人生の「主人公」であるということ

人生の「主人公」であるということ



イタリア在住のイラストレーター・マンガ家のワダシノブさんが、
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「人生の主人公は自分」という、イタリアの人たちと過ごす中で感じたこととは?


(イラスト:ワダシノブ)

日本に住んでいた頃、ランチのときにバラを一輪もらったことがある。今のパートナーと結婚する前、彼が夏休みで日本に遊びに来ていたときの話だ。

当時の私は派遣社員で、12時に会社の入り口まで下りると、半パンにユニクロのジャパンお土産Tシャツという、いかにも観光客姿の彼がセロハンに包まれたバラを1輪持って待っていた。「イメージ通りのイタリア人だ!」と、思わず笑ってしまった。映画や韓国ドラマでしか見たことがなかった、会社に花を持ってくる恋人が私の前に現れたのだ。

とはいえ、実際に花をもらうと「午後の就業時間中、この花どこに置く?」と困り果て、そっとロッカーにしまった。

彼も含めて、周りのイタリア人たちは、人生の主人公が自分だと思っている。なんなら世界の中心が自分。だから、感情を表現することに照れない。主人公の自分がどう感じているかが一番大事だから。もちろん相手のことを考えてはいるが、必要以上に考えすぎない。だから、素直に愛情表現をするし、自分からマメな連絡をすることにも疲れない。自分がやりたくて、やっているから(やりたくないときは1mmもやらないから困ることもあるけど)。

「マメな連絡」がどのくらいかというと、私のパートナーは毎日両親に、ついでに妹にも電話をする。親戚にはイベントごとに電話。友人たちにもなんやかんやと電話や、メッセージをする。別のイタリアの友人たちも、家族に毎日のように電話をしているから、彼だけが特別マメだということではない。「調子はどう?」くらいの軽い質問を、飽きもせずに毎日繰り返しているのだ。

一方、主人公からほど遠い私はというと……。
高齢になりつつある母には連絡するけれど、友人には相手の負担になるのが怖くて連絡できない。用のないLINEなんてできないし、急な電話なんて重すぎて嫌われそうで無理。

イタリアが主人公として育つ場所なら、日本育ちの私は主人公に迷惑をかけてはいけない脇役気分で生きてきた。相手に気を遣い、言われなくてもわかるふりをして、空気を読みまくる脇役。もちろんイタリアでも空気は読むんだけど、プライベートでは場の空気よりも自分が大事。

そんな脇役育ちの私だけど、イタリアに住むようになってからは少しずつ変わっていっている。みんなが主人公でも生きていけると学習したからかもしれない。電話やメッセージの回数は増えている。私がしたいからする。起点はいつも私。それ以上、考えすぎない。

私が誰かのことが気になっているなら、「気になっているよ」と声をかける。そして、予想外の反応が返ってきても気にしない。だって、相手も相手の人生の主人公だから。

脇役から主人公になるべく、日々の修行は続いている。

Written by wadashinobu
wadashinobu

イラストレーター・マンガ家。広島県生まれ、イタリアのトリノ在住。 日本で出会ったイタリア人パートナーの帰国に付いて、2007年からイタリア生活を始める。 イラストのほか、noteやPodcastでイタリア生活や趣味について発信している。 Twitter @shinoburun https://note.com/shinobuwada https://www.youtube.com/channel/UCqLFGJZJN5htqGIdhSCD3Vg

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