「はじめてのカンヅメ執筆」

「はじめてのカンヅメ執筆」


六本木に着いたのは夜だった。ハーフらしき目鼻立ちのはっきりした美女、金髪ショートカットのサブカル美少女など何人もの見目麗しい女性に目が行く。六本木から西麻布まで歩く短い距離で、簡単に恋に落ちることができそうだ。しかし東京のように人がいすぎると「どの恋に落ちるべきか」問題が起こってしまうんじゃないかと思う。

 

 

すっかり忘れていたが確かにこういう街だった。以前東京に住んでいた頃はアクセスが便利だったので、六本木ヒルズの映画館で夜に映画をよく見ていた。デート中の美男美女に脇を固められながら、1人リュックを抱え込んで映画を見つめる。よくできてたな!

 

今回東京に来たのは「ぼくたちは習慣で、できている。」の校了作業のため。本を作るときには色校といってテスト的に刷ったもので、表紙の色や特殊な印刷の質感を確認する作業がある。校正の方に原稿(ゲラ)を読んでもらって出てきた赤字や疑問点を原稿に反映する作業もある。京都に住んでいるので、それをやり取りするよりも来たほうが早かろうと思い東京にやってきたのだ。

 

目頭を指で押さえたあと、ぐっと伸びをする。確認したゲラをトントンと机に叩いてまとめながら、ぼくは言う。

 

「ふー、八代君(担当編集者の名前)。ようやくこの本の作業も終わりだね。さすがにちょっと疲れたな……じゃあ、後は任せたよ!」

 

リュックを背負いながら八代君にウインクし、颯爽と編集部を後にするぼく。

 

こんなスマートなのを想像してたけど、全然まったく違ったよね!

もう、ぐちゃぐちゃだったよね!

 

 

宿泊先の西麻布の交差点に面したホテルは、簡単に言えば少しいいカプセルホテル。到着してから気づいたのだが、ぼくが以前働いていた『STUDIO VOICE』という雑誌の編集部があったビルが、一棟まるまるホテルに改装されていたのだった。

 

飛行機の機内をモチーフにしたホテルで、原稿の確認ができるように部屋に簡易的な机があるタイプを選んでいた。後から考えると、ナイスチョイスだった。確認どころではなく、原稿自体がぜんっぜん間に合わなかったからである。本の中で、人は何かを実行する時、想定した目標の1,5倍を費やすということを書いている。書きながら「自分の原稿は1,5倍どころやないな! 節子!」と耳を痛くしていた。

 

「カンヅメ」というのは、締め切り間際になってホテルにこもったり、出版社の一室に軟禁されて滞在して、原稿を書く作業のことである。カンヅメの場所として有名なのは、出版社がたくさんある神保町に近い「山の上ホテル」だ。しかし文豪に愛された山の上ホテル、むっちゃ豪華やな……。

 

カンヅメなんてするつもりはさらさらなかったのだが、強制的にカンヅメに突入することになってしまった。ホテルに延泊をお願いする。文豪でないぼくは、カプセルホテルでカンヅメをするのだ。

 

Processed with Rookie Cam

 

ホテルはありがたいことに24時間使えるロビーと机があり、そこでひたすら書いていた。共用の大浴場があったのもありがたかった。朝起きるとお風呂に入り、ロビーで原稿を書き始める。朝食は6:30スタート。スープにパンが食べ放題。それを食べてコーヒーを飲みながらまた書く。

 

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お昼ご飯は近くで発酵食品を扱っているお店で固定。毎日、野菜丼とぬか漬けを食べた。数日間でも、ルーチンを作っていく。習慣を形作り、悩まなくていいようにしていく。

 

 

夜ご飯は仕方がなくコンビニ。ゴミを捨てるのが嫌なので辛かった。

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もうカンヅメはするまい。こういう「罰則」も次へ活かせるのだ。

 

服装はずっとホテルで支給される半袖、ハーフパンツの真っ黒なパジャマとビーサンのままである。東京でも有数の意識高い街をハーフパンツのパジャマで徘徊した。みんながおしゃれをキメているところに、1人だけ落ち武者が紛れ込んでしまった感じ。しかしそれどころではないので、もはや何も気にならない。

 

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カプセルホテルというぐらいだから、ただ寝れればいいという目的で使う人が多い。利用者も出張や観光目的の人で昼間はみんな出かける。ぼくだけが同じ服装でずっとホテルにいる。誰より早くロビーの机を陣取り、昼も夜いるぼくを見て、

 

「あの人、最近取り付いた地縛霊かな?」

 

とホテルの方も思われたに違いない。

 

このホテルはそういう風に使うところじゃねぇ……

 

と思った方もいたかもしれないが、スタッフの方はみな愛想よくしてくれた。というよりも哀れんでいてくれたのかもしれない。ロビーではいつも同じようなジャズが流れていたので、終わってからも頭の中でしばらく曲が鳴り続けていた。ぷよぷよなどパズルゲームをやりすぎると目をつぶっても光景が浮かんでくるアレだ!

 

大切なのはこんな状態でもいつもの習慣を続けることだった。「いやぁ、締め切り間際だとさすがに習慣の継続は無理でしたねぇ(笑)」などとあとがきに書きたくない。アンタ笑ってる場合じゃないよ!

 

早起きし、空いているお風呂場でヨガをし、日記も書く。普段はゆったりしているので、毎日忙しい方の状況を追体験できたのもよかった。忙しくてコンビニ飯になっている人の気分も久々に味わうことができた。それらはすべて原稿にリアルタイムで反映されていく。「すべてはベストタイミング」そうい言い聞かせながら書き続ける。

 

 

そうまでしても、具体的には言えないぐらいのおぞましい進行になってしまった。あとがきにも書いたのだが「原稿を書く」というのは本当に最後に身についた習慣だった。基本的に原稿を書くというのは苦しい作業だ。アイデアが生まれたり、発見の喜びがあると興奮して嬉しいのだが、基本的にうまくいくことの方が少ない。

 

習慣に必要なのは「報酬」を感じられることだ。ぼくが走ることが好きなのは、走りさえすれば確実に気分が変わったり、気持ちよくなるという報酬を得られるから。

 

書くことはそうではない。それは負ける確率の方が極めて高いギャンブルのようなものだと思う。やったからといって必ず報酬が得られるものではない。毎日図書館に通って書いていたのだが、帰りはパチンコで負けが込んだ人のようにトボトボと背中を丸くして帰ることがほとんどだった。

 

最後の4章を書き上げた時、ふっと荷が下りるのがわかった。習慣の神様が遠くへ飛んでいってしまったようにも感じた。担当の八代さんからも、憑き物が取れたように見えたらしい。2年間いつも心のどこかにあり続け、抱えていたものが終わったのだ。

 

書き終えてホテルでお風呂に入っていると、お風呂から見える六本木ヒルズや東京タワーなど、見慣れてどうでもいい風景がきらきらと輝いて見えてくる。本当に久しぶりに「くつろぐ」という感覚を感じた。一方で自分がいきなり「面白くなくなる」のも感じた。締め切り前は脳が活性化し、原稿以外のアイデアもたくさん浮かんでいたからだ。悩みがなければ、人は面白くなくなるのかもしれない。

 

さて書き終わったのはいいものの、問題はこれだけではなかった。校了日にも、ここで書くのも憚られるようなハプニングの連続。

 

Processed with Rookie Cam

 

最後は、編集部で一緒に八代さんと机を並べ作業していたのだが、隣であからさまにやつれていくのがわかる。新妻にこんなことをさせて申し訳ない。しかしなんとかかんとか終わった。八代さんと一緒に、最終データを印刷所へ渡す棚に置き、握手して別れる。

 

Processed with Rookie Cam

お酒をやめているので、カプセルホテルの室内でパイナップルジュースでひとり打ち上げ。少々締まらない。でもお酒も甘いものもやめていたおかげで、カンヅメの間もそこまで太らなかった。やめてなければ、軽く3kgはイッていたのではないか?

 

東京でも走るつもりで、ランニング用のウェアをリュックに忍ばせていたのだが、最後の一週間はさすがに走れなかった。ずっと走りたくてうずうずしていた。校了が終わった次の日、朝起きてすぐ走ることにした。西麻布から恵比寿あたりを目指して走る。

 

そして歩道橋を駆け下りている時、思いついてしまった。本当に身体を動かすといろいろなアイデアが浮かぶものだ。本文の最後の部分は確たるものがないまま時間切れが来てしまったのだが、ようやくこれだというものにたどり着く。

 

すでに校了してしまっているが、まだ朝の6時。お願いすれば間に合うかもしれない。急いでホテルに戻り、印刷所の方にメール。最後の3行にある会話文は、その時に思いついたものである。


Written by sasaki fumio

作家/編集者/ミニマリスト 1979年生まれ。香川県出身。出版社3社を経てフリーに。2014年クリエイティブディレクターの沼畑直樹とともに、『Minimal&Ism』を開設。初の著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(小社刊)は、国内16万部突破、22ヶ国語に翻訳される。新刊「ぼくたちは習慣で、できている。」が発売中。

»http://minimalism.jp/

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