
第11話 イワンの馬鹿
ずっと気になっていた。なぜ「バカのイワン」ではなく「イワンのバカ」なのか。
次郎と花子は幼馴染です。二人は相思相愛でした。
中学生のころに大きくなったら結婚しようと約束しました。
でも太郎は高校を卒業してから仕事にも就かず、悪い仲間たちと遊び歩いてばかりです。
思いあまった花子は太郎を呼び出して、こんな調子では結婚できないと告げたけれど、太郎は聞く耳を持ちません。
おまえは成績も優秀だし大学に進学した。家も金持ちだし俺とは住む世界が違うんだ。そう言って立ち去ろうとする太郎の後ろ姿を見つめながら、花子は小声でつぶやきました。……太郎のバカ。
これならわかる。つまり口話。どちらかといえば使う主体は女性。口にするときは思いを込める。愛情の裏返し。だから口にする前に、少し沈黙したほうが効率的かもしれない。
なぜこのタイトルなのか。ネットで検索して少し調べてみた。
イワンのバカの「の」は同格を示す格助詞の「の」。例えば今昔物語に収められた「羅生門登上層見死人盗人語」には、こんな一節がある。
「年いみじく老いたる嫗の白髪白きが、その死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり抜き取るなりけり。」
「嫗の白髪白き」の意味は「髪が白い老婆」。古語だ。今の感覚からはぎこちない。でも現代語で用例がないわけではない。例えば上方方言で「ひじきの炊いたん」。意味は「炊いたひじき」。「イワンのバカ」も同じ。
ちなみに原題を正確に訳せば、「イワンのばかとその二人の兄、軍人のシモンとたいこ腹のタラスと、口のきけない妹マラーニャと大悪魔と三匹の小悪魔の話』となるらしい。
さすがにこれでは無理だ。最初のフレーズだけを切り取れば「イワンのバカ」。あれ。同格の格助詞ではないのかな。よくわからない。まあでも少なくとも日本において、この寓話の翻訳は間違いなくタイトルで成功している。実際に読んだ人の数はともかくとして、このタイトルを知らない人はまずいない。
トルストイの作品としては「人はなんで生きるか」のほうがずっと洗練されていると思うが、知名度は圧倒的に「イワンのバカ」だ。「バカのイワン」では、これほどにポピュラーな作品にはならなかったと思うのだ。
むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。
百姓には兵隊のシモン、肥満のタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と、つんぼでおしのマルタという娘がありました。
兵隊のシモンは王様の家来になって戦争に行きました。肥満のタラスは町へ出て商人になりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、家に残って背中がまがるほどせい出して働きました。
兵隊のシモンは高い位と広い領地を得て、王様のお姫様をお嫁さんに貰いました。お給金もたくさんだし領地から上る収入も大したものでしたが、彼はそれを、うまくしめくくっていくことが出来ませんでした。おまけに主人がもうけたものをお嫁さんが滅茶に使ってしまうので、いつも貧乏していなければなりませんでした。
そこで兵隊のシモンは自分の領地へ出かけて行って収入をあつめようとしました。すると執事は言いました。
「収入どころか、牛も馬も鋤も鍬もありません。何よりも先にそれを手に入れなくちゃいけません。そうすりゃ、やがてお金も入って来るでしょう。」
そこでシモンは父親のところへ行って言いました。
「お父さん、あなたはお金持なのに私にはまだ何もくれませんでした。あなたの持ちものを分けてその三分の一を私に下さい。そうすりゃ私の領地の手入をすることが出来ますから。」
すると年寄った父親は言いました。
「お前は家のためになることを何もしたことはない。それにどうして三分の一やることが出来よう。第一イワンやマルタにすまない。」
と、シモンは、
「イワンは馬鹿です。それにマルタはお嫁に行く年はとっくに過ぎていて、おまけにつんぼでおしです。あれ等に財産を持たしたってそれが何になるでしょう。」
と言いました。おじいさんは、
「じゃ、イワンが何というか聞いてみよう。」
と言いました。
イワンは、
「兄さんの欲しいだけ上げなさい。」
と言いました。
(『小學生全集第十七卷 外国文藝童話集上卷』興文社、文藝春秋社)
これが導入。肥満のタラスにもイワンは同じように財産を三分の一渡してしまう。バカと嘲笑されながらまったく怒らない。
……菊池寛によるこの訳はかなり長い。訳が長いのではなく原典がそもそも長いのだけど。だから以下は要約する。