はじめての「サ道」
「サ道」というのは、漫画家のタナカカツキさんが書かれた、サウナの素晴らしさを伝えるエッセイと、漫画化された作品のことである。ぼくはこの作品のことをphaさんの「ひきこもらない」というエッセイ経由で知った。
タナカカツキさんも、phaさんも、そしてお2人経由で知ったぼくも、サウナに対して持っていたイメージはほぼ同じようなものだ。タナカカツキさんの作品では、サウナを楽しむおじさんたちの様子を「メタボゾンビの墓場」と描かれているが、ぼくもそんなもんだと思っていた。
「運動はするつもりがないだらしがないおっさんが、汗だけはかきたいから入るところでしょ」と。熱いところにしばらくいて、その後冷たいシャワーを浴びたり、水風呂に入ったりして、刺激の落差を楽しむだけでしょ、と。ぼくはサウナというものをただのちょっとしたやせ我慢大会のようなものだと思っていた。
お2人の著作を読むと、どうやらそういうものではないらしいのだ。
phaさんはサウナの後の感覚をこう書かれている。
「全身が重いのだけど、重いのと同時に身体がふわふわと浮かんでいるようにも感じる。不思議な感覚だ。脳が炭酸に浸されたかのようにフツフツと沸き立って、意識が延々とどこかに浮かび続けていくようだ。視界がすごくくっきりと鮮明になり、壁のタイルの模様がゆらゆらとゆらめいているようにも見える」
タナカカツキさんは
「じーんと身体がしびれてきて ディープリラックスの状態がやってくる 血液が身体中を駆け巡り脳に酸素がゆきわたる やがて多幸感 サウナトランス」
「なんやこれーーーーーー! ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ オッサンらはこんな気持ちええことしてたんかあー!」
そのサウナ後の感覚を「ととのったー!!」と表現している。
なにこれ、サウナってこういうものだったの? 自分のイメージとは全然違う。今まで温泉施設やジムにサウナがあっても「ただの余計な施設」ぐらいに思っていた。試しに入ることがあっても、熱気にウッとなりそのたびにすぐ出てきてしまう。しかし、サウナを経た後にそんな恍惚感が待っているとは……これは自分もぜひとも経験してみたい。
さっそくサウナとカプセルホテルが併設されている「℃(ドシー)」というところに泊まってみて体験してみる。
本場フィンランド式のサウナは、用語もかっこいいのだ。
●ロウリュ=ストーブにアロマ水をかけ、発生した水蒸気のこと
●熱波師=その水蒸気をタオルで仰ぎ、体感温度をあげるサービスをする人
●ヴィヒタ=白樺の枝葉を束ねたもの。サウナ内で、身体を叩いて血行促進する。
自分の知らない用語がぞくぞく出てくると、カルチャー感があって見る目も変わる。
そもそもサウナとは、
サウナ→水風呂(冷水シャワー)→休憩
という工程がかかせないものであるらしい。
そしてこの工程を複数サイクル回していく必要がある。
さらに各工程の時間は「5:1:5」で考えるとよいらしい。
たとえばサウナ5分とすると→水風呂1分→休憩5分。
ちゃんとサウナを楽しむためには、こんなサイクルを繰り返す必要があったのだ。
ぜんぜんまったく知らなかった。サウナがある施設には何回も行ったことがあるはずだがこういう方法を記載した「サウナの楽しみ方」というような看板も見たことがない。
ぼくが行った「℃」。こちらのカプセルホテルは、おそらく「サ道」後のサウナムーブメントを受けてデザインされている。リノベはおしゃれだし、サウナをはっきり目玉として打ち出している。そのせいもあって、ロウリュの説明や、サウナの楽しみ方が壁に記載されている。もちろん「その後にサウナトランスが来ますよ」「ととのいますよ」などとは書かれていないのだが……。
チェックインしてすぐに、いてもたってもいられず、サウナ室へ。こじんまりとしているが、アロマ水がはいった桶があり、セルフ「ロウリュ」ができる仕組みだ。
「ふーん、なかなかいいじゃない」
にわか知識で武装したぼくはサウナを評論しつつ、サウナ室へ入った。温度は98度ぐらいだっただろうか。むわっとした熱気、「この後に、サウナトランスがあるかもしれない」と期待しなければ、入ってすぐに踵を返し出ていったように思う。
サウナは「教会に入るつもりで」という名言がある。ぼくもその言葉に従い、ただ座り、いつもしている瞑想をしてみる。しかし呼吸に集中しようとしても、熱気は鼻から取り入れても熱いし、口呼吸でも熱い。どうしろというのか。サウナに入る度に「ささみとか置いといたら、蒸されて白くなりそう。自分の筋肉はそうならんの? 大丈夫?」と思ってしまう。なんとか5分我慢し、冷水シャワーへ。
今までサウナへ入ったことはあっても、水風呂に入ったことはなかった。足首だけ入れて、「自分には関係がないものだな」と冷たさに諦めていた。今日はそうはいかない。
この施設は、水風呂はないが冷水シャワーの温度が30度、25度、20度など、細かく分かれている。サウナに慣れてくると、その後の水が冷たいほど「ととのう」らしい。
まずは25度の冷水シャワーに。シャワーというよりも頭上の蛇口から、1本の水が落ちてくる仕組み。25度といえばぬるそうだが、初心者にはとっても冷たい。
「あ、あふっ、あふん」と変な声が出そうになる。心臓がキュッと引き締まっている感覚もわかる。はっきり言ってここまでは苦行だ。この先に楽しみがあると知らなければければ、すぐやめてしまう自信がある。
そして休憩。2回めのサウナへ。冷水と休憩で冷えきった身体には、サウナの暖かさにふれることがありがたいのだとわかった。最初はとくに熱いとも感じず、身体が徐々に暖まってくる。そしてまた冷水シャワーへ、「うふっ、うふっふ」と変な声が出そうになるのは同じだが、さきほどよりも耐えられる。少し慣れたのだ。
3回めのサウナ。変化は少しずつ現れている。まずサウナというのは、やはり瞑想と近いと思った。熱さのあまりいろいろな考えがシャットダウンされ「熱い」としか思わなくなってくるのだ。そして、皮膚感覚に集中していく。一粒の汗が額からまぶたの隣を通りすぎ、顎から落ちて太ももに当たる。そんなことにすら集中できるようになっていく。
そして冷水シャワーは、もはや滝行のような様相を呈している。頭頂部に落ちた水が、大胸筋や、広背筋を伝って流れ落ちていく。冷たさと皮膚感覚への集中はすでに「聖性」のようなものを纏い始めている。
3サイクルがおすすめと書かれていたが念の為、4サイクルまわしていざカプセルホテルのベッドに潜り込む。
まあ、最初だし、水風呂でもないしと思っていたが、じわじわとそれは「来た」。
熱波と、冷水にさらされた身体は感覚が狂い、手足がなくなったように感じる。
そして……カプセルの外で歩いている他の客の靴が、床を歩く音、建物の外を走る車のタイヤがアスファルトとこすれる音がスローに、明確に聞こえてくる。明確に聞こえているのだが、不快ではない。すべての出来事が起こっては、次の過程へと移っていく、ただの日常の光景が尊いものに思えてくる。
非常階段に出て、外を眺めてみた。カバンを持ったサラリーマンのおじさんが横断歩道を歩いている。右足を踏み出し、次は左足だ。おじさんはどこかからやってきて、次の目的地へと向かう。行為が生まれては消え、消えては生まれる。明滅するだけの行為のなんと美しいことか……。この状態がもしかしたら「涅槃」ではないのか。
もう一度ベッドに寝転ぶ。脳の一部が痺れたように、ネガティブなことが考えられない。いつもなら不安に思うようなことも、起こりようがない、という感覚。口元はゆるみ仏頂面のぼくの口角は上がって「ぐふ、ぐふふ」という感じになっている。
なんだこれ! 佐々木くん、岬くんからのセンタリングをそのままボレーで叩き込む!!
いきなりガンギマリだーーーーーー!!!!!!!
サウナをこの方法で楽しむ人は、大抵その効果に驚き、合法ドラッグだという人が多い。ぼくも「よくこんなものが許されているな」と思ってしまった。
以前、これはやばいという仕事の状況の時にうつ病の薬を飲んでみたことがあるのだが、やばい状況にもかかわらず「ぐふ、ぐふふ」となった。その時の感覚×マッサージ後に疲れが取れた感覚×運動の陶酔感をかけ合わせたような感じ。エンドルフィンや、セロトニンがダダ漏れになっているのではないか?(詳しい方いたら教えてください)
100度近い温度と冷たい水を行き来することは、自然界ではありえない状況だ。そんな状態で身体が馬鹿になってしまうのか? 危機感を感じた脳が、身体や脳を麻痺させる物質を出しているのだろうか? あまりに効果があるために「サウナの本当の楽しみ方」がひた隠しにされてきたのでは?と疑ってしまう。
その後も、ほかの施設のサウナや、ジムに併設されているサウナを利用してみた。最初ほどのガンギマリ状態は訪れていないが、いつも陶酔感があり心地よい。サウナ後プールの椅子で寝転んで休憩をしていたときは、プールではしゃぐ子どもたちの声が、天使たちの声に聞こえた。
何度か試してみたが、ここまで効果があると怖い気持ちもある。タナカカツキさんも
「サウナは副作用のないドラッグだという人がいるが サウナには強烈な依存という副作用があると思う」
と言っている。
漫画「サ道」には最近「ととのい方」が弱まったと悩む人も出てくる。
「昔は宇宙まで意識トバされたもんやけど めっきりと最近は全人類に感謝しておわり」
耐性ができるのか、それもまたドラッグっぽい。全人類に感謝している自点で、かなりキマっていると思うのだが……。
それでも落ち込んでしまうことがあったり、鬱のような症状がでてきている人にはサウナは効果的なんじゃないかと思う。
Phaさんも落ち込んでいた頃
「サウナだけがこの世で唯一楽しいこと」
だったと書かれている。
「サウナに通っているうちに精神状態や健康状態もよくなって、今はサウナを知る前に比べてだいぶ元気になったように思う」
とも。
これからも研究が必要だが、ぼく自体もあまり頻繁に利用せず、サウナに頼りきらず、ここぞという時に使用したいと思う。
しかし、こんな風に「どうでもいいもの」「どちらかと言えば批判的なもの」が正反対の評価に変わる経験というのはなかなかお目にかかれないのではないだろうか。「サウナ」という3文字が、今はまったく違って見える。
至高のサウナは、名古屋にある「ウェルビー」なるカプセルホテルであるそうだ。名古屋城も見たし、ひつまぶしも食べたし、名古屋はしばらくいいかなぁと思っていたのだが、そうなると話は違ってくる。いつかウェルビーを目指して旅をしてしまう気がする。いずれは聖地を訪れねば。
漫画「サ道」の巻末には、全国の「ととのいすぎちゃう」おすすめのサウナが50軒リストになっている。
RPGでは特別な宝物を得たり、特定の条件を満たすと、砂漠に城が現れたり、海底の城が水上に姿を表したりするが、それと同じようなものだ。全国の50軒のサウナが突如「ゴゴゴゴゴ……!!」という音とともに突然、ぼくが生きている現実に屹立したのだ。