【INTERVIEW】日曜劇場『天国と地獄〜サイコな2人〜』で魅せた演技が話題の迫田孝也。その知られざる“素顔”に迫る! 

【INTERVIEW】日曜劇場『天国と地獄〜サイコな2人〜』で魅せた演技が話題の迫田孝也。その知られざる“素顔”に迫る! 


日曜劇場『天国と地獄〜サイコな2人〜』で、ドラマのキーマンとなる重要な役どころを演じ、一躍脚光を浴びた、俳優・迫田孝也。三谷幸喜との運命的な出会いをきっかけに演技力を開花させた迫田は、NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)、『西郷どん』(2018年)などで注目され、今では数々の舞台や映画、テレビドラマで幅広く活躍中だ。そして、2022年放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(作・三谷幸喜)では源範頼役を務めることが決定しているという。そんな、今もっとも勢いのある実力派俳優・迫田の、知られざる“素顔”、そして“役者人生”について、話を聞いた。

撮影/浦田大作 ヘアメイク/猪狩友介(ThreePEACE) 文/国実マヤコ

――『天国と地獄〜サイコな2人〜』では“まさか”の役柄でした。周囲の反響などはいかがでしたか?

「後半、役柄が犯人に結びついた時は、やはり“お前だったのか!”と、みなさん驚いていらっしゃいましたね。最初は“まさか、違うでしょ?”という感じだったのですが(笑)。“まさか”という部分では色々ありましたけど、個人的には自分が、死にゆく東朔也という役柄をきちんと説得力をもって演じられるかどうか、とにかく怖かったんです。序盤から、綾瀬はるかさんと高橋一生さんが素晴らしい演技をされていたので、僕がそのバトンを落としたら洒落にならないと、本当に恐ろしかったんですよ」

――「東朔夜」という役柄の演技に、えも言われぬ深みと凄みを感じたのですが、いったいどのような役作りをされたのでしょうか?

「序盤は登場シーンもまだ少なかったので、台本を読んでも細かい設定がわからない。ですから、ほかのシーンで気になる点を拾い集めて、現場に入った時にプロデューサーや監督と話をして解決しながら、それを一話からずーっと貯めていくといった作業をずっと続けていました。いよいよ“そろそろ準備しないといけないな”という5話、6話くらいの時くらいから、東朔夜という人間の人生を考え始めて……。元々、東朔夜という人間は真面目で真っ直ぐで、それがこじれて結果ああいう風になってしまった。そこで、こじれたことはとりあえず横に置いておいて、まっすぐで真面目にという部分に、自分と重なるものがあったんです。そこをひとつのとっかかりとして、ひたすら自分を東朔夜という役柄に近づけていきました」

――「真面目」というキーワードも出てきましたが、迫田さんご自身はどのような性格なのでしょうか? Twitterなどでは気さくで楽しい印象もありますよね。

「薩摩(鹿児島県)出身ということや、父親が教師をやっていたり、自分が長くスポーツをしていたこともあって、やはり上下関係を重んじる世界で子供時代を生きてきたことは、性格に関係しているかもしれません。薩摩をアピールする訳ではないのですが、“郷中教育”という薩摩地方独特の教育制度がありまして。その中に、上の者が下を育てるという特徴があるんですが、それがまあ厳しいんです。ぴしっとしておかないと怒られますし、僕の中にルールを破ることに敏感な面があるのは、それが根っこになっているのかもしれません。そんな中で生きてきたのがポンっと破れて、今があるんですよ。役者に関しても“そういうことはダメだ”と思っていたのが“いいんだ”に変わったんです。Twitterでおちゃらけてみたり(笑)」

――その「ポンっと破れて」役者を志されたきっかけをお教え下さい。

「そうですね。二十歳くらいの時に大学の夏休みを利用して、知り合いが経営していた奄美大島のホテルで一週間くらいアルバイトをしたんです。そうしたら一週間の滞在中に、なんと山田洋次監督のクルー&撮影隊のバカンス旅行がそのホテルで行なわれまして。もちろん最初は仕事としてですが、ご一行と遊んだり呑んだりする機会に恵まれたんです。それで、今まで触れ合うことのなかった世界の人達と話したりしているうちに、なぜか“僕は、この人達が作る作品の、出る側になりたい”っていう風に、たった3日間くらいの間で、瞬時に決めてしまったんです」

――それまでも、芸能の世界にご興味があったんですか?

「もちろん映画もドラマも観ていましたけれど、自分が出たいとは思ったことはなかったです。ちょっと目立ちたがり屋なところがあったくらいでしょうか……。部活なんかでもキャプテンをやっていましたし、どこか“前に出たい”という気持ちがあったのかもしれません。でも、その3日間がなければ、教師になっていました。ある意味“前に出る”ことになりますけど(笑)」

――それがきっかけとなり、上京して、劇団『STRAYDOG』に入られた訳ですね。

「そうですね。右も左もわからないままでしたが、“まずはここで頑張ってみよう”と思ったことを覚えています。そこから、ほかの劇団の方々との交流も広がって、ようやくこの芝居の世界を学べるようになったかな、という。ただ、7〜8年くらい続けた時に、ふと“このままだと、このまま終わってしまうな”って考えた時期があって、やはり本来やりたかった“映像”の世界に飛び込もうと劇団を辞めたんです。とはいえ、当時28、9歳でしたから、そうそう拾ってくれるところもなかった。そんな中でも声をかけて下さった事務所に入って、登録制の日雇いのアルバイトをしながら映像作品のワンポイントで出演させて頂いたり……。心折れることもありましたけど、思い込みは強かったんですよね。『いける!』という根拠のない自信だけは持っていたんです(笑)」

――そんな日々の中で、三谷幸喜さんに出会われたということでしょうか?

「実は、三谷幸喜さんとの出会いとなる『ザ・マジックアワー』のオーディションは、劇団を辞める1〜2年ほど前なんです。そこで合格したのは、間違いなく僕の人生の財産となりました。元々、三谷幸喜さんの『12人の優しい日本人』を観て、“この人と仕事をしたい”と思って上京してきていますから、オーディションは気合いが入りましたけど、不思議と舞い上がらず、落ち着いていたんです」

――当時はまだ無名ながら光るものがあった迫田さんを見つける三谷幸喜さんの“目”が凄いですね!

「だからこそ、それに応えたいという想いがあります。その後、三谷さんの舞台や映像作品に呼んで頂けるようになって、本当に貴重な時間を過ごしました。ちょっとした役であっても、三谷さんはわりとストーリーの中に入る役を演じさせて下さる。しかも、周りにいらっしゃるのは一流の方ばかりですから、劇団をやっている時には、なかなかそういう機会はありませんよね。本当に、貴重な時間なんです。とはいえ、一方では刑事Aであったり、役名の無いような役柄はたくさん頂けるんですけど、その先には、なかなか行けなかった。それで、所属していた事務所を飛び出すんですけど、結果を残している訳でもないですし年齢も35歳。いやあ、厳しかったですね……。そんな時に、『酒と涙とジキルとハイド』という三谷作品との出会いがあった。ふと、『実は今、事務所を辞めまして』っていう話をさせて頂いた時に『ちょうど舞台をやるから役があるんだけど』と。『あああ! やります! はい、勿論です!』と申し上げて、これが最後のチャンスだと思い、精一杯務めさせて頂きました。今の事務所に入れたことも含め、お陰さまで、ここで全てがガラッと変わりました」

――そしてその後も数々の作品を経て、先日の『天国と地獄~』があって……。まさに、下積み時代を見ていた神様が微笑んでいるかのようですね。

「実際に、『天国と地獄~』のお話を頂いた時も、“これが成功したらもうワンステップ上がれるかも?”という、まさに天の声のような感覚が自分の中にありまして。役へのアプローチも今までと違ったように思います。今までは、どこか頭の中で芝居していたのが、スコンと心のほうに落ちたと言いますか、今までやっていたことがようやく繋がってきたような感覚です。まさに、自分としても成長を感じた作品でした。“芝居たるものがなんぞや”みたいなものが、ちょっとだけ、つかみかけるじゃないですけれども、少しは触れられたような気がしたんです。もちろん、次作でも同じことが出来るのかという不安はありますが」

――ちなみに、迫田さんは心が折れた時、どうやって自分を鼓舞してこられましたか?

「落ち込む時は本当に落ち込みます。とにかく、もう、真っ暗にして(笑)。ヤケ酒もしますよ。泣き腫らすこともあります。でも、切り替えが早いので、その後すぐに這い上がってくるんですよ。一回とことん気にして“もうダメだ…俺なんかダメだ……”と落ちるとどこかで、“ああ、いける、いける”っていう(笑)。ただ、真っ直ぐに生きてきたと思っていましたけど、やはりポジティブなのかもしれません」

――今後、挑戦してみたい役柄などはありますか?

「役者という、俳優という仕事に関しては、基本的に与えられるものだと思っているので、与えられたものを、いかにイメージに近づけるかっていうところを面白みに感じています。ですから、自分が何をやりたいというよりは、期待をして投げかけられたその役を、自分がどれだけ昇華させられるか、という部分が楽しみです」

――ちなみに、迫田さんのご趣味は?

「そうですね、『真田丸』に出演してから歴史が好きだと思い出しましたね(笑)。読書は好きです。あと、南日本新聞でエッセイの連載(「迫田孝也のオモ語り」)を続けているのですが、文章を綴るのも好きかもしれません。もちろん勉強中ですが(笑)」

――最後に、『西郷どん』では方言指導も担当され、現在は「薩摩大使」にも就任されていらっしゃいますが、郷土・薩摩についてお聞かせ下さい。

「元々、郷土愛は強い方なのですが、鹿児島まで帰るには飛行機のお金がかかりますよね。ですから、若いころはほとんど帰っていなかったんです。ところが、『真田丸』に出演した時に、はじめて鹿児島の局が取材に来てくれたんですよ。それが嬉しくて……。そこで、これからは地元に対して“恩返し”ではないですが、大事にしないといけない、なんて考えていたら、頼まれたのが方言指導だったんです。最初は、関われるのは嬉しいものの、自分は役者だと思いたい部分もありましたし、悩みましたね。『真田丸』のスタッフさん達に対しても不義理になるんじゃないかと考えたりもしたのですが“やらなきゃ始まらない”と思いまして。結果として、やってみてよかった。知り合いがいっぱい増えましたし、台本作りから2年間ほど携わる中で、あそこで鹿児島との繋がりの地盤が築けたと思っています。お陰で、仕事で帰る機会も増えました。帰った時に声をかけてもらえるのも嬉しいですね。一度、北川景子さんとイベントで鹿児島に帰ったことがあるのですが、その時のオヤジの喜びようたるや(笑)。写真を撮りたいなんて言うような父ではなかったのですが、北川さんにOKをもらって撮って頂き、飾ってあります。今では、大好きな鹿児島の焼酎や食とも関わる機会がどんどん増えてきて、嬉しいですね。ずっと自称で言い続けていた『薩摩大使』に、本当になれましたから」

 


  ●プロフィール
迫田孝也/さこだ・たかや
1977年4月6日 生まれ、鹿児島県出身。舞台・映画・ドラマなどで幅広く活躍。これまでの主な出演作に、舞台『酒と涙とジキルとハイド』(2014年、18年)、『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』(19年)、映画『ザ・マジックアワー』(08年)、『記憶にございません!』(19年)、大河ドラマ『真田丸』(16年)、『西郷どん』(18年)などがある。昨今では、ドラマ『共演NG』(20年)、『天国と地獄〜サイコな2人〜』(21年)といった話題作に出演。今後は2022年放送のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の出演を控える。Twitter:@Yaddeyo