第2回 家族であり、戦友であり、同志でもある私たち
外向的気味な広海ちゃん、内向的気味な深海ちゃん。
深海 今振り返ると、周りから見れば私たちも“変わっている子”だったと思うんです。
広海 まず、その頃からぼくはエモーショナルで。実はぼく、A D H Dだと思うんですけど、教室で突然ウワーっと叫び出しちゃうような子供だったんですよ。机の前で座っていられないし、人の話も聞けないし、気になったらそこで止まってしまう。それこそ「円周率が3.14って誰が決めの?」とスイッチが入ったら最後、解決するまで終わらない。
深海 中学の数学の授業中に「なぜ方程式はXとYなのか」「AとBじゃいけないのか」と、先生に詰め寄っていった広海ちゃんの姿、今でも忘れられない(笑)。
広海 イチャモンをつけているわけじゃなくて、本当に知りたかったの! スイッチが入ったら止まらないのは今も同じで。本当にスマホがあってよかったと心から思ってます。すぐに調べて解決することができるから。
深海 また、ぼくはぼくで自閉傾向があって。中学1年生の終わりくらいに、突然、誰とも口を聞かなくなったことがあるんですよ。それこそ、広海ちゃんとも全く話さなくなってしまって。今思えば、多感な時期だったんでしょうね。自分で急に決めてしまったんですよね。「みんなが本音を話さないんだったら、口をきく意味がない」って、「理解してくれないんだったら、コミュニケーションを取る意味がない」って。
広海 本当、あのときはどうしたものかと思った!
深海 ベクトルは違うけれど振り切れてしまうところはやっぱり二人とも似ていて。
広海 そりゃあ、周りとも馴染めないだろうねっていう(笑)。だからこそ、私たちは常に一緒。何をするにも、どこに行くにも、いつも二人だったんですよね。
それでも私たちはちっとも不幸ではなかった
広海 今でこそ、人とかかわるのが大好きな私たちだけど。
深海 あの頃は、周りと馴染めなかったし、馴染もうとしなかった。でも、さっきも言ったけど、それを“不幸”だと思ったことはないんですよ。
広海 そんな環境だったからこそ見つけたもの、出会えた世界もたくさんあるからね。
深海 そのひとつが図書室。私たち、毎日、朝5時半に起きて学校に行っていたんです。
広海 家にいてもやることがないから(笑)。
深海 で、6時になると用務員さんが校門を開けてくれるんですけど。私たちは図書室へ直行。今思うと、厳しい現実世界から本の世界に入るこむことで救われている自分がいたのかもしれないけど。朝6時から1時間目が始まるまで、ずっとそこで本を読んでいたんだよね。
広海 それこそ、小学校の6年間で図書館にある本を全部読んだんじゃないかって思うくらい! まあ、読んだのはエンタメ作品がほとんどで。教科書や参考書的な本は一切読まなかったんですけど(笑)。それでも、あの図書室で出会った本からはたくさんの知識を得ることができたと今でも感じています。
深海 家でやることがないのは放課後も同じで。私たちは日が暮れるまで地元の海で遊んでいたんです。そこで出会ったのがサーファーの人たち。顔を合わせるうちに仲良くなって、サーフィンを教えてもらうようになったんですよ。そこで学んだことも沢山あって。例えば、普段は好奇の目で見られがちな私たちのことをちゃんと受け入れてくれる人がいることを、自分の周りにいる人や今いる場所が人生の全てじゃないことを知ることができたりね。
広海 私たちには厳しい現実から外の世界へと連れ出してくれて、いろんなことを教えてくれる、たくさんの本があった。それは今の私たちの基礎を作ってくれている気もするしね。だから、私たちはちっとも不幸なんかじゃなかったんです。ただ、これが一人だったらと考えたら……。
深海 またちょっと違うかもね(笑)。
広海 やっぱり双子だったっていうのは、隣に誰よりも理解してくれる人が常にいたっていうのは、すごく大きかったと思うな。
深海 辛いことも、楽しいことも、いつも一緒に乗り越えてきた。私たちは家族であり、戦友でもあり、同志でもあるというか。
広海 そりゃあ「絆も深まるわ!」っていうね(笑)。
構成・文/石井美輪
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