『家めしこそ、最高のごちそうである。』
子どものころから食べることが好きで、現在もそれはライフスタイルのなかで大きな位置を占めています。
といっても必要以上のお金をかけるような美食家ではないし、そもそもお金をかければ満足できるとも考えてはいません。
誇れるほど大層な舌を持っているわけでもなく、その証拠に妻からはいつも「繊細な味が判断できない」と指摘されてる(そのとおりだから反論のしようがない)。
ちなみに僕が住む荻窪は、おいしい店がたくさんあることでも有名なのですが、お昼ごろには売り切れてしまう「安斎」のうな重も、お湯をいれるだけの日清のチキンラーメンも、僕のなかではまったく同等。
あと、夕方にルミネB1で安い赤ワインとバゲットとチーズを買ってきて(トマトもあればなおよし)、夕方の時間を楽しんだりするのもいいですね。つまり、なんらかの幸せを感じることができれば、それでいいわけです。
「食」にかける思いはきわめてシンプルで、つまりはその時間を楽しめればいいだけ。
食べて「おいしい」、飲んで「おいしい」、食べながら話して「楽しい」……そういうことを実感できることが、僕にとっての「食べる楽しみ」だということ。
ただし、そんな自分の考え方のなかに、欠けているものがひとつあることもわかっています。
それは、調理ができないということ。
だから、おしゃれぶってチーズやトマトを買ってきたとかホザいてみてたところで、おしゃれに切り分けたりすることすらできないんです。
「男の料理」というものに対する憧れはたしかにあり、だから挑戦してみたこともありました。たとえば「やっぱり料理は出汁からだよなー」とわかったようなことを考えて専門店で鰹節を買い、大きな鍋で本格的に出汁をとってみたりね……(あ、あれって5年も前の話だ)。
かように、料理に関しては典型的な「口だけ番長」なわけで、だから読み終えたとき、そのスタイルに憧れと軽い嫉妬すら感じてしまったのが、『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』(佐々木俊尚著、マガジンハウス)。
1年半ほど前に出た本ですが、とても好きなので、家族全員が見られる位置にある本棚にいまも面出ししてあります。
ちなみに著者は、各方面で活躍するフリージャーナリストですね。
料理の本、しかも「男の料理」となると素材や道具にこだわりすぎたり(先の出汁をとる話は、そのいちばんダサいパターン)、いろいろめんどくさいものです。が、この著者が素晴らしいのは、まったく肩肘を張っていないところ。
基本は、「日常の食事をもっとおいしく、かんたんに」という考え方です。
具体的に言うと、
①まず最初に、食材から考えるということ。
②次に、味つけを選ぶこと。
③最後に、調理法を決めること。
「冷蔵庫にはなにがあったっけ?」というところから、この3つのステップを踏み、そこからメニューを考えていくというスタイルなのです。
「さあ料理だ!」と大上段に構えるから男の料理もうまくいかないわけで、たしかにこういう角度から捉えていけば、無理なく、スムーズに、おいしい料理をつくることができるかもしれないなと実感させてくれるのです。
そして、そういう考え方の原点というべき本書の「神フレーズ」はこちら。
『美食でもなく、ファスト食でもなく、でもお金もかからないし、手間もかからない、簡素でとても美味しい料理。』(81ページより)
そう、結局はこういうことなんですよねえ。
実はこのページには折り目をつけてあるんだけど、それは読み返したとき、何度もチェックすべき、つまり原点に立ち返るべきだと考えているから。
でも、原点はもうすでに確認しすぎているので、そろそろ実践に進まなきゃな。