【推し活と脳汁デフレ】担降りブログでバズった著者が当時の探索行動をもう一度振り返ってみた

【推し活と脳汁デフレ】担降りブログでバズった著者が当時の探索行動をもう一度振り返ってみた



推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。


WANI BOOKOUTをご覧の皆さま、こんにちは。ライターの山野萌絵です。
第八回のテーマは「出待ちと脳汁」。しばしお付き合いください。

 

劇場の裏手に関係者出口がA、B、Cの三箇所あるとする。私はBに配置された。Aに友人が一名、Cに二名。LINEのグループチャットは開きっぱなしで、なんなら通話をしている時すらある。誰かが何かを見つけたら即報告。推しが出てきた報告を受けたら移動する。

断っておくが、これは軍事作戦の話ではない。出待ちの話である。

第六回で私は「推し活と脳汁」というテーマを書いた。ドーパミンは「予想を超えた報酬」にしか出ない、確率50%の不確実性で最大化する、慣れると効かなくなる、という話だ。

書き終えてしばらくしてから気づいたのだが、あれには重大な欠落があった。
あの回で扱った脳汁は、
全部「座ったまま出る脳汁」だったのである。

最前列を引く、ファンサを待つ、当落発表を待つ。

どれも椅子から一歩も動いていない。だが正直に告白すると、私の人生で最も脳汁が出た瞬間、私は座っていなかった。猛烈に走っていた。

※出待ち等の行為は固く禁止されており、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する意向は一切ございません。

 

褒められない行為がなぜ楽しかったのか

先に断っておくと、出待ちは褒められた行為ではない。ここから書くのは全部過去の話であり、推奨でもない。ただ、褒められない行為がなぜあんなに楽しかったのかについては、そろそろ誰かが正面から説明しておくべきだと思うのだ。

で、私の結論はこうである。

出待ちはサバゲーだ。

構造を分解してみよう。

まず戦場がある。劇場の裏、駐車場の出口、地下の搬入口。出口が複数ある建物ほど戦場としての難易度が上がる。

次に部隊の分担がある。人数を数え、出口の数で割り、各自が持ち場につく。誰がどこを張るかは、たいてい経験値の高い人間が決める。

通信手段がある。LINEのグループチャットだ。「A、動きなし」「Cに誰々のマネの車」「出た、正面出口」。会話文が完全に無線交信の様式になっているのがおわかりだろうか。

索敵がある。ひたすら見張る。何も起きない時間が圧倒的に長い。
そして接敵がある。出てきた瞬間、全員が移動する。

……いや、それサバゲーじゃなくて狩猟では? というツッコミが入りそうだが、この直感がわりと重要なので、ちょっと待っていてほしい。

 

ドーパミンは「成功報酬」を得る時だけではない

第六回で私はドーパミンを「報酬の脳内物質」として扱った。あれは間違いではないのだが、少し古い言い方でもある。

エストニアに生まれ、アメリカで研究を続けた神経科学者ヤーク・パンクセップは、脳のドーパミン系を「報酬システム」ではなく「SEEKING(探索)システム」と呼ぶべきだと主張し続けた人物だ

彼とアントニオ・アルカロによる2011年の総説では、この系が担っているのは、探すこと、近づくこと、目標に向かって動き続けること、これから何か起きると予期すること、その全部だと整理されている。そして決定的なのが次の一点である。

探索している状態それ自体が、すでに報酬なのだ。

(※)「Pub Med」Alcaro A, Panksepp J. The SEEKING mind: primal neuro-affective substrates for appetitive incentive states and their pathological dynamics in addictions and depression. Neurosci Biobehav Rev.
2011 Oct;35(9):1805-20. doi: 10.1016/j.neubiorev.2011.03.002. Epub 2011 Mar 15. PMID: 21396397.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21396397/

平たく言うと、ドーパミンは「見つけた時」にだけ出るのではない。

「探している間」も、ずっと出ている。

むしろ探索そのものが目的になりうる、というのがパンクセップらの主張である。

これで説明がつくことがある。出待ちの待ち時間は、冷静に考えれば苦行である。冬の劇場裏で三時間立ち尽くす。トイレには交代でしか行けない。飯もちゃんと食えない。寒い。なのに、あの時間は不思議と苦しくなかった。むしろ楽しかった。

なぜか。あれが苦行に見えて、実はもう脳汁の本編だったからである。
探索中の脳は、すでに報酬を受け取っている。だから待てる。四時間でも待てる。「推しに会うために耐えている」のではなく、「探している状態が気持ちいいから続けている」のだ。我々は耐えていたのではない。楽しんでいたのである。

……こう書くと美談っぽいが、要するにこれ、狩りをしている動物の脳と全く同じ状態である。

パンクセップのSEEKING系は、もともと餌を探す動物の行動を説明するために整理された概念だ。歩き回る。痕跡を追う。待ち伏せる。人間の脳にも同じ回路がそのまま残っている。

だから「サバゲーじゃなくて狩猟では?」というさっきのツッコミは、神経科学的にはほぼ正解なのだ。我々は劇場の裏で、旧石器時代の脳を全力で稼働させている。

 

自分でコントロールしている感覚がドーパミンを助長する

ここでもう一つ、第六回との決定的な違いを指摘したい。
座席は自分でなんとかできる要素もあるが最終的には運である。ファンサも運が絡んでくる。第六回で書いた通り、あれは自分ではコントロールできない賭けだった。

だが出待ちは違う。どの出口を張るかは自分で決める。何時に行くかも自分で決める。情報をどこまで集めるかも自分次第だ。行動が結果に接続している。

この「自分でコントロールしている感覚」が脳に与える影響を示す実験がある。
2004年、ピッツバーグ大学のエリザベス・トリコミらがNeuron誌に発表した一連の実験がある。fMRIの中で被験者に金銭の獲得と損失を提示するのだが、その出し方を三つの実験で変えた。時間的にランダムに出す、合図の後に出す、そして被験者がボタンを押した後に出す、である。

三つ目の実験が面白い。
合図に二種類あって、片方が出たら、被験者はただ親指のボタンを押すだけ。「この場合は結果に影響できない」と説明されている。
もう片方が出たら、二つのボタンがあるうち、どちらが「正解」なのかを推測して押す。「当たれば儲かり、外れれば損をする」と説明されている。
結果、脳の尾状核が明確に反応したのは、後者、つまり「自分のボタン押しと結果がつながっている」と被験者が感じた場合だけだった。

ここが重要なので繰り返す。実際には結果はあらかじめ決まっており、ボタン押しは何も左右していなかった。被験者はそれを知らされていない。
つまり脳がまともに反応したのは、本当に自分の力で当てた時ではなく、自分の力で当てたと信じた時なのである。

(※)「Neuron A Cell press journal」Tricomi E, Delgado M, Fiez J
Modulation of Caudate Activity by Action Contingency
Neuron, 41, 281-292
https://www.cell.com/neuron/fulltext/S0896-6273(03)00848-1

これを出待ちに翻訳するとこうなる。

同じ推しに、同じ距離で、同じ三秒会ったとしても、「たまたま遭遇した」場合と「自分が張った出口から出てきた」場合では、脳汁の量が違う。

しかも、その出口が本当に読み勝ちだったのかどうかは、脳にとってどうでもいい。当てたと感じたかどうかがすべてである。

ヤマが当たった時のあの感覚。あれは「会えて嬉しい」ではない。「読みが当たった」なのである。だから外れた時、我々は推しに会えなかったことよりも、自分の読みが外れたことに悔しがる。あの妙な悔しさの正体はこれだ。

 

(つづきは次のページへ

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。

illust./イラストAC

山野萌絵(めりぴょん)

ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。

X(旧Twitter) @_a030
note https://note.com/13weekslaterep


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