最終話「漁師とおかみさん」

最終話「漁師とおかみさん」


多くの人が知るように、民話やおとぎ話のオリジナルには残酷な描写が多い。

自分をタヌキ汁にしようとしたおばあさんを逆にババ汁にして煮込んだタヌキの背中にウサギが火をつけて泥船に乗せて溺れさせる「かちかち山」や、何も悪いことをしていない鬼たちを鬼であるとの理由で虐殺して金銀財宝を奪い取る「桃太郎」、カニに渋柿をぶつけて殺したサルに臼やハチや昆布などが徒党を組んで徹底した仕返しをする「猿蟹合戦」などが日本の民話では典型だが、継母が幼い息子をシチューにして実の父親に食べさせたり魔女をかまどで焼き殺したり熟睡していたオオカミの腹を切って中に石を詰めたりするグリムもすさまじい。

だから今は、ウサギとタヌキは最後に仲直りするとか、欲深なおじいさんは反省してその後はまっとうに暮らしましたとか、キリギリスは心を入れ替えて勤勉に働くようになったとか、子供向けに毒を徹底的に抜いてアレンジされている場合が多い。

残虐なだけではなく、民話やおとぎ話にはまったく意味不明の物語も少なくない。
やっぱりグリムに多いような気がする。
例えば「はつかねずみと小鳥と腸詰の話」。
以下はすごく大雑把なあらすじだ。

ネズミと小鳥と腸詰は三人で幸せに暮らしていた。小鳥は森で薪を集め、ネズミは水を運んで火を炊いて食卓の用意をして、腸詰が料理担当だ。
でもある日、友だちの鳥から「君だけが苦労している」と言われた小鳥は、翌日に「役割を変えよう。僕は水を運ぶ」とネズミと腸詰に告げる。こうして料理はネズミが担当し、腸詰は薪を集める日々が始まった。
でも腸詰は森でオオカミに食べられてしまう。ネズミは腸詰がしていたように熱したフライパンの中で転げまわりながら自分の味を食材につけようとして焼け死んだ。驚いた小鳥は持っていた薪をかまどの前に落として家は燃えてしまう。あわてて井戸から水を汲もうとした小鳥はつるべごと井戸の中に落ちて溺れ死ぬ。
(グリム童話「はつかねずみと小鳥と腸詰の話」より)

……まったく意味がわからない。
仕事を安易に変えてはいけないとの教訓が語られていると解説している資料があったが、いやいやそれは違うだろ、と思わずつぶやいてしまった。

もうひとつ、残虐で意味不明な例を挙げる。
タイトルは「コルベスさま」。

赤い車輪がついた荷馬車を四匹のネズミに引かせてメンドリとオンドリは出発した。目指すはコルベス様の家。途中でネコと石臼、卵、アヒル、留針と縫い針たちと出会い、彼らも荷馬車に乗ってコルベス様の家に着いた。しかしコルベス様は留守だった。そこでメンドリとオンドリは止まり木へ、ネコは暖炉、アヒルは井戸のつるべおけ、卵はタオルにくるまり、留針は椅子のクッションに刺さり、縫い針はベットの枕の真ん中にとびこみ、石臼は玄関の上の屋根で横になって、コルベス様がかえってくるのを待っていた。
夜になって帰ってきたコルベス様が暖炉に火を起こそうとしたら、隠れていたネコがコルベス様の顔に灰をぶつけた。顔を洗うために井戸に向かったコルベス様はアヒルに水をかけられ、タオルで顔を拭こうとしたら割れた卵の中身で目が見えなくなり、椅子に座れば留針が尻を突き刺し、恐れおののいてベッドに横になれば枕に刺さっていた縫い針が頭を刺し、悲鳴をあげて外に出たら石臼が落ちてきてコルベス様を押しつぶした。
コルベス様はとても悪い人だったにちがいない。
(グリム童話「コルベスさま」より)

 ……ここで物語は終わり。
これはひどい。そして意味不明。言い出しっぺのメンドリとオンドリは終盤では出てこない。物語として破綻している。

ちなみに最後の一行「コルベス様はとても悪い人だったにちがいない。」はグリムたちが編纂した最初の頃の版にはなく、第6版からようやく加筆されたらしい。


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Written by 森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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