【前編】「若きカリスマヒーラー」として注目を集めるyujiさんって、一体どういう人?

【前編】「若きカリスマヒーラー」として注目を集めるyujiさんって、一体どういう人?


ヒーラーの資質に気づきながらも、
べつの生き方にこだわっていた

—興味深い! ちなみに「手から何かが出ている」という自覚は、いつからあったのですか?

「最初に気づいたのは、中学生くらいの時です。ヒーラーの素質があることは薄々わかってはいたんですが、その能力を開発するつもりも、今の仕事をする気も、じつはまったくありませんでした。まだ江原啓之さんも世に出る前で、スピリチュアルという言葉もなかったし、目に見えない世界は怪しげというか、オドロオドロしい霊界通信みたいなイメージだったんです。

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自分の役目を本格的に知ったのは20歳くらいの時で、とある高僧に出会い、“あなたにはそういう能力があって、時期が来たら、本格的に世に出さなければいけなくなるよ”と教えてもらいました。

それでも、“怪しい人”に見られたくない! という抵抗が強くて、どうしてもすぐには受け入れられませんでした。実家がギャラリーだったこともあって、デザインやアートとか、ものづくりのほうに進みたかったんです。

“目に見える世界のほうがカッコいいし、手からビームが出るお兄ちゃんになるのはヤバイんじゃない?”と(笑)。で、高校卒業後はイタリアでデザインの勉強を学ぶべくフィレンツェに行き、すぐに語学学校に入りました」

—高校を出てすぐ単身渡伊とは、すごい勇気ですね。

「イタリア語は“チャオ!”しかわからない状態でしたが、現地でイタリア人が、かわいい女の子を口説いている姿を見て、ものすごく悔しかったんですよ(笑)。そのモチベーションから、半年で語学学校の上位クラスに入り、1年後にはイタリア人と口喧嘩で負けないくらいにまでなりました。

午前中は語学学校、午後は行きつけのカフェにいき、カウンターで、イタリア人のおじさんとマンツーマンで新聞を見ながら、わからない言葉を全部聞いて、教えてもらったんです。言葉に不自由しなくなったので、ミラノに居を移し、結果的に特待生で大学院に行きまして。卒業後は、現地のデザイン事務所で働いていました」

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—現在yujiさんがヒーラーとしてセッションを行う傍ら、デザインの仕事も続けているのは、そういう背景があったからなのですね。

「ソファーのデザインとか、3Dメガネのデザインとか、面白い仕事もたくさんさせてもらいましたが、6年ほどイタリアに住んでみて、ある時限界を感じたんです。ミラノのデザインの世界というのはじつはとても狭くて、活躍できるデザイナーのパイが少ない、という現実も次第にわかってきて。

今の職場でそこそこの安定をのぞむより、もっと変化の中に飛び込まないと自分は成長しないのでは、と感じて、帰国することにしました。僕、もともとドS体質なので(笑)」

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撮影:yuji


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