『麒麟がくる』で話題の明智光秀は、本当はいい人だった? 「日本の歴史人物 悪人事典」で“歴史の秘密”が見えてくる!


NHKの大河ドラマの主人公となり注目されている、武将・明智光秀。みなさんは、明智光秀と聞いて、いったいどんな印象を持っていますか? あの“本能寺の変”で主君である織田信長を殺した、謀反人? 裏切り者? ……いずれにせよ、どちらかといえば「悪人」、いわゆる「ヒール」のイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。

ところが、「歴史」は勝者がつくるもの。つまり、明智光秀のように反逆や謀反を起こした「悪人」、あるいは、ひどい政治で人々をおびやかした「悪人」とされる人物も、じつは「悪人」では“なかった”可能性が、大いにあるのです。いえ、「偉人」とされる人の中にこそ、恐ろしい悪事を働いていた人物がいるということを、いったいどれだけの人が知っていることでしょう!

この『日本の歴史人物 悪人事典』には、独裁者、悪女、テロリストなど、日本史上の「悪人」が大集結! 教科書にはのっていない“歴史の真実”を、こっそり覗いてみませんか?

明智光秀 〜ナゾ多き武将の真の姿はいかに?

明智光秀の若い頃については、じつはよくわかっていません。鉄砲の腕が優れていたことで越前の大名・足利義景の家臣となり、そこで室町幕府の13代将軍足利義輝の弟・義昭と出会ったといいます。室町幕府を再興したいと願う義昭のために尾張の織田信長にはたらきかけた光秀は、その後、義昭と信長の両方に家臣として仕えることになりますが、結果的に信長を選び、織田家では猛スピードの出世を遂げます。わずか数年で近江国坂本城主となり、さらには丹波一国をあたえられ、織田家一の重臣に成り上がったのです!

ところが、1582年に、あの有名な“本能寺の変”で、本能寺を大軍で襲撃し、主君である信長を殺してしまいます……。その理由はいまだナゾに包まれたままですが、信長の横暴なやり方にキレた、もともと天下を狙っていたなど、さまざまです。

そんな光秀ですが、キリスト教の宣教師ルイス・フロイスは「忍耐強くて、戦いの作戦が見事。城づくりに長けていた」と、その戦いのセンスをほめています。

また、戦国武将は側室(複数の妻)を持つのが当たり前だったにもかかわらず、光秀は若い頃から苦楽をともにした正室・煕子以外の女性をそばに置くことがなかったとか。ナゾ多き“ヒール”は、実は、かなり一途な“愛妻家”だったのですね!

菅原道真 〜学問の神様は、実は「日本三大怨霊」だった?

受験シーズン真っ只中……。“学問の神様”として有名な菅原道真をまつる太宰府天満宮には、毎年この時期になると、多くの受験生とその家族が、合格祈願のお参りのために、押し寄せます。そんな道真が、悪人どころか、なんと悪霊や怨霊として人々から恐れられていたことを、皆さんはご存知ですか?

若くして難関試験をパスし、文章博士(学者のトップ)となり、宇多天皇から信頼され、出世街道を突っ走った道真。ところが、それをおもしろく思わないのが、ライバルだった藤原時平です。「娘婿を天皇にしようと企んでいる」と、まったくのウソを醍醐天皇に吹き込み、それを信じた醍醐天皇は、道真を九州の太宰府に左遷。残念なことに、道真はこれを深く怨みながら、2年後に亡くなってしまいます。

ところが、道真の死の後、怪異が起こるようになりました。ライバルだった時平は39歳の若さで急死、その協力者や醍醐天皇の皇太子やその息子などが、次々に亡くなります。また、御所にはかみなりが落ち、多くの貴族が死傷したとか!

「道真のたたりだ!」。人々は道真が雷神になったと信じ、その魂を鎮めるために、京都に北野天満宮をつくりました。そのため、“学問の神様”菅原の道真は、崇徳天皇、平将門とならび、「日本三大怨霊」の一人に数えられています。“学問の神様”として知られる道真ですが、なんと、荒ぶる悲劇の魂だったというわけですね……。

徳川綱吉 〜動物好きに悪い人はいない……ってウソ!?

歴代の徳川将軍のなかでも綱吉といえば、あの「生類憐み令」を出した、ほっこり動物好きのいい人……というイメージがある人も多いはず。ところが、この「生類憐み令」は20年にわたって出され、「魚や鳥を生きたまま食用として売ってはダメ」「犬をいじめた者をチクったらほうびをやる」など、どんどん過激になっていきました。しかも、違反するとすぐに処罰され、なかには死刑になった人も!

さらに、各地に犬を保護する屋敷を作り、犬を収容しはじめた綱吉。約30万坪(東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせたほどの広さ!)の敷地のなかには10〜20万頭の犬が飼育され、なんと、そのエサ代は今の金額で70億円ほどにのぼったといいます。これらの維持費用を、人々に負担させた綱吉。庶民はとても迷惑し、綱吉を「犬公方(今風に言えば“犬バカ殿様”)」と呼んで、憎みました。行き過ぎた動物好きは、単なる迷惑でしかなかったのです……。

ただ、平気で人や動物を傷つける、戦国時代の野蛮な風習が強く残っていた綱吉の時代、彼は人々に秩序を守り、法律に従うこと、優しさやあわれみの心を持つことの大切さを教えるために、儒教や仏教の教えを広めようとしたという一面も。たしかに「生類憐み令」には極端な面があったものの、綱吉は世の中を良くしようと努力した将軍でもあったのです。人というものは、あらゆる角度から見なければ、本当の姿が浮かび上がらないものですね。

“歴史の真実”は、みなさんの心に、どう響いたでしょうか。そう、ある面から見れば「偉人」であっても、別の面から見れば憎むべき「悪人」であり……。歴史上の人物たちも、いろいろな立場や角度によって評価が変わってくるもの。
きっと、本書『日本の歴史人物 悪人事典』を読むことで、歴史上の「悪人」に対する見方、考え方が大きく変わることでしょう。さあ、これまでの“思い込み”を捨てて、正しい“真実”を知り、隣の人を「え〜!」と驚かせてみませんか?

 

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日本の歴史人物 悪人事典
河合 敦:著

河合 敦(かわい あつし)
1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。『世界一受けたい授業』(日本テレビ)など、テレビ出演も多数。著書、監修書に、じっぴコンパクト新書シリーズ『世界史もわかる日本史』『世界史もわかる日本史〈近現代編〉』(ともに監修 / 実業之日本社)、『吉田松陰と久坂玄瑞』(幻冬含新書)、『外国人がみた日本史』(ベスト新書)など多数。児童向けでは『人物・テーマごとに深掘り! 河合敦先生の歴史でござる』『河合敦先生の特別授業 日本史人物68』(ともに朝日学生新聞社)、『歴史漫画サバイバルシリーズ 全14巻』(監修 / 朝日新聞出版社)などがある。