第10話 注文の多い料理店

第10話 注文の多い料理店


 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさ/\したとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。
 「ぜんたい、こゝらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やつて見たいもんだなあ。」
 「鹿の黄いろな横つ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。くる/\まはつて、それからどたつと倒れるだらうねえ。」
 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちよつとまごついて、どこかへ行つてしまつたくらゐの山奥でした。
 それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のやうな犬が、二疋いつしよにめまひを起して、しばらく吠つて、それから泡を吐いて死んでしまひました。
 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼ぶたを、ちよつとかへしてみて言ひました。
 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしさうに、あたまをまげて言ひました。
 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じつと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云ひました。
 「ぼくはもう戻らうとおもふ。」
 「さあ、ぼくもちやうど寒くはなつたし腹は空いてきたし戻らうとおもふ。」
 「そいぢや、これで切りあげやう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買つて帰ればいゝ。」
 「兎もでてゐたねえ。さうすれば結局おんなじこつた。では帰らうぢやないか」
 ところがどうも困つたことは、どつちへ行けば戻れるのか、いつかう見当がつかなくなつてゐました。
 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

 おそらくはほとんどの人が(少なくとも)一回は読んでいる『注文の多い料理店』は、暗喩や寓意が多い賢治にしては珍しいほどにわかりやすい。描写が直接的なのだ。

 イヌが死んだことを知ると同時に金銭的な損害を口にする二人の紳士は、「早くタンタアーンと、やつて見たいもんだなあ」「二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ」などの台詞が示すように、生きものの命に対しての尊厳をまったく持ち合わせていない。しかも成金趣味。

 二人はどちらも地元では有名な老舗企業の二代目経営者だ。

 知り合ったのは6年前、初めて参加したJC(青年会議所)の会合だった。子供のころからちやほやされて育ち、学校の成績は中の下。でもお金がかかる私大に進学したときは、受験合格の褒美として二人とも親からイタ車を買ってもらっている。

 齢も近いしイタ車好きで趣味が狩猟という共通点があって、二人は急速に仲良くなった。

 ただし二人は(いわゆる)悪い男ではない。脱税はしないしギャンブルにも手を出さない。それぞれ子供は二人いて愛妻家だ。思想信条の偏りもない。というか政治や社会にはあまり興味がない。新聞や本はまず読まない。活字を目にするのはスマホのネットニュースくらいだ。親が自民党支持だから、もちろん二人も、他のほとんどのJC会員と同様に自民党を支持している。

 この国はそれでよい。表を仕切るのは自民党で裏を仕切るのは電通。それでこれまでやってきた。現状を変えようなどというモティベーションもほとんどない。

 要するに二人は凡庸なのだ。いずれ相続する相当な財産とむっちり肥満した体型を別にすれば、とても標準的な日本人、といえるのかもしれない。

 歩きながら一人が言った。

 「どうも腹が空いた。さつきから横つ腹が痛くてたまらないんだ。」
 「ぼくもさうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
 「あるきたくないよ。あゝ困つたなあ、何かたべたいなあ。」
 「喰べたいもんだなあ」
 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。
 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
 そして玄関には
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  RESTAURANT
  西洋料理店
  WILDCAT HOUSE
  山猫軒
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 といふ札がでてゐました。
 「君、ちやうどいゝ。こゝはこれでなかなか開けてるんだ。入らうぢやないか」
 「おや、こんなとこにをかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだらう」
 「もちろんできるさ。看板にさう書いてあるぢやないか」
 「はいらうぢやないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れさうなんだ。」
 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派なもんです。
 そして硝子の開き戸がたつて、そこに金文字でかう書いてありました。

 【どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません】

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Written by 森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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