はじめての「名古屋ウェルビー」
東京出張を終えて、京都へ帰る。
このとき新幹線で名古屋で降り、もう一泊してから帰ることがある。
フリーランスに許された特権……悪魔的発想!!
旅情に後ろ髪惹かれて、もう少し楽しみたいとき、たまにこういうことをしてしまう。
もうすでに充分楽しんだはずなのに、もうちょっとだけ欲しい。家に帰るのは明日でいい。
そしてなんといっても名古屋には「サ道」の聖地ウェルビーがあることを知ってしまったのだ。「サ道」の中でウェルビーは日本のベストサウナと紹介されている。サ道をはじめてまだ一ヶ月も経っていない。聖地巡礼は意外に早く訪れた。
今回選んだのは、名古屋駅に近い店舗。しかし……このどうでもいいビルの佇まい。
知らなければ完全スルーする自信がある。
受付をし、早速館内を探索。まず一瞥してわかったのは、館内のみなさんがとんでもなくダラダラしているということ。
フリースペースには人をダメにするクッションが置いてあったり。
漫画も読み放題。
タナカカツキさんリスペクトも半端ない。お客さん増えたんでしょうね。
ウェルビーはこの時代において、なんと男性しか入れない。そしてここに一歩足を踏み入れれば、秩序は外界と反転する。外ではしゃかりきに働いたほうが偉いかもしれないが、ここでは限りなくダラダラしたものが王なのだ。猛き獅子たちは、ここで英気を養う。寝転がれ!! 立ったり座ったりすることすら、もはやここでは無作法なのだ。
ダラダラを推進する仕組みもすごい。異性の目もないので、館内着の胸をはだけたり、いびきをかいて寝たりして、みんな縦横無尽だ。
ロッカーのカギは、リストバンドと一体になっている。これについているバーコードを読み込ませれば、自動販売機でもお金を使わずに済む。小さな居酒屋も併設されているのだが、男同士4人でビールを飲み盛り上がっている。もちろん会計もバーコードを読み込ませるだけ。服も現金も、浮世のすべては入り口のコインロッカーに預ければよい。裸一貫のミニマリズムだ。
俺はウェルビーにいながら、市川由衣さんの「origne」の撮影で訪れたモルディブを思い出していた。
もう時効だと思うから言うが、昼間は太陽が高いという理由で撮影はしなかった(太陽が高いと女性は美しく撮りづらいのだけど、それでも昨今の撮影事情ではありえない)。
昼間はカフェからそのまま海に飛び込み、シュノーケリング。カフェの軒先には、海上にハンモックのようにネットが吊り下げられているので、海から上がるとそこに寝転ぶ。
ピニャ・コラーダで喉を潤しながら身体を乾かす。部屋番号を伝えるだけで、もちろん会計は後でまとめてでよい。モルディブは島のひとつひとつがホテルになっているので、食い逃げなどしようともできないのだ。
これから結婚を考えてる方は、フォーマット通りの結婚式をするお金を使って、2人だけでモルディブで結婚式あげたほうが一生の思い出ができると思いますよ!!
と、どうでもいいビルのフロアでまさかのモルディブを思い出すほど、ウェルビーのダラダラシステムは徹底していた。モルディブと同レベルで、獅子たちがこの上なくダラダラするために練りに練り上げられたシステム、という感じ。
そしていよいよサウナへ。
ウェルビー「森のサウナ」がベストサウナと呼ばれる所以は
・テレビがなく薄暗い
・水風呂の温度が低い
・天井が高すぎず、げんこつ1~2個分空いている
・ヴィヒタ(白樺の葉を束ねたもの)がある
というところにあるらしい。
サウナに入ると、ヴィヒタの森の香りが鼻腔をくすぐる。
温度を見ると75度でそれほど高くなく、じっくり身体を暖められる。
サウナハット、というものがあるのもはじめて知った。
サウナに入ると熱気で頭がボーッとしたり、特に耳が熱くなったりしてしまうのだが、帽子をかぶることでそれを防ぎ、その分長くサウナの中にいられるというわけだ。
サイクルをまわすたびに徐々に頭は痺れてくる。
そして3サイクル目、水風呂に入ると……
脳はぶにょぶにょした細胞だと思うが、熱で茹でられ、水風呂で冷まされして、固体に置き換わってしまったのではないかという感覚。少なくとも自分が知っているいつもの脳の働きは麻痺している。
映画のTHXのサウンドテストが頭の中で鳴り響く。
全身の細胞にそれぞれ極細の糸がつけられて、15cmほど持ち上げられる浮遊感覚。
風呂場の水が落ちる音やただの雑音が尊いもののように思えてくる。いつもは冷水シャワーなのでここまでキマることはない。やはり水風呂がなくてはならないものなのか。
なんだこの体験!!
はっきり言って、ウェルビーの施設はキレイというわけでもないし、いるのもマナが-いいお客さんではなく、どちらかというとうらぶれたおっさんだ。こんな効果があると知らなければ完全スルーに違いない。
しかし……サウナと冷水浴を繰り返すと訪れる恍惚感。何らかのバグのように思えてしまって仕方がない。サウナはさまざまなテストプレイをするうちに、見つかった神様の設計ミスではないのか?
チートすぎて本当に心配になる。サウナに入ったり、水風呂に入ると動悸がすごいが、これクラピカのエンペラータイムのように、寿命縮めてない? 大丈夫? という風に思ってしまう。しかしある研究ではサウナに入るひとほど高血圧になりにくく、認知症を防ぐとも……。
フィンランドは人口が500万に対して、サウナが200万~300万あるとも言われている。香川のうどん屋かよ。北欧は幸福度が高いことで知られているが、最近それサウナのせいなんじゃ、と疑うほどだ。
サウナを出ると、他のおっさんたちがそうしているようにソファに寝っ転がって思い切りダラダラしてみる。漫画の「範馬刃牙」を読む。主人公や登場人物たちがものすごい汗かいて特訓して、闘っている様子を思いっきりダラダラしながら読む。
きっちりした習慣とは正反対のような状態だが、たまにめいいっぱいダラダラするこういう機会も必要なのだろう。
そして翌日、また「ととのう」ことを求めて前日ときっちり同じことをしたのだが、全然ととのわなかった。
それもそのはずととのうためには、まずととのっていない状態が必要なのだそうだ。そして「ととのう」体験が慢性化すると、「ととのう」実感も薄れてくるらしい。
残念なようだが、これは安心させてくれた。こんなにも威力のあるサウナがいつも効果てきめんなら、人生にはこれさえあればよい。最後にこのラオウの横におればよい! という話になってしまう。他のことで一生懸命になって疲れがたまったり、心が乱れたりするからこそサウナがありがたく感じられる。
「ぼくたちは習慣で、できている。」で書いたこととも同じだ。毎日が日曜日の状態は嬉しくもなんともない。ストレスもなく、疲れてもないのに入る温泉やサウナは、ぜんぜん嬉しくもなんともない。
モルディブでは、長く働いている日本人スタッフの方と話をしたが、さすがに毎日いると飽きている様子だった。楽園にとどまり続けることもまた、楽園ではないのだ。