第12話 金のガチョウと卵

第12話 金のガチョウと卵


 童話や民話のタイトル、あるいは印象的なフレーズなどが、日常の慣用句や喩えなどに使われることは多い。

 例えばワンマンで人心を掌握できていない組織トップを指して「裸の王さま」。

 状況を全く把握できていない状態を示すときに「浦島太郎」状態。

 知り合いの女性は「あれは酸っぱい葡萄よ」とよく言っていたが、原典にある負け惜しみの要素ではなく、「実際によろしくない」という意味で使っていたようだ。

「金の卵」もよく使われるフレーズだ。

 一昔前の新入社員の入社式で社長が、「君たち金の卵を」とかなんとか言っているシーンはテレビや映画でよく目にしていた。

 そのオリジナルはイソップ。話自体はとてもシンプルだ。

 ある貧しい農夫の飼っていたガチョウが、
 輝く黄金の卵を産んだ。
 市場に持っていくと、その卵は純金だった。
 それ以降、来る日も来る日も農夫は、
 新しい黄金の卵を発見した。
 やがて農夫は大金持ちになった。
 ところが、富が増すにつれ欲が出た農夫は、
 一日一個しか生まれない黄金の卵が待ちきれず、
 ついにガチョウを殺し、
 腹の中の卵を全部一気に手に入れようとした。
 しかし、当然黄金の卵はなく、
 そのうえ黄金の卵を産むガチョウさえも、
 失ってしまったのだ。

 そもそもイソップは短い。魔法使いも意地悪な継母も出てこない。エンタメ的な要素が薄い。校長先生の訓話みたいで何となく上から目線だ。何よりもこれだけ短いと、パロディにしづらい。少し話を盛ろう。

 ある貧しい農夫の飼っていたガチョウが、輝く黄金の卵を産んだ。
 市場に持っていくと、その卵は純金だった。

「これはおかしいだろう」と市場の卵仲卸しの男は農夫に言った。「なんで卵が純金なんだ」
「おれに理由を訊くのか」と農夫は答えた。「小学校も卒業していないおれが答えられると思うのか」
「まあ理由は何でもいいや」と仲卸の男は言った。「純金だから2万円で引き取るぜ」
「ちょっと待て」と横で見ていた蒲鉾仲卸しの男が言った。「中身はどうなんだ」
「中身?」
「確かにその卵の殻は純金みてえだな。でも問題は中身じゃないのか。もしもぎっしり中にも純金が詰まっていたら、2万円どころじゃねえだろ」
 余計なことを言う奴だと思いながら卵仲卸しの男は、「じゃあどうするよ。ここで殻を割って中身を確認するか」と言った。
「いやいやちょっと待て」と精肉仲卸しの男が三人の会話に割り込んできた。
「その卵はまだ新しいのか」
「今朝、家のガチョウが生んだんだ」と貧しい農夫は答える。
「温めれば金のガチョウが孵るかもしれないな」と精肉仲卸しの男が言った。
「なるほど」
「それはないな」と卵仲卸しが言う。
「なんでだよ」
「金は鉱物だ。生きものにはなれない」
「そんなこと言ったら金の卵だってありえないだろ」
「限度がある」
「金のガチョウの話もあるぞ」とじっと様子を見ていた別の農夫が言った。
「でたらめ言うな」
「おれの親せきの話だけどな」
「ならば本当か」
「とにかく聞こうじゃないか」

 こうして金のガチョウの話が始まる。こちらはグリムだ。白状するがこの原稿を書くために調べるまで、「金の卵」と「金のガチョウ」の二つを、僕は何となく混同していた。童話と寓話業界における二大巨頭それぞれの作品なのに、ひとつの噺のように思っていた。

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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