【生きづらさを乗りこなすヒント】「この世は生きるに値する」のか?

【生きづらさを乗りこなすヒント】「この世は生きるに値する」のか?



発達障害、精神的ストレス、感覚過敏など――
ごく身近な“生きづらさ”を乗りこなすためのヒント。
そして、しんどいからこそ見える、世界の美しさについて。
自閉スペクトラム症(ASD)当事者である編集/文筆家・国実マヤコが、
日常のあれこれを、のほほんとつづります。


 

宮崎駿のことば「この世は生きるに値する」

宮崎駿は『風立ちぬ』(2013年公開)を作り終えたあと、“引退会見”で、こう話したという。「この世界は生きるに値する、それを子どもたちに伝えるために僕は映画を作ってきたんです」。

先日、義理の母が亡くなった。難病に冒され、およそ3年間ものあいだ、病院のベッドの上で寝たきりの状態だった。夫は毎月、何度も東京から下関の病院へ向かい、母を見舞った。進行性の難病で、ほとんど目しか動かすことができない義母に、「耳は聴こえているだろう」と、夫は語りかけつづけた。

そんな母の命の灯火が、ふっと消えてしまった。生前の母は大変な働き者で、ひとりで子ども二人を育てあげ、その後は下関でひとり、慎ましやかに生きていた。音大を出ていたから、子どもたちが小さい頃は、ピアノの先生をして生計をたてていたようだ。

母が病に倒れてから3年間、わたしも病院へ駆けつけたかったが、パニック障害を抱えているため、情けないことに、飛行機や新幹線で下関(山口県)まで飛んでいくことは、どうしてもできなかった。そんな自分がひときわ情けなく、ただ悔しかった。

そんな事情を知らない母は、とうとう「もう、待てないよ」と、逝ってしまった。夫から報せを受けたわたしは、なんと、あれだけ無理だと思っていた新幹線に、46歳にしてはじめてひとりで乗り込み、在来線で下関へと降り立った。火事場のなんとやらではないが、「真の衝動があれば、人間は動ける」ということを、最後に母は教えてくれた。

わたしは、長年のベッド生活でやせ細り、豊かで美しかった亜麻色の髪や筋力を失い、すっかり変わり果てた義母のからだに逆さ水をかけながら、どうしても思わざるを得なかった。はたして、床に臥した母にとってこの3年間「この世界は生きるに値する」ものだったろうか、と。母の、あの大きく美しい目に、この世界はどう映っていたのだろうか、と。


映画『風立ちぬ』
制作:スタジオジブリ
https://www.ghibli.jp/kazetachinu/

 

矛盾に満ちたこの世界を「生きねば。」

『風立ちぬ』は、宮崎駿による映画のうち、わたしがもっとも好きな作品だ。相反するものが――たとえば、結核に侵されたヒロインの横で、タバコを吸う主人公。美しさを求めて作り上げた仕事(零戦)が、世界を破壊する戦争のために飛ぶという因果――同時に存在するという、この世界のリアリティが克明に描かれている。

相反するものが混在するということ。それこそが世界の真理だと、わたしは考えている。それは矛盾であり、美だ。光と影。陰と陽。生と死。宇宙のなかに、自然のなかに、人間のなかに、かならず両面が存在している。

わたしは『風立ちぬ』をはじめて観たとき、このように俯瞰で捉えることができず、「これは、主人公の、ひいては宮崎駿のエゴではないか!」と、怒ったことを覚えている。ヒロインをいいように使いやがって。零戦を美しく描きやがって……と。
ただし、見方を変えれば、たとえばヒロインの「自分の美しい部分だけを見せたい」という行動だって彼女のエゴといえるかもしれないし、無駄を極限まではぶいた美しい零戦が人を殺すために飛ぶこともまた、必定なのである。

だからこそ、わたしは『風立ちぬ』を、とても美しい映画だと思うようになった。あらゆる思いと矛盾が交錯する、世界そのものを描いているからだ。そんな『風立ちぬ』のキャッチコピーが「生きねば。」。

亡くなった義母の生涯に何が起きたかはわかっても、それを義母がどう捉えたか、どう感じたかは、義母にしかわからない。寝たきりとなり、意思表示もままならず、さぞ苦労しただろう、と憐れみの目を向けられること自体、母は不快に思うかもしれない。残されたわたしたちには、もはや、永遠にわからないことばかりだ。

小さな骨壷のなかにすっぽりと納まった母。遺影を抱えたわたしは、一気に夏日となったその日、火葬場の上にひろがる青い空と白い雲を見上げ、母にとって「この世界は生きるに値する」ものであったことを祈るとともに、あらためて「生きねば。」と、自分に言い聞かせた。

*次回は7月25日更新予定です。

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明日も、アスペルガーで生きていく。』(ワニブックス)
著:国実マヤコ 監修:西脇俊二


Written by 国実マヤコ
国実マヤコ

東京生まれ。青山学院大学文学部史学科を卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスに。
書籍の編集、および執筆を手がける。著書に、『明日も、アスペルガーで生きていく。』(小社刊)がある。
NHK「あさイチ」女性の発達障害特集出演。公開講座「大人の生きづらさを知るセミナー」京都市男女共同参画センター主催@ウイングス京都にて講演会実施。ハフポストブログ寄稿。
X(旧Twitter):@kunizane

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