいつものように過ごすも、外がザワザワしている。すると大家さんから携帯にメッセージが入った。「母のニコラサが亡くなって、葬式があるので参加してください」。1938年生まれ、享年84歳。

ニコラサは上の階に住む大家さんと同居していたので、食事会の度に会う機会があった。これぞアンデスの女性というような三つ編みに、ふんわりしたスカートを履き、外出時は山高帽子を被る、とてもかわいらしい女性だ。時代と共にこういう装いをする人は減ってきており、民族衣装ファンとしてはニコラサに会う度に“本物だー!”とテンションがあがった。

ニコラサは小柄で、私の半分位の身長。食事はみんなと同じ食卓ではなく、小さな椅子に座って膝にお皿を置いて食べていた。だが、私には食べ切れないほどの量の食事を完食した後、食後酒で乾杯し、コカの葉を食べていたのには驚いた。これが元気の秘訣なのかなと思っていた。


△ニコラサと大家さんの若い時 / 大家さん誕生日会、右はニコラサの長男

葬儀会場は駐車場、つまり私の部屋の隣だった。喪服を持っていないので、全身真っ黒の服なら大丈夫かなと思い外に出てみると、親族以外は普段通りの格好。近所の人も大勢詰めかけており、温かくて甘い飲み物とケーキが振る舞われた。

私の母もコロナ禍前に他界していたので、あの悲しみを今みんなが抱えているのかと思うとやりきれない。牧師さんのような人がスピーチをしていて、放し飼いしている犬のマチルダがウロウロして邪魔になるので、早めに一緒に部屋に戻った。

翌日はお葬式で、朝から大きな鍋で仕込まれたチキンスープが振る舞われた。そして式という名の宴会は朝5時まで続いた。音楽も鳴っており、すぐ隣の部屋にいる私は耳栓をしてもほぼ眠れなかったけど、壁を隔ててニコラサの棺の近くにずっと居たので、故人を朝まで見守る“寝ずの番”が出来たのかも。最後に寂しい思いをさせなくて良かったのかもしれない。


△コカの葉を食べるニコラサ / ニコラサの長女と旦那さん

出棺は逝去から3日後の朝だった。男性陣が棺を抱えて外に出ると、待ち構えていた音楽隊が盛大に演奏を始める。音楽隊を引き連れた長い行列が墓地まで向かっていくのを見ていると、なんて素敵な見送りなのだろうと思う。悲しいだけじゃないお葬式だった。

椅子が足りなくなる程の弔問客とカラフルな花に囲まれて、ニコラサがどれだけ愛されていたか、最後に全部伝わってきた気がした。

それから1年が経ち、1周忌。朝から教会でミサが行われ、式の後には教会の外でAdoboというアンデスのスープが振る舞われた。豚肉のスープに唐辛子が丸ごと入っていて、とてもおいしい。
そして車で広々とした美しいセメタリー(墓地)に移動し、小さな宴会を開いて、知人のお墓参りもして、戻ってきてから長い宴会が始まった。ニコラサと出会って、たくさんの思い出ができたぶん、今は寂しい。

 

今月のスペイン語

*次回は6月7日(金)更新予定です。

写真提供/Sergio Alvarez
イラスト・写真/ミユキ


Written by ミユキ
ミユキ

旅するグラフィックデザイナー、イラストレーター
広島出身、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒、在学中よりフリーランスとして広告、ロゴ、エディトリアルデザインなどを手掛ける。
ロンドンに2年間の語学留学、オランダ・セントヨースト・マスターグラフィック卒業後、個人事業主ビザを取得しアムステルダムに12年居住。
ヨーロッパ全域を含む訪れた国は50カ国以上、旅先では美術と食を軸に、ダイビングや運転もする。
主な作品:ギリシャ・クレタ島の大壁画、ハイネケン Open Your World、モンスターズインク・コラボイラスト、豊島復興デザイン等、15年前からのリモートワークで、世界のあらゆる場所で制作。
HP:http://miyuki-okada.com
X(旧Twitter):@curucuruinc
Instagram:@curucuruinc

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