「二回目のマラソン」

「二回目のマラソン」


落選続きでピンチ

 

「マラソンは気温が低いほうが走りやすい」と初参加の沖縄でのマラソンで学んだ俺。

2回めのマラソンは近所の関西で、しっかり寒い時期の大会を選ぶ。しかし、残念ながら京都マラソンなど人気のある大会はほとんど落選してしまった。

 

これはマズイと選んだのは、和歌山で行われる「紀州口熊野マラソン」。この大会は先着順で参加でき、まだ空きがあったのだ。

 

口熊野(くちくまの)というのは熊野の入り口であることからこう呼ばれているそう。

素朴な山や田んぼや川、風光明媚な景観を走れるマラソンなのです。

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前日に入って、会場を下見したり、ゼッケンをもらったり。

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受付や着替えは、体育館ぽいところで、ボランティアの方も近所の方のよう。NAHAマラソンとは規模がぜんぜん違って落ち着ける!

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前日は海沿いのホテルへ宿泊。道中、夕陽を楽しむ。

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和歌山は西側が海なので本当に夕陽がきれいなスポットが多いんですよね。

 

準備だけは余念がない

 

マラソンの前々日あたりからカーボローディング。糖質を身体に溜め込んでおくために大盛りごはん。

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前日は、お手製の玄米おにぎりをもくもくと食べます。

 

当日の朝は、パン+はちみつ。パンは消化されるときにも保水するので走るのにいいと。1~2キロ、カーボローディングで太ったような感じ。

 

目標タイムは、サブ3.5(3時間30分切り)を目指して練習してきたのだが、今回は「完走は無理かも」と思っていた。残念ながら、数日前に膝に痛みが出てきてしまったからだ。まだまだ拙い走り方で、硬いコンクリートを根を詰めて走りすぎたのだと思う。腰や背中にもコリがあり、マッサージにいったり、お風呂にたくさん入ってもみもみしていたけど、あまりよくならず。

 

でもマラソンって、冬にあったら夏ぐらいに応募するんですよ。体調悪いからまた今度にします! とかが気軽にできない。

 

マラソンは冬の時期がいいには違いないのだが、スタートまでは半袖で何十分かは待つことになる。みんなガクガクブルブルしながら、肩寄せ合って冷たい風をしのいでいる。ペンギンかよ。

 

3万人が参加したNAHAマラソンは、スタートの合図があってからもスタート位置を通過するまで20分かかったが、こちらはほとんど誤差なしでスタート。いい感じ。

 

まさかの落涙

 

序盤は楽しくてしょうがなかった。

カーボローディングでエネルギーは満タンという感じ。

呼吸も全然苦しくないし、参加人数もあまり多くないので前の人を抜こうとジグザグに走る必要もない。

そして何より「誰かと一緒に、同じ目的地に向かって走るってなんて楽しいんだろう」

と思ったからだ。

 

もちろん今回もソロで、ひとりで会場入りし、走ったらとっとと立ち去るというゴルゴ13方式の参加だ。

だから知り合いがいるわけでもないのだが、みんなで走るのは楽しい。

 

 

細い路地なんかも走るのだが、近所のおばあちゃんが家の外に出て応援してくれたりする。「がんばって」と声をかけてくれる。そして初っ端、開始3km地点でまさかの落涙。

 

ゴール付近の苦しいときにそうなるのはまだわかる。しかし、スタートしたばかりなのに泣いててどうする。不意の涙に自分でもびっくりした。

 

走りながらその理由を考えた。

俺はいつも1人で走っている。

走る人が多い場所ではないので、その目線はどちらかというと冷ややかだと思う。ジムで走るときも、年配でウォーキングをしている人が多い中ひとりだけスピードをあげて走っているので、浮いている。

 

だから自分が走っていることを、誰かが応援してくれるなんていうのは、いつもと真逆の状態なのだ。こんなことがあるのかと思った。

 

忍び寄る悪魔

 

20kmまでは調子が落ちなかった。

1km4分40秒ぐらいのペースで駆け抜ける。3km続けてまったく同じ秒数の区間もあった。安定していてサブ3.5も充分目指せるペースだ。

 

しかし、膝は少しずつ悪化していた。5kmあたりから気になってはいたが、15kmで無視できないものになっていた。20kmまではごまかしたが、その後は……。

 

応援は続いていて、本当に温かい大会だった。遠くの老人ホームらしきところからから手を降ってくれる人たちがいたので、手を上げてこたえたり。後半は、痛みでそれどころじゃなくなってしまった。

 

27 km地点で、給水を取るときに歩く。すると、膝の痛みで、もはやまともに歩くこともできない自分を発見した。

 

歩いてもぜんぜん楽ではないし休めない。

ではもう、走っても同じだ。なるべく走ろう。

 

30km以降は、ペースががくんと落ちた。6分とか、歩いて8分とか、そういうのがつもり重なって、前半の貯金を取り崩し、さらに借金を背負ったという感じ。

 

ここからが本当に長かった。ペースが落ちているので1kmごとの進み具合が遅い。こういうときのコツは、目標を小さくすること。あと10kmもあると思うと、そこで気力が果ててしまう。ここからは「あと2km走ったらリタイヤしよう」「あと1km走ったらもうやめるから」と目標を小さくし、限界を訴えている自分をなだめながら走る。

 

共に生きることはできる!

 

そのうち膝が痛いことは異常事態ではなくなり「共に生きるしかないもの」に思えてきた。

「ガミガミうるさいだけのおばさんになってしまった妻と暮らす」のはこんな感じだろうかと想像してみたりもした。

 

 

あらゆる方法でなだめすかす。今回は最後の2kmも本当に長かった。

駆け抜けるのではなく、へとへとでまたぐようにしてゴール。

 

貴族の嫁入り

 

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完走し、4時間も切れたのでよしとする。膝が痛くなってしまったのは、まだまだ走り方がなっていないからだ。それでも前回より1時間以上もタイムは縮まった。毎日の練習の成果は出たのだ。

 

膝が曲げられないので、足を棒のようにしながら、小刻みな歩幅で移動する。

やっぱペンギンかよ!!

 

 

その日は普段なら泊まらないような素敵な宿をごほうびとして。

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各所に手すりがあることが、こんなにありがたいことだとは。

マラソンは老人になったときのシュミレーションとして最適だよ!!

 

 

こんな状態なので、熊野古道も近かったが歩けず、雰囲気だけ。

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数日間は貴族の嫁入りのような雅なスピードで歩いているので、会う人に理由を説明すると

「あぁ、それで!!」と向こうもほっとしてくれる。聞いちゃいけないみたいな感じだったよう。

 

体重はマラソン後、2kg減っていた。

そのあと、 2日で2kg回復(笑)。

しかし、マラソンはやはり大きな達成感がある。

 

 

辛い分、こんなにもやり切ったと思えることは、他にはないのではないだろうか。

膝の回復には時間がかかったが、数日間で普通に生活できるようになった。

そしてすぐにマラソン大会を調べはじめているのだから世話はない。

 

 

マラソンがあると思うと、日々のランニングにも力が入る。

次こそはサブ3.5を目指す。そのことがとてもいい指標になる。

今後も1年に1回は、マラソンを走ってこうと思っている。


Written by sasaki fumio

作家/編集者/ミニマリスト 1979年生まれ。香川県出身。出版社3社を経てフリーに。2014年クリエイティブディレクターの沼畑直樹とともに、『Minimal&Ism』を開設。初の著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(小社刊)は、国内16万部突破、22ヶ国語に翻訳される。新刊「ぼくたちは習慣で、できている。」が発売中。

»http://minimalism.jp/

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