『村上朝日堂はいほー!』

『村上朝日堂はいほー!』


ある日の午後、友だちの中島くんからスマホにメッセージが届きました。

「印南さん、お久しぶりです。これから○○cafeに行くんですけど、彼女も一緒なんで、もしよかったらお会いできたらなと思って連絡しました〜」

アルバイトをしながら音楽をやっている中島くんとは、4年前に知り合いました。息子が通う大学の学園祭にOBとして参加していて、そのパフォーマンスがよかったので声をかけたのです。

なかなかおもしろい出会いではありました。そのとき「来週、荻窪の○○cafeという店でライヴをやるんで、よければいらしてください」と誘われたのですが、そこは、偶然にも我が家から歩いて2分のところにあるお店だったからです。

そんなわけでユルいつきあいがはじまり、以後もライヴを見たり、僕がオーガナイズしているDJイヴェントでパフォーマンスしてもらったり、彼のバンドが仕切るパーティで僕がDJをやったりと、振り返ってみれば、この4年の間にいろいろなことをやってきました。

ちなみに、少し前まで中島くんがやっていたバンドには女性ヴォーカリストがいました。でもふたりは恋仲というわけでもなく、そもそも中島くんから、浮いた話のたぐいを聞いたことはありませんでした。

思ったこと(いわなくてもいいことを含む)をなんでも口に出してしまうやつなので、そういうストレートなところが繊細な女性には理解されにくいのかなと考えたこともなかったとはいえません。

しかしそれ以前に、中島くんに彼女がいないことを気にしたこともなかったんだよなー。
だから、メッセージにあった「彼女も一緒なんで」というフレーズが、なんだか不思議だったわけです。

かくしてその日の夜、○○caféに顔を出してみました。
彼女の荒井さんは中島くんと同じ30歳だというのですが、自家焙煎のオーガニックコーヒーショップを経営しているというやり手。アイデアも豊富だしすごくパワフルで、物怖じしないところが印象的でした。初めて話したことを意識させないほど、人を安心させるものを持っていたし。

で、3人でワインを飲みながら盛り上がっているうち、ひとつの違和感に気づいたのでした。
普段なら、相手の言葉に対して3倍ぐらいのツッコミを返してくるはずの中島くんが、なぜか“受け身”でおとなしいのです。

荒井さんがズバッと本質的なことをいっても、「うん、うん」という感じで反論しない。
そんな彼を初めて見たので驚き、思わずこう口にしてしまいました。

「なんか君たち、中身は男女が逆な感じなんじゃない?」

なにしろ口の減らない中島くんですから、そんなことをいわれたら絶対に反論してくるだろうなと思っていました。ところが意外なことに彼は照れながら、「なんでわかるんですか?」と笑うのです。
(少なくともふたりでいるときには)荒井さんが男性的な、そして中島くんが女性的な立ち位置になるということを、彼自身もわかっていたのでしょう。

それは、とても衝撃的で、とても心地よい体験でした。理屈っぽく饒舌で、なんでもかんでも口に出してしまう(はずだった)中島くんは、完全に荒井さんに「してやられて」いたわけです。でも、それがすごく自然で嫌味がなく、だから「これはいいカップルだなぁ」と素直に感じたのです。

1989年に初版が発行された『村上朝日堂はいほー!』(村上春樹:著/文化出版局)は、作家の村上春樹さんによるエッセイ集。1983年から約5年間にわたり、ファッション雑誌『ハイファッション』で「ランダム・トーキング」というタイトルで連載されていたエッセイがまとめられています(現在は新潮文庫から出ています)。

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独特の世界観を持った小説もさることながら、エッセイもまた、村上春樹さんの魅力のひとつ。日常の、なんてことないエピソードが綴られているわけですが、肩の力がほどよく抜けた感じがなんともいいのです。

そのなかに、「わり食うやぎ座」というエッセイがあります。山羊座の自身と、天秤座の奥様との関係性について書かれたもの。山羊座は地に足をつけて地道に生きているけれど、天秤座はあちこち飛びまわってチャラチャラしている。だから、山羊座と天秤座の組み合わせはあまり相性がよくないらしい、というようなことが書かれています。

「もともとは僕は占いというのに興味のない人間で、星座とか血液型とか天冲殺とか、そういうことはべつにどうでもいいと思っている」というわりには山羊座と天秤座の相性にこだわっているようにも思えるのですが、それはまあいいでしょう。

そんなことより、もっと重要な部分があります。「ときどき女房に対して『これはいくらなんでもあんまりだ。理不尽だ。ひどすぎる』と頭にくることもあるけれど」といいながらも、夫婦の本質を突いた、とても素敵な一文をここに残しているのです。そこで今回は、それを「神フレーズ」としたいと思います。

でもそれからずいぶん長い年月が流れたけれど、なんとかまだ一緒に暮らしている。
(14ページより)

もしかしたら、「当たり前のことじゃん」と思われるかもしれません。
けれど、その“当たり前”を続けていくことこそが、結婚生活のいいところだと思うのです。
「あんまりだ。理不尽だ。ひどすぎる」と感じたとしても、それを流せてしまえるような感覚、その連続こそが結婚。

さて、中島くんと荒井さんの話です。

ふたりのことを見ていたらなんだかうれしくなって、思わず「早いとこ結婚しな」と余計なことをいってしまいました。それに対して荒井さんがカラッと「結婚しよっか」と伝えると、「結婚かー」とややテレる中島くん。

しかしまぁ、僕がそんなことを提案するまでもなく、彼らはそのうち、自分たちにとって最適な着地点を見つけるのでしょう。

 

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Written by innami atsushi
innami atsushi

印南 敦史(いんなみ・あつし)/作家・書評家・ライター 1962年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は、「ライフハッカー[日本版]」「マイナビニュース」 「ニューズウィーク日本版」「Suzie」など多くのメディアで連載。最新刊『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社刊)がベストセラー記録更新中。FMおだわら78.7Mhzで 毎週日曜日20:30~21:00(再放送:金曜22:30~23:00)、ラジオ番組「印南敦史のキキミミ図書館」のパーソナリティも。http://book-radio.net

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