『蚊がいる』

『蚊がいる』


もうすぐ今年も終わりです。
この時期になると「あっという間だったねー」みたいな会話になることが多いけど、ほんとにそうですよね。
そもそもここ数ヶ月は、気がついてみればおかしなルーティンができあがっていたのでした。
朝7時台から仕事をはじめ、延々と原稿執筆(いま、これを書いているのも8時前です。ありがとうございます)。

んで、運動不足で固まった肩甲骨周辺の筋肉をほぐすべく、11時になったらカイロプラクティックに行って、戻ってきたらまた仕事。そして疲れたら、買ったばかりのぶら下がり健康器にぶら下がる……。
夜にはワインを何杯か。
地味すぎる日常。

ちなみにぶら下がり健康器は、整体師に勧められたので最近購入しました。僕はあれをずっとばかにしてたんだけど、やってみるとなかなかいいです。おすすめです。
ってな話はともかく、基本的にはこんな調子で毎日が進んでいるので、しかも常に締め切りに追われているので、まぁ、たまには疲れるっちゃあ疲れるわけです。

だから気分転換のため、ぶら下がり健康以外にもちょっとした息抜きの時間をつくっています。
仕事柄、1日数冊の本を読まなければならないのですが、そういうものとは別に、疲れたときにちょろっと目を通せるような軽いエッセイをデスクに置いているのです。
頭が硬くなってきたなーと思ったら、それを手にとってぱらぱらめくる。

これがね、気分転換になるんですよ。少しずつ読むようにしているから進みは悪いんだけど、それがまたいい。
で、最近読んでいたのは、横尾忠則さんによる装丁も素敵な、『蚊がいる』(穂村弘・著/メディアファクトリー刊)。 

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著者は歌人です。が、エッセイも書かれていて、これもそんな一冊。
日常の、なんてことない小さな体験をモチーフにしたエッセイ。肩肘を張る必要がないから、読んでいるだけでリラックスできるんです。
だから、5分読んだだけでも気分転換になるわけですよ。
疲れた人にオススメ。
でね、そのなかから、とある「神フレーズ」が強烈な勢いで目に飛び込んできました。

どんなキャラクターであっても、この世のどこかには居場所がある。電車のなかで見かける説教好きなセクハラ酔っぱらいおじさんも、ちゃんとネクタイを締めて結婚指輪をしているではないか。
(29ページより)

「でも、内気だけは駄目」と、このあとには自虐表現が続いて、むしろ本文内における重要な箇所はそっちです。それはわかっているけれど、僕はここにぐっときたのです。

なぜってこれ、すごく大切なことだと思うんですよ。
誰にも居場所があるという考え方がまず正しいし、もっと説得力があるのは結婚指輪のくだり。どんなに嫌なやつでも、その家庭を想像してみると憎めなくなると僕自身も思っていたから、強く共感できたのです。

広告の仕事をしていた30代前半のころ、営業マンに連れられて、小さな不動産会社のオリエンテーションを受けに行ったことがありました。広告をつくるにあたって、まずはオリエンを聞けといわれたので。

小さな部屋に通されると、不機嫌そうな、頭の禿げた小太りのおじさん登場。のっけからハイテンションで、ホワイトボードをばんばん叩きながら「俺がここに書くことを全部メモれぇっ!」と、ものすごい上からおっしゃる。
メモをとっている間にも彼はどんどん興奮し、挙げ句の果てにはイッちゃった目をして「私が会社だぁっ!」とか叫ぶ(実話)。

「あー、もうこれ無理。こういう人苦手だわー」と思いながら嫌々聞いていたのだけど、あるときふと感じたのです。
「でも考えてみると、この人にも好きで結婚した女の人がいて、もっと好きな娘がいたりするかもしれないんだよなぁ……」って。

それは、聞くに堪えないオリエンから無意識のうちに距離を置くための自己防衛策だったのかもしれません。が、いずれにしてもそう思った瞬間、目の前で興奮しているおじさんが、ちょっと憎めなくなったのです。
「きっと、この人も忙しすぎたり社内でいろいろあったりして、疲れてるんだろうなあ。でも家に帰ったら、すっごくやさしいお父さんだったりして」みたいな。

すると、そんな気持ちが伝わったのでしょうか、ひと息ついたところでおじさんの表情が少し和らいだのです。そして、いうのです。
「……(ため息をつき)いやぁ、俺もいろいろ大変でさぁ……」

ここからしばらく愚痴大会がはじまったのですが、「やっぱりな」という感じでした。きっと、彼は疲れていたのです。ついでにこちらに対して、なにかを感じてくれたのでしょう。

だとしたら、もうそれ以上嫌がる必要はないよね。というわけで、以後のオリエンは穏やかに進んだのでした。
上記の「結婚指輪をしたおじさん」は、たぶん、僕が遭遇したあのおじさんみたいな人だ。
真面目で正義感が強いんだけど、どうにも不器用で、でも実は奥さんを大切にしているというような。
思いっきり勝手な想像なんですけど、その勝手さが彼と僕をつないだのは事実だし、そう考えた方が人生は楽しいじゃないですか。

疲れ気味の日常のなかで、そんなことをふと思ったのでした。
ちなみに例のおじさんは、「私が会社だぁっ!」と叫んでいたにもかかわらず、その数週間後には会社を辞めたそうです。

もう20年以上前の話だけど、いまごろどうしているのかな。

『蚊がいる』

 

Written by innami atsushi
innami atsushi

印南 敦史(いんなみ・あつし)/作家・書評家・ライター 1962年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は、「ライフハッカー[日本版]」「マイナビニュース」 「ニューズウィーク日本版」「Suzie」など多くのメディアで連載。最新刊『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社刊)がベストセラー記録更新中。FMおだわら78.7Mhzで 毎週日曜日20:30~21:00(再放送:金曜22:30~23:00)、ラジオ番組「印南敦史のキキミミ図書館」のパーソナリティも。http://book-radio.net

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