
第5話 ミダス王
あなたはミダス王を知っているだろうか。
古代アナトリア(現在のトルコ)中西部の国を支配したミダス王は、ギリシャ神話では以下のエピローグに記述されている。
ディオニュソスはふとしたことから、昔の先生でかつ養父に当るシレノスが行方不明になったのに気がつきました。老人は酒に酔ってさまよい歩いているうちに、百姓たちに見つけられて、ミダス王のところへひっぱって行かれたのです。ミダス王はこれはシレノスだと思ったから鄭重に歓待して、十日のあいだ、夜も昼も歓楽をつくさせた後、十一日目に無事に弟子のディオニュソスへ送り届けました。ディオニュソスはその返礼として、なんでも望みしだいのものを選んでくれるように、とミダスへ申し入れました。ミダスは、なんでも自分の手に触れた物が黄金に変ずるようにしてもらいたいと申し入れました。ディオニュソスはもう少し都合のよい物を選べばよいのにと思いましたが、とにかく承知しました。ミダスは世にも不思議な能力をもらってうち悦びながら、早く試してみたいと思って、帰って来ました。道々樫の小枝がありましたから折ってみると、たちまちそれが手の中で黄金になってしまったので、びっくりしました。
(『ギリシア・ローマ神話』ブルフィンチ作 野上弥生子訳、岩波文庫、P.75-76)
ミダスに「何でも金に変えてしまう能力」を授けたディオニュソスは、日本ではバッカスの呼称のほうが馴染み深い。つまり酒の神。酩酊と情動と混沌を司る陶酔の神でもある。
その酒の神から「何でも金に変えてしまう能力」を授かったミダスは、まさしく大酒を飲んだように陶酔した。だって自分は「生きる錬金術師」になったのだ。しかも面倒な化学実験は不要だ。錬成陣を地面に描く必要もない。触るだけですべてを金に変えることができるのだ。
これで自分は、権力だけではなく世界一の富も保有する王になった。
国王サミットでいつも自分を見下すかのような発言をしていたサウジアラビアの王族の鼻を明かすことができる。
私は世界一の王だ。
でもその陶酔はすぐに冷えた。
ミダスは限りなく悦びました。家に帰ると食事をしようと思って、召使いどもにいいつけて、食卓にいろんな御馳走を並べさせました。すると驚いたことにはパンに手を触れるとパンが堅くなって、唇につけても、歯も立ちませんでした。(中略)ミダスは仰天して、どうにかしてこんな力は捨ててしまおうと思いました。そうしてあれほどまで欲しがっていたその贈物を憎み出しました。けれどもなんとしても、その不思議な力を振り落とすことはできませんでした。(前掲書)
……子供の頃にミダス王の話を初めて読んだとき、このあたりで何となく気がついた。この王さまは相当にバカだ。
ただし断り書きをしておかねばならないが、僕自身も相当にバカだ。
とにかく致命的に鈍い。そしてトロい。察することが苦手だ。みんなが当然のこととして前提にしていることに気づくことができない。だから子供時代から、おまえは何をやっているんだよと周囲からよくあきれられた。
遠足に行けば一人だけ道に迷う。工作をすれば一人だけ右と左が違う。タブーに挑戦する作家とか踏み越えた映画監督などとネットで時おり形容されるけれど、正確には挑戦ではないし踏み越えたわけでもない。タブーと気づかないまま作品にしてしまった、という場合のほうが圧倒的に多い。まあ結果的には踏み越えたわけだけど、自分が何を踏み超えたのか、自分でもよくわかっていない。
だから僕はミダス王を他人と思えない。気づかせたい。ヒントをあげよう。指を触れなければいいんだよ。
食卓でミダス王はきょろきょろと周囲を見渡しました。天の声が聞こえたと思ったのです。神々が私の窮地を救ってくれようとしている。でも指を触れずにパンを食べることなど不可能です。
不可能じゃないよ。
少しだけイライラした調子で、天の声が響きます。
すべての料理に対して、指で触らずにスプーンやフォークを使えばいいんだよ。
ああなるほど、とミダスはつぶやきました。
そういえばスプーンやフォークを使って口に運んだハンバーグやサラダは、何の問題もなく食べることができていました(もちろん100円均一で買ったナイフとフォークは、瞬時に黄金のナイフとフォークに変わっていましたが)。
ここで補足。
実はミダス王については、この連載のパート1的な存在である『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』(集英社新書)でも書いている。そしてこのとき僕はミダスに、「箸を使えばいいんだよ」とアドバイスした。
でもあらためてよく考えたら、何も不馴れな箸を使う必要はなく、日常的に使っているフォークやスプーンを使えばいいだけなのだと気がついた(やはりミダスと同じレベルだ)。