
『青空娘』
僕には、心から尊敬する作家がいます。
とはいっても、いまではその名を知る人はほとんどいません。
しかし、とっつきにくくてマニアックだとか、限定された玄人向けだとか、そういうことではないのです。
それどころか門戸は広く開かれていて、誰でも好きになれるような小説を書いていた人。
なのに、現在ではほぼ無名なのです。
誰かって、源氏鶏太先生。
富山県生まれで、あまり裕福でない家庭に育った7人兄弟の末っ子。富山商業学校卒業後は大阪の住友合資会社に入社し、作家に専念すべく退職するまで、25年にわたってサラリーマンと作家の二足のわらじを履き続けたという人物です。
そんな経歴からも想像できるかもしれませんが、彼が書き続けたのはサラリーマン小説。幽霊モノに変化していった後期は個人的にあまり好みではないのですが、それ以前のユーモラスかつ痛快な作風がとてもいいのです。
簡単にいえば、そのスタイルは「勧善懲悪」。貧しかったり、あるいはなんらかの逆境に立たされている主人公が、いじめや嫌がらせなどをしてくる“悪人”(多くの場合は上司)に打ち勝ち、成功をつかむという、非常に明快なストーリーだということ。
まぁ、つまりはマンガに近いのですが、そのわかりやすさが高度成長期の空気感と見事に噛み合い、多くの大ヒット作が生み出されたというわけです。サラリーマンとしても着実にキャリアを重ねつつ、同時に年間3~5作くらいの新作を発表。
しかも中期までの作品は、その大半が映画化、ドラマ化されることに。映画化作品は80作におよぶというのですから驚きです。
よく考えるのですが、いまの時代に当てはめれば(作品の内容ではなく)知名度的には、現在の東野圭吾さんや宮部みゆきさん級の有名人だったのではないかと思います。
にもかかわらず、作品はほとんどが絶版。そのため、いまはほとんど知られていないのです。不思議だとしかいいようがないのですが、考えるに、それは「サラリーマン小説」の宿命だったのかもしれません。
なにしろ勧善懲悪ですから、読み終えれば間違いなくスカッとします。だからサラリーマンにとっては、それが明日への活力になる。そのため、バンバン売れた。代表作『英語屋さん』などで直木賞をとっているし、他にも受賞経験は豊富。にもかかわらず、なにしろ大衆小説ですから、文学的価値がそこにあるかといえば疑問。
だから、結果的に残っていないということなのだろうと思います。
そのあたりは本人も自覚していたようで、1975年のエッセイ『わが文壇的自叙伝』には、「自分の作品で死後、読まれるものがあるだろうか」とも書いています。
残念ながらその懸念は現実のものとなり、大きな実績を残したにもかかわらず、作品の大半は残っていない状態。だから、いま僕たちに、その作品に触れる機会はほとんど与えられていないのです。
そこで僕も仕方なく、作品のほとんどを古書店か新古書店で揃えました。ちなみに、僕が持っているのはすべて文庫本なのですが、そこにも当時の彼の勢いが現れている気がします。出版される作品はどんどん文庫化され、通勤途中のサラリーマンのポケットに収められたということです。
初めて読んだのは中学生のころで、それから40年の歳月を経ても、いまだに飽きることはありません。
作品に描かれている主人公たちはおそらく僕よりも10歳以上歳上ですが、それでも共感できる部分があり、しかもハッピーエンドが約束されているので安心して読み進められるのです。
一生読み続けるだろうし、できればいつか、富山のお墓を参りたいとも思っています。
そして、だからこそ、先生の作品が絶版状態だということには、大きな不満を持っていました。
ところがここにきて、ちょっと興味深い動きが出てきました。なぜかちくま文庫から、ポツポツと過去の源氏作品が文庫化されているのです。しかも『英語屋さん』『三等重役』などの代表作ではないものが。9月に出た『最高殊勲夫人』だって、決して有名な作品ではないしなぁ。
とはいえ、源氏作品が一作でも世に出ることは文句なしに喜ばしいので、とてもよい傾向だと思っています。
そこで今回は、今年に入ってからはじまった「謎の源氏鶏太作品復刻」の口火を切ることになった作品をご紹介したいと思います。
1956年7月から1957年11月まで雑誌『明星』に連載され、1966年5月に刊行された『青空娘』。
先に触れたとおり源氏作品の多くは主人公が男性サラリーマンなのですが、『明星』に連載されていたというだけあって、これは若い女性が主人公です。
そういえば『最高殊勲夫人』の主人公も女性ですし、復刊に際しては表紙イラストも女性向けに変えられているので、版元は女性をターゲットとして源氏作品の再評価を目論んでいるのかもしれません。
祖母の死によって自分の“出生の秘密”を知り、東京で暮らすことになった主人公の女の子が、継母やその子どもたちからのいじめに遭いながらも健気に明るく生きていき、運命的な出会いをするという、絵に描いたようなシンデレラ・ストーリー。
窮地に立たされたときに限って都合のいいことが起こり、無事にピンチを乗り越えるという展開は、まさに源氏作品そのもの。しかも、セリフはときにこちらが恥ずかしくなる感じ。しかし、そんなことも含め、流れがとても痛快なのです。また文脈の端々から感じられる昭和感も、不思議な懐かしさを与えてくれるでしょう。
でも、いま突然このようなかたちで源氏作品が再評価されることになったというのは、なんとなくわかる気がします。繰り返しになりますが、ヒット作を連発した彼の全盛期は、戦後の復興を経た高度成長期。
小説のなかで描かれる、焼け野原の時代をなんとか生き延びてきた人たちの姿が、どん詰まりにある現代の人々に力を与えないわけがないからです。
だからといって日本がまた高度成長するとも思えないけれども、少なくとも「明日もがんばってみようかな」という気持ちにはさせてくれる。そう考えると、今回の復刻には納得できるわけです。
そこで今回は、最終的に幸せをつかんだ主人公の有子が、生まれ育った田舎町の丘の上で口にする最後の言葉を「神フレーズ」にしたいと思います。
「ああ、青空だわ。」
優子は、海よりも、その青空を、いつまでも、飽かずに、見つめていた。
(333ページより)
適度に時代を感じさせ(ちょっと照れくさくもあり)、あまりにも純粋でストレート。
こうした表現こそ、源氏作品の真骨頂なのです。
きっと、いままで体験したことがなかったような新鮮さに包まれるはずです。
ぜひ読んでみてください。
『遅読家のための読書術』(印南敦史:著)
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