二宮健監督の最新作『MATSUMOTO TRIBE』公開記念! 新鋭の映画監督4人による超スペシャル座談会! 【前編】

二宮健監督の最新作『MATSUMOTO TRIBE』公開記念! 新鋭の映画監督4人による超スペシャル座談会! 【前編】


「二宮健のためにやってるんだよ本当に(笑)」


――この映画のメインのテーマのひとつに、「演出」や「演技」があると思います。劇中、松永監督は色々な方法で演者の感情をコントロールしているようにも見えたんですが、素人の素朴な疑問として、ああいった技法は一般的なことなんでしょうか? それとも、松永監督特有のものですか?

松永:語弊がないようにしたいんだけど、あれが普通かと言われると、あれは俺の普通でもないですからね。

――えっ、そうなんですか?

松永:あれだけの時間で松本ファイターという人間を変化させなければならないという状況があります。1週間待てるわけじゃない。短い時間でプッシュして変化させて、作品にさせなければいけないという状況がある。そういう中でのアプローチ。だからあんなスピードでああいうふうにやるってことは一般ではないし、僕にとっても普通じゃないですよ。もちろん相手も選ぶし。だから二宮に言ったのは、「これで松本君が役者を辞めてもいいって覚悟であるんだったら、俺はそういうプッシュの仕方をしにいくよ」と。それを乗り越えられたら続ければいいと思うし。

小林:撮影の後で心理学のカウンセラーの本を読んでたら、相手がコントロールできない感情を引き出すっていうのは絶対カウンセラーとしてやっちゃいけないことだって書いてあった。「これ松永さんやってたやつだ!」と思って(笑)。

一同:(笑)。

二宮:でもマツ兄、穂香ちゃんにあんなにキツかったのはどうしてですか? 

松永:だって、それは松本穂香という女優のことも松本ファイターと同じくらい当たっていかないと、作品の中で立って来ないでしょ。

二宮:やっぱ作品の構造を踏まえて逆算したってことですよね? それだったらすごいというか……。

松永:お前、そりゃあそうだよ、二宮健のためにやってるんだよ本当に(笑)。

二宮:いや、さすがっす、サーセン(笑)。

松永:もっと言うなら、僕が目指して思い描いてたのは、二人とも崩れ落ちてそこで何かシンパシーが生まれたら、っていうシナリオだったんだけどね。

二宮:確かにそれは話してた。崩れ落ちた後の二人がどういう会話をするのかってことも想定してた。

松永:そこまで到達したら面白い、何が出て来るのかなって思ったんだよね。晒し者にされた人にしか出せない顔や何かが出たら。

二宮:そういう意味では、ファイターはちゃんと晒し者になりましたね。

松永:晒されてるのはみんな一緒なんだけどね。

 

役者とは?


――劇中で松永監督が穂香さんやファイターに行っていたのは、建前の演技を剥がそうとする行為に見えました。

松永:最初に松本君を紹介された時、松本君は過去の二作みたいに「松本ファイターです!」って僕の前に現れたんですよ。カメラも何も回ってないのに。その嘘っぽさに嫌気が差して、本質を見たかったので、剥がそうと。

――剥がして行った先に何もない人っていると思いますか? 役者として何も見せるものがない人。

松永:何もないってことはないんじゃないかな。だって生きていく中でいろんな感情があると思うから。ただ、難しいんだけど、それがその役に合ってるかどうかは別。今回は松本ファイターという人の物語だから、何が正解で何が不正解もないわけですよ。剥がしていった後にもし茫然として動かなくても、それでも正解というか、それが松本ファイターそのものだし。

――「良い役者」と「良くない役者」、もしくは「相応しい役者」と「相応しくない役者」というものが仮にいるとして、それらを分けるものは何なんでしょうか?

松永:それはもう個々でしかないと思いますよ。監督によって意見も全然違うと思うし。オーディションして選んだ人と一緒に作品に向き合った時に、その人がその役に相応しくなかったとなったなら、それは選んだ僕の責任だと思います。監督側のミスですよね。

小林:監督が作ろうとしてる世界があるわけじゃないですか。その世界にとって正しいか正しくないかという判断が常にあると思うんですよ。だから、良い役者か悪い役者かという判断ではなく、作ろうとしている世界にとってその人が必要かどうかだと思います。

松永:誰かの監督の作品にとってはこの役者はすごく良いけれども、じゃあそれが僕の作品にとってもプラスかと言ったら、それはまた別の問題なんですよね。

――じゃあ、「良い役者・悪い役者」というのは、基本的にはない?

二宮:「良い役者・悪い役者」という表現を何の躊躇いもなく使うことには違和感がありますね。ただ、一般的に大多数が「この人良いよね」と思う役者と「こいつはちょっと……」と思う役者はいる。だから松本ファイターなんて、たぶん僕以外の人間は何も魅力を見出さないと思うし。

――監督が作ろうとしている世界にとって相応しい役者というのは、プロの役者ではなくてもあり得えるわけですよね?

松永:だから僕、本業の役者じゃない人が好き。役者とはそもそも何なのかという話になるけど、僕は表現者であれば誰でもカメラの前に立てると思ってる。役者に求めるのは表現してもらうことだから。それはミュージシャンでもぺインターでもいい。

菊地:「役者」というのをどこに置くかという問題があると思います。ジョン・カサヴェテスは「誰でも芝居なんてできる」とはっきり言ってます。たとえばこの映画では、僕は「菊地という助監督として普段のままでいてください」ということで入った。だから単に自分としてそこにいた。この映画のこの世界に「菊地という助監督」というキャラクターが必要だったから、そのままで映画の中にいられたわけです。もちろん、それが芝居なのかどうかは難しい問題です。でも、経験のない人でも映画の中に存在することはできる。逆に、プロの役者でも「良い役者・悪い役者」というのは相対的な価値観なので、作品によってはその役者は良いけど、他の作品では良くないということもありえる。これはあんまり一般論で簡単には言えない問題だと思いますね。

二宮:だからこそ監督、個人がいるってことですね。一個の公式じゃないからこそ、組み合わせで価値観が変わる。

松永:監督の力量によってはその人が良い役者にもなりうるし、悪い役者にもなり得る。でもそれは結果でしかないよね。だから「良い役者とは何ですか?」ではなく、『MATSUMOTO TRIBE』を観て「松本ファイターはどう映りましたか? 良い役者でしたか?」という質問はありうる。そう聞かれたら「YES」と答える。もちろん僕個人にとっての「良い役者の条件」ってありますよ。けども、それは個々の監督が持ってるもので、一般論で片づけられるものじゃないから、ここで何かを言うのは語弊がある気がする。

――では一般論ではなく、自分にとっての「良い役者の条件」は何ですか?

松永:良い役者というか、好きな役者でいいですか? 僕の好きな役者は、日常を豊かに生きてる人ですね。普段の生活をちゃんと生きてる人。苦しいことも楽しいことも恋愛も含めて、ちゃんと人として生きてる人が好き。まずそこが前提じゃないと、自分の組に入ってもらいたいとは思わない。役者というものが絶対的な最上級の場所にある人はあまり好きじゃない。日々の日常の中での延長線上に役者があるというか。だからさっき、「剥がして行った先に何もない人っていると思いますか?」という質問があったけど、みんな日常を生きてるんだから、何もないことはまずないと思うんですよ。その剥がした先にある何かの量が多い人が僕は好き。じゃあ、どうやってそれを培うのか? それは一生懸命生きるしかないんですよね。堕落することも含めて、いろんな意味でちゃんと生きるしかない。そういう人が僕は好きです。

小林:僕は、自分が見たことのないものを役者が見せてくれる瞬間が好きなんですよね。だから自分が想定してたことよりも広がったり、映画の新しい面を見られたりすると嬉しい。あとやっぱり、カメラの前でその人がちゃんと存在している感じ、役としてそこに生きている感じを見せてくれる人。ある程度こっちで準備して切り取ろうとはしてるんだけど、そういうものを見させてもらうと「あ、この人は良いな」と思いますね。

菊地:この質問は非常に難しいですね。好きな役者か……。例えば僕がよく一緒に仕事する役者って何人かいるんだけど、作品によって求めることが変わるんですよね。自分の近いところにある題材の場合、つまり日常的なことや同じ時代のリアリティのある問題を取り扱う作品だったら、ある種の生々しさや、役者が普段生きている日常を作品に足していってもらう。一方で、例えば時代劇とか、『スター・ウォーズ』みたいなフィクションの世界を作って演じてもらう時は、別の技術が必要になると思う。

二宮:僕も考えてたんですけど、垢抜けたナルチシズムを出せる人が好きだなと思いました。自分にとって心地良くて垢抜けたナルチシズムを出せる人。

――垢抜けたナルチシズムですか……。それってもう少し具体的に説明できますか?

菊地:たぶんそれが全てだよね。それはわかりやすく言えない気がする。

二宮:具体的には言えるんですけど、でもマツ兄と言ってることに近いと思います。言葉が違うだけで。

松永:わからない(笑)。俺も今近いのかなと思ったけど、わからない。

二宮:マツ兄よりもたぶん、僕は本質的なことはどうでもいいと思ってるかもしれない。そう見えるようにカメラに映ればいいな、というだけで。でも根本に「こいつ自分に自信ないとこんな表情できないよな」と思わせられる表情や演技を予想外の形で出してくれると、僕はテンションが上がって、それを撮りたくなる。一番それをやってる俳優が、トム・クルーズっていう俳優なんですけど(笑)。僕、トム・クルーズ大好きなんですよね。あれは垢抜けたナルチシズムだと思う。

 


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