第1話 鬼ヶ島再襲撃

第1話 鬼ヶ島再襲撃


 桃太郎が撮ったこの映像はテレビ局に持ち込まれて大きな評判になり、桃太郎は正義のジャーナリストとして時の人となった。映像だけではなく、本を出せばベストセラーになった。タイトルは『お天道様は許しても正義のジャーナリストは許さねえ!』。帯には人気タレントの「感動と勇気をもらいました!」「涙が止まりません」などのコメントが記されている。

 その後に桃太郎はワイドショーのコメンテーターになった。芸能人の離婚問題や日大アメフト部やボクシング連盟の不祥事に森友・加計問題まで、硬軟自在にコメントするから、テレビ各局で引っ張りだこになっていたはずだ。スマホを耳に当てながら、なぜまた鬼ヶ島に行きたいなどと言いだしたのだろうとキジは首をひねる。

 「まあここだけの話だけど」と桃太郎は言った。「いろいろ事情があるんだよ」

 「ここだけの話」と言いながら、「いろいろ事情がある」ではまったく繋がらない。意味がわからない。でもキジはピンときた。最近読んだ週刊誌に、次の参院選に桃太郎が与党から出馬準備をしているとの記事が載っていたことを思い出したのだ。最終的なゴールは政治家なのだろう。だから出馬前に、国民的な人気をもう一度集めておきたいということなのか。いずれにせよ最終的なゴールが政治家ならば、それは確かに桃太郎らしい。小学生のころ、学級委員や生徒会長に自ら立候補するタイプが苦手だった。例外なく全員とは言わないけれど、彼らには共通する何かがある。そして桃太郎はその何かを、とても過剰に発散している。

 「和幸と智子はもうスケジュールを抑えた」と桃太郎は言った。「あとは恭一だけだ。やっぱりこのメンバーで行きたいじゃないか」

 よく言うよ、と恭一は思う。前回の鬼ヶ島征伐のときは、名声はすべて桃太郎が独占した。
 外国人特派員協会で全員が揃って記者会見をしないかとの打診があったとき、他のメンバーは都合がつかないので登壇するのは自分だけだと、桃太郎が独断で返事をしたことも知っている。和幸と智子もあのときはあきれていた。あいつとは二度と関わり合いになりたくないと二人は言っていたけれど、その後は生活に困っていたようだから、たぶん今回は日銭にほだされたのだろうとキジは考えた。その事情は自分も同じだ。最近はフリーランスのディレクターにあまり仕事が来ない。桃太郎の顔を見ると不愉快になるが、どうせ単発の仕事だ。引き受けよう。

 こうして翌週、キジとサルとイヌと桃太郎は、撮影機材を載せた小船で鬼ヶ島へと向かった。カメラを持ったサルに桃太郎は目で合図を送ってから、櫓をこぐ初老の船頭に「最近の鬼たちの様子はどうですか」と質問した。
 「おとなしいもんじゃ」と船頭はのんびりした口調で答える。「最近は鬼ヶ島への観光客も増えてきよった。だから観光収入も入るようじゃの」
 「おとなしいのは上辺だけですよ。その観光収入でミサイルを開発しているとの情報があります」
 「それはなかっぺよ」
 いきなり否定されて、桃太郎は少しだけむきになる。
 「ソースは間違いありません」
 「そんな話は初めて聞いたべ。フェイクニュースじゃねえのか」
 「事実です」
 そう言ってから桃太郎は、「トゥルースです」と言い直した。そっちのほうが格好いいと思ったのだろう。それから懐からとりだしたスマホを操作して、船頭の前の前に差し出した。「ここに載っています」
 キジはちらりとスマホに視線を送る。「鬼ヶ島からミサイルが飛んでくる!」「日本列島は火の海になる!」。まとめサイトの見出しのようだ。たぶん保守速報だろう。
 既成の記事を新たにアップする保守速報は、ほぼ必ず見出しを新たに作る。要するに過激にする。本文を最後まで読めば、「そうした動きがあるとの情報がある」とか「危惧する人もいる」などの記述があるはずだが、見出しはその情報を1かゼロに四捨五入して強調する。強調しながら断定する。
 なぜならそのほうが、アクセス数が上がるからだ。本文を読めばそのからくりに気づくことができるが、スマホを手にする多くの人は本文を読まない。見出しだけで判断する。それから「国賊だ」とか「非国民に天誅を」などとコメントをつけてSNSで拡散する。
 ただし(見出しはともかく)本文を載せているので、明らかなフェイクではない。とはいえもちろんトゥルースでもない。その狭間だ。でもその狭間を読み解く力(リテラシー)は社会にはない。

 トランプが当選したアメリカ大統領選以降、フェイクニュースとかオルタナティブファクトなどの言葉が氾濫した。実際に大統領選の際には、ローマ法王がトランプを支持しているとか対立候補のヒラリーがISに資金供与していたとか、明らかなフェイクニュースはいくらでもあった。だから情報の真贋について意識を持つこと自体は、もちろん悪いことではない。
 でもフェイクが注目されるということは、その対立概念であるトゥルースが注目されることでもある。それは危険だとキジは考えている。完璧なフェイクと同様に、完璧なトゥルースもめったにない。たった一つの真実という言葉を多くの人は気軽に使うが、それは概念でしかない。
 ADからディレクターに昇進して数年が過ぎたころ、「事実はない。あるのは解釈だけだ」との言葉を、ニーチェが残していたことを知った。そしてこのとき、キジはまさしく我が意を得たり、と感じた。
 事実はどこから見るかで変わる。あるいは見る人によっても違う。記者やカメラマン、ディレクターやライターなど、その人の人生観、思想や哲学、イデオロギーや物の捉えかた、どの組織に帰属しているかなどの立場、こうした要素によって、事実の解釈はくるくると変わる。

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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