わたしが女子校を礼賛したくない理由 #それでも女をやっていく

わたしが女子校を礼賛したくない理由 #それでも女をやっていく



 

会社員、フリーライターであり、同人ユニット「劇団雌猫」として活動するひらりささんが、「女」について考えるこの連載。
今回は中学高校の6年間を過ごしたという、女子校時代のことを振り返っていただきました。

 


 

女子校で過ごした日々は、子供のわたしがうっすら抱いていた「女だけでいれば幸せ」という幻想を、9割くらい打ち砕いた。

最初に私立中学受験の話が出たのは、小学校4年くらいだった。母がどこからか、「とある共学私立校の評判がいいらしい」との話をかじってきたのが始まりだった。わたしの小学校は特段荒れていたわけではないが、当時、些細な理由から、ものを隠す、悪口を言う、仲間外れにするようないじめが始まる流れが存在しており、彼女はそれをかなり気にしていたらしい。実際、わたしも誰かの逆鱗に触れたのか、学校の黒板に名指しで「りさちゃん死んで」と書かれたことがあった。

テストの成績はいいが、成績通知表で毎年「人の話を聞く」だけはC、スイミングスクールでも「列に並ぶ」ができずに最下位クラスという子供だったので、きっとわたしがしでかした何かが動機だったに違いない。慰めてくれる友人や同じ目にあった友人もおり、本人は長くは気にしていなかったが、親としては、人間関係が引き継がれる公立に進学するよりは、環境を変えて、わたしの性質を生かせる教育を受けさせたい思いが膨らんだようだ。入塾テストを受けたら授業料免除の特待生になれたのもあり、二週に一回の学力テストに一喜一憂しているうちに、出身校に合格した。

出身校は、1870年に設立されたプロテスタント系の私立女子校だ。良妻賢母を求め、女子教育の整備に非積極的だった明治政府下で、キリスト教宣教師たちが状況を変えようと作った学校のひとつで、生徒の自立を重んじているのを売りとしている。校則が4つしかなく私服でよいのを親が気に入ったのもあるが、学校にプールがなく中学一年次に外部で行われる集中水泳教室に参加すれば残り5年は授業なし、というのも、思春期のわたしにはとても大きな魅力だった。列に並ぶことができないから……ではなく、二次性徴と運動不足の中でどんどん不格好になっていく自分の身体を疎む気持ちが大きかったのと、小学校の友達と市営プールに遊びに行ったところで露出狂に遭うという出来事があり、肌を他人に見せる機会を極力避けて暮らしたかったのだ。

いじめに関して言えば、わたしを小学校で中傷してきたのは明らかに女子だったので、わたし自身は、女子だけだから解決する問題とは考えていなかった。それでも、周囲で観察できた負のループは、大体において「あの子ばかり男子としゃべってる」とか「あいつ女子とばっか遊んで女々しい」から始まっていたので、同性だけの環境ならそういうのもなくなるかなあ……という希望的観測はあった。

かくして始まった女子校生活。たしかに校風はわたしの性分に合っていて、今では進学して良かったと思っているが、もちろん、完璧なユートピアではなかった。

極めてアホらしい先入観でありここに書くのも恥ずかしいが、当時コバルト文庫で大ヒット百合小説『マリア様がみてる』(作・今野緒雪、挿絵・ひびき玲音)を貪り読んでいた影響で、きっと中高一貫女子校に行けば、なにか新しく劇的な変化が自分に起きて、華々しい物語の主人公、せめてサブキャラクターにはなれるのではないかと期待しすぎていた。言うまでもなく、そんなことは起きなかった。わたし自身がずんぐりむっくりした小熊だったのと同じくらい、同級生も先輩も、みんな生身で等身大の、体型の変化やニキビの増加や自意識の揺らぎと格闘するいきものだった。誰の性格も作・今野緒雪ではなく、誰の作画もひびき玲音ではなかった。学力による選抜はあれど、容姿も性格も家庭環境も善良さも人それぞれだった。

実在の異性がいなくとも、先輩をめぐって、友人をめぐって、そして、相手が持っているように思えるものをめぐって、諍いと妬みと嫉みが発生した。それはフィクションと違って、みじんも美化できるものではなく、中には、心身が傷つききって学校を去ることを選ぶ人もいた。わたしも、ストレートには進学せず、公立高校を受験しようかと真剣に考えていたくらいだ。

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Written by ひらりさ
ひらりさ

ライター・編集者。平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。 劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。 個人としてもアンソロジー同人誌『女と女』を発行するなど、女性にまつわるさまざまなテーマについて執筆している。

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