
第7話 ギリシャ神話 パンドラ
「外見は我々と同じ生きものをたくさん作れ」
そうプロメテウスに命じながらゼウスは、「ただしサイズは小さくしろ。そして女は要らない。男だけだ」と早口で続けた。
「男だけ」
とプロメテウスは首をかしげる。
「なぜですか」
そう訊かれてゼウスは、「女は災いのもとだ」と顔をしかめながら答える。
「なるほど」
「何だよなるほどって」
「いえいえ。わかりました。神々のミニチュアですね。ただし女はなしと」
そう言ってからプロメテウスは、手もとにあった粘土をひとつかみ手にした。
好色なゼウスは正妻であるヘーラー以外に、セメレー、レートー、カリストー、ラミアー、イーオーなど愛人がたくさんいて、ヘーラーとはいつも「何やってんだいこの宿六!」「うるさいクソババア」などと揉めている。オリンポスの神々を支配し統率する最高神の夫婦の会話としてはあまりに情けない。
その日からほぼ一週間、勤勉なプロメテウスは粘土で神々の姿形に似せたミニチュアを作り続けた。数日後にゼウスは工房にやってきた。
「女は作ってないだろうな」
「作ってません」
足もとの一つを手にしてしげしげと眺めて満足したようにうなずいてから、ゼウスは息を吹きかけた。同時に粘土細工は動き出す。命を吹き込まれたのだ。さすがは全宇宙を支配する天空神だ。次々に息を吹きかけながら、「これを地上に送れ」とゼウスは言った。
「地上ですか」
思わずそう言ったプロメテウスに、ゼウスはゆっくりと視線を向ける。
「何か問題なのか」
「この粘土細工の生きものたちは、我々と姿かたちが同じです」
「当り前だ。私がそう命じたのだ」
「似ているということは、翼を持ちません」
「それはそうだ。鳥ではないのだから」
「だから空は飛べません。それだけじゃない。足は二本しかないから、走ってもスピードが出ません。鋭い爪や牙も持たない。泳ぎも下手です。しかも小さい。筋肉も発達していない。姿かたちだけではだめです。我々と同じ能力を与えないと、あっというまに他の生きものたちの餌食になって、彼らは死に絶えます」
腕の時計をちらちらと気にしながら、「それはダメだ」とゼウスは言った。
「もしも我々と同じ能力を与えたら、この粘土細工の生きものたちが神々になってしまうではないか」
「しかし…」
「ならば少しだけ知性を与えればいい。他の能力は必要ない」
「知性ですか」
そうプロメテウスが訊き返したとき、ゼウスのスマホが鳴り始めた。ラインが着信したようだ。ちらりと画面を見てから、「そうだよ」とゼウスは面倒そうに答える
「ただし絶対に火を与えてはいけない」
「なぜですか」
しばらく待ったけれど答えはない。プロメテウスは顔を上げる。工房の扉が開いている。そしてゼウスはどこにもいない。走ってどこかに行ってしまったようだ。おそらく愛人の誰かとのデートの時間が迫っていたのだろう。
命を与えられたばかりの生きものたちを、プロメテウスは段ボール箱に入れた。小さくてひ弱な生きものたちだ。指に力を入れすぎるとすぐにつぶれてしまうだろう。しかも男ばかりだ。多少の知性くらいでは焼け石に水だ。そんなことを考えながら、プロメテウスは段ボールの蓋を閉じてガムテープで密閉した。
宅急便を頼むつもりでいたけれど考えなおした。このひ弱な生きものたちを放置はできない。しばらくは傍にいたほうがいい。そういえば地上には弟のエピメデウスが住んでいる。もう何年も会っていない。この生きものたちを運ぶついでに、久しぶりに弟の顔も見てこよう。
こうして世界に人類(ただし♂ばかり)が誕生した。一緒に地上に降りたプロメテウスは、彼らに言葉や文字を教え、家や道具を作ること、野菜や穀物を栽培したり家畜を育てたりすることなども覚えさせた。要するに情がわいたのだ。自分の子供のような感覚だったのかもしれない。
粘土から生まれた彼らは齢をとらない。病気もないし死ぬこともない。女性が存在しないので、色恋の嫉妬や猜疑心もない。希望がないから絶望や失望もない。自己顕示欲や向上心もないから、後悔や不安や妬みや絶望もない。
しかし地上には四季がある。過ごしやすい季節ばかりではない。寒い冬に火がなくては暖をとれない。狩りの獲物を煮たり焼いたりすることもできない。