【推し活煩悩】オタクは「ドパガキ」か否か

【推し活煩悩】オタクは「ドパガキ」か否か



推しのおかげで毎日が楽しい! だなんて綺麗ごとではないのか。時にはお金を払って対象を消費する行為を疑い、自己嫌悪に陥ることもある。
そんな美醜と向き合いながらも、最後は「なんだかんだ言って、オタクって救済だよね」に着地してしまう。
酸いも甘いも噛み分けたオタクなコラムニストが赤裸々に綴るオタクエッセイ。


 

WANI BOOKOUTをご覧の皆様、こんにちは。ライターの山野萌絵です。
第九回のテーマは「ドパガキ」。しばしお付き合いください。

まず数えてみたのだが、この連載で私がドーパミンの話をしたのはこれで四回目である。第五回で「推し活は躁鬱の波形」と書き、第六回で「脳汁」を丸ごと一本やり、第八回では出待ちで走っている時の脳汁について書いた。ドーパミンの話をしすぎている。担当編集のSさんに「またですか」と言われても何も言い返せない。

言い訳をさせてもらうと、私が悪いのではない。二〇二六年になって、世の中の方が私に追いついてきたのだ。

インターネットの巷ではいま「ドパガキ」という言葉が流行っている。「ドーパミン中毒のガキ」の略だ。ショート動画やゲームやSNSのような刺激の強いコンテンツに慣れきって、常に強い刺激を求め、集中力が続かなくなった若年層を揶揄するネットスラングだ。集英社オンラインが二〇二六年一月に「急増するアドガキ・ドパガキとは?『机に10分も座ってられない』Z世代・α世代」という記事※を出したあたりから一気に広まった。

(※)「集英社オンライン」2026.01.02 急増するアドガキ・ドパガキとは? 「机に10分も座ってられない」Z世代・α世代が “集中できない”背景にあるドーパミン中毒の危険性
https://shueisha.online/articles/-/256093

派生語も豊富で、刺激に慣れきった味覚を「ドパ舌」、動詞にした「ドパる」、年齢に関係なく依存状態を「ドパ中」と呼ぶらしい。

で、私はこの言葉を見た瞬間に思ったのだ。

私、ドパガキという概念が生まれるずっとずっと前から、ドパガキだったのでは?

平成二十六年、高校二年生の私は同じヒーローショーを水道橋で百五十回観ていた。当時、その行動に名前はなかった。周囲がつけてくれた名前は「ヤバい人」「病んでる人」「金遣いの荒い子」「狂ったオタク」あたりである。どれも概念というより悪口だ。十二年経って、ようやく名前ができた。

今回は、ショート動画のなかった時代のドパガキが、令和のドパガキ言説を眺めて何を思うか、という話である。

 

過去の推し活から振り返る「ドパガキ」の正体

まず、私の人生がいかにショート動画的であったかを振り返る。

メン地下(メンズ地下アイドル)の特典会というものがある。一枚あたり千円(いまでは千五百円くらいのところが多い。私が行っていたころは相場が安かったのだ)払うとチェキを撮れて、その間に会話ができる。終わるとスタッフに「はい次の方〜」と剥がされる。ショート動画とほぼ同じ尺だ。違いは、スワイプする代わりに一ループ(特典会の列を一周すること)ごとに五千円から一万円払うことである。

私は高校生の頃、良くない労働で稼いだ金を俳優の現場に投入するという並行運用をしていた。刺激を得るために金を作り、作った金で刺激を買う。これを「ドーパミン中毒」と呼ばずに何と呼ぶのか。

バンドマンの追っかけをしていた頃の私の美学は「短期間でたくさん金を使って、飽きたらやめる」だった。

これは今の言葉で言うと完全に「ドパ舌」である。一つの刺激に慣れると味がしなくなるので、次の刺激に移る。第六回で「脳汁は同じ刺激では出なくなる」と偉そうに書いたが、私は自分の舌の性質を、ドパ舌という言葉を知る前から把握していたわけだ。

極めつけは、タレコミ(掲示板)である。第四回で書いた、若手俳優オタクが匿名で叩き合っていたパスワード付き掲示板だ。あれをリロードする手つきは、今の若者がXのタイムラインを更新し続ける手つきと全く同じである。誰かの悪口が書き込まれ、スレッドが上がってくるたびに、脳の何かが「ぴょこん」と出た。ぴょこんの正体は、まあ、今なら分かる。

つまり何が言いたいかというと、

オタクとは元祖ドパガキである。

ショート動画の登場でドーパミン中毒の若者が「急増」したのではなく、ドーパミン中毒の人間はずっといて、平成の彼らはチェキやタレコミを「スワイプ」していただけなのだ。供給源が変わっただけで、需要は昔からあった。

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者および弊社が読者の皆さまにその内容を推奨する意図は一切ございません。

※お金は計画的にご利用ください。

 

オタクは「ドパガキ」の定義とつじつまが合わない?

……と、ここまで書いて、一つ引っかかることがある。

ドパガキの定義には「集中力が続かない」「机に10分も座っていられない」というのが必ずセットで付いてくる。

しかし、重度の俳優オタク(わたし)を思い浮かべてほしい。一日三時間の舞台をマチソワ(昼夜二回)で観て、それを十日連続でやる。三十時間、同じ演目である。私も同じヒーローショーを百五十回観た。机に十分座れない人間にできることではない。

じゃあオタクはドパガキではないのか? というと、ちょっと違う。

あの十日間、我々は「同じもの」を観ていない。

今日のアドリブ、今日のレス、今日の噛み、今日の事故……三時間ぶっ続けで、昨日との差分を探している。前日の公演が脳内に「正解」として保存されていて、そこからズレた瞬間にだけ脳汁が出る。第六回で書いた通り、ドーパミンは予測が外れた時にも出る物質とされているので、これは理屈にも合っている。

▼第六回の記事はこちらから
「【オタクあるある】巷でよく言われる「脳汁」を考えてみた」
https://www.wanibookout.com/167857/
*本記事の公開期間に伴い特別に公開いたします。

つまり、外からは「三時間集中している」ように見えるあの状態は、中身を開けると三時間スワイプし続けているのとほぼ同じなのだ。画面が舞台に固定されているだけで、やっていることはショート動画と変わらない。

違うのは、注意の向き方である。ドパガキの注意は散る。次の動画、次の通知、次のタブ……オタクの注意は逆に、一点に釘付けになって剥がれない。
舞台鑑賞というのは、要するに過集中である。三時間、瞬きも惜しんで一人の人間だけを見る。終演後に「今日、あそこで目が合った」と言い合っているオタクは、三時間の中の瞬きを検出している。散漫の対極だ。

同じドーパミン中毒でも、注意が拡散する側と、注意が一点に収束する側がいる。ドパガキは前者で、オタクは後者。

私はこれを「過集中型ドパガキ」と呼びたい。

集中力がないのではなく、集中力がありすぎて、その全部を推しに注ぎ込んでいる。だから机には10分座れないのに、劇場には十日座れる。集中の総量の問題ではなく、集中の宛先の問題なのだ。

というか、私はASDで、過集中は元々の仕様である。ドパガキが「刺激で集中力を壊された人」だとしたら、私は「最初から集中の配分が壊れている人」だ。

ドーパミンの供給源がたまたま舞台だったから、壊れ方が「集中しすぎ」の形で出た。もし私が二〇一〇年生まれだったら、たぶん普通にドパガキになっている。

しかし考えてみると、俳優オタクに関しては三時間スワイプし続けているだけなら、五回目くらいで飽きるはずだ。だが彼女たちは六回目で新しいことに気づく。五回目まで見えていなかった上手奥の芝居が、六回目で急に見える。舞台は昨日と何も変わっていないのに、である。

つまり差分は舞台側だけにあるのではなく、観ている自分の側でも増えている。同じ舞台を反芻することで、自分の目の解像度が上がり、昨日は存在しなかった情報が今日は存在する。これはドパガキには決定的にできないことだ。

彼らは同じ動画を二度観ない。新しさは常に外から、アルゴリズムから供給されるものであって、自分の中で製造するものではない。オタクは同じ草を何度も噛んで、そこから栄養を出す。第五回で「フェイクフードに栄養はない」と書いたが、反芻すれば話は別なのかもしれない。牛もそうやって生きている。

▼第五回の記事はこちらから
「【推し活とメンタルヘルス】世界一幸せだった次の日に、世界一不幸になる」
https://www.wanibookout.com/164491/
*本記事の公開期間に伴い特別に公開いたします。

 

ドパガキの「ガキ」の部分に物申したいこと

さて、ドパガキ言説を眺めていて、もう一つ引っかかるのが「ガキ」の部分である。

この言葉は問題を「年齢」に押し付けている。Z世代、α世代というラベリングもさることながら、机に10分座れない子どもたちという捉え方なので、大人が若者の脳を心配する、という構造だ。

思い出してほしいのだが、平成にも「ゲーム脳」があった。「ネット中毒」があった。「ケータイ小説を読む若者は活字が読めない」があった。オタクはずっと「いい歳して子どもの遊び」と言われ続けてきた。

若者の脳が新しい刺激で壊れる、という物語は、刺激の名前を入れ替えながら十年おきくらいに再生産されている。ドパガキはその最新版に過ぎない。ネット上に年齢を問わない「ドパ中」という言葉があるのは、みんな薄々そのことに気付いているからだと思う。

ただし、私がドパガキ言説に対して腹を立てているかというと、実はそうでもない。むしろ思うのは、刺激に弱い個体は昔からいて、その個体は昔から「自分で刺激を調達する」という方法で生き延びてきた、ということだ。

私はオタクとして、刺激を自分で選んできた。何に金を使うか、誰を追いかけるか、いつ飽きてやめるか、全部自分で決める。ドーパミンの供給源を自分で選べることは、私にとっては自由の証明だった。

ショート動画のドパガキは、供給源をアルゴリズムに握られている。そこだけが、私と彼らの違いなのかもしれない。私は自分でリロードしていたが、彼らはリロードされている。

 ……いや、私もお題箱や掲示板に操縦されていたと言えばそうか。これはちょっと自信がない。

 

(つづきは次のページへ)

※オタク文化のリアリティを追求する本連載の特性を鑑み、表現の意図を尊重して掲載しております。本文は著者の見解に基づく内容であり、著者及び弊社が読者の皆さまに推奨する行為、意向ではございません。

illust./イラストAC

山野萌絵(めりぴょん)

ライター/コラムニスト。オタク。はてなブログや文学フリマで好き放題書いていたところ、なぜか2019年に商業連載デビュー。普段はnoteや同人誌で活動中。

X(旧Twitter) @_a030
note https://note.com/13weekslaterep


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