最終話「漁師とおかみさん」

最終話「漁師とおかみさん」


その理由は自明だ。さらにとても普遍的だ。新しいだけの家で満足できずに石造りの御殿などと思わず口走ってしまったが、その段階で自分たち夫婦には分不相応であることに、おかみさんは気づいていたはずだ。
ならばそこで満足するのか。あるいは元のあばら家に戻すのか。どちらもできない。
なぜなら権力は肥大して暴走する。一度手にしたなら手放すことはできなくなる。それは世の習いだ。

「新聞なき政府か、政府なき新聞か。いずれかを選べと迫られたら、私はためらわず後者を選ぶ」

これはアメリカ独立宣言の起草者のひとりで第3代大統領でもあるトマス・ジェファーソンが残した言葉だ。
つまり政府(政治権力)が存在するためには、これを監視する新聞(メディア)の存在が必要不可欠であると述べている。
もっともジェファーソンは、「新聞をまったく読まない人は読む人よりも真実に近づいている」などとトランプ前大統領が口にしそうなことも言っている。まったく矛盾したフレーズだが、奴隷制廃止を唱えながら自分は大勢の黒人奴隷を使役していたことが示すように、かなり矛盾した人物だったようだ。
もっとも、政治権力は腐敗して肥大するからこそ、これを監視するためのメディアの存在が前提であるとの提言は、新聞だけではなくテレビやネットなどメディアが多様化した現代においても、まったく変わらない(むしろより重要さを増した)基本的なテーゼだ。

多くの権力者は権力を際限なく求める。
もう十分とかこのへんでいいかとは思わない。

例えば豊臣秀吉にナポレオン・ポナパルト、チンギス・ハンにアレクサンダー大王、いや歴史をたどる必要はない。今の世界を見渡しても、自らの権力の座を長く維持するために憲法を変えたプーチンに習近平、ヨーロッパ最後の独裁国家と呼ばれるベラルーシのルカシェンコ、あるいはミャンマー国軍トップのミン・アウン・フラインなど、権力者は自分の力を手放すことを過剰におそれる。

そしてそのためにジャーナリストを投獄し、メディアに圧力をかけ、自分の意のもとにコントロールしようとする。
その意味ではこの国も(ロシアや中国やベラルーシほど剥きだしではないけれど)、報道の自由度ランキングが11位から67位まで下がる過程と並行して重要法案の相次ぐ強行採決や官僚人事権の独占、公文書の改ざんや破棄などの手法を駆使しながら長期政権を維持した安倍政権(岸信介~佐藤栄作~という戦後の系譜をたどれば血脈による独裁との見方もできる)や世襲議員が大勢を占める自民党による長い支配構造などが示すように、ゆるやかで無自覚でとりあえずは民主的に支持されている独裁体制といえるかもしれない。

とにかくおかみさんは不安だった。

富を持てば持つほど、力を持てば持つほど、屋敷が大きくなればなるほど、その不安は強くなった。
だから家来を求める。側近で周囲を固めたくなる。
決して今の地位に飽きたわけではない。飽きたふりをしているだけなのだ。

とうとう王さまになったおかみさんですが、やがて王さまにもあきてしまいました。
「王さまよりも、法王さまの方が偉いからね。
今度は、法王さまになりたいね。
・・・さあ、何をグズグズしているんだ。
はやくカレイに、言っておいで」
漁師からその願いを聞いたカレイは、少しビックリした様子ですが、今度も願いをかなえてくれました。
「家に戻ってごらん。法王さまになっているよ」
家に帰ってみると、おかみさんは多くの王さまをしたがえた法王さまになっていました。
とうとう、人間で一番偉い人になったのです。
でもやがて、おかみさんは法王さまにもあきてしまい、漁師に言いました。
「法王さまと言っても、しょせんは神さまのしもべ。
今度は、神さまになりたいね。
・・・さあ、何をグズグズしているんだ。
はやくカレイに、言っておいで」
その言葉に、漁師は泣いておかみさんに頼みました。
「神さまだなんて、そんなおそれおおい。お願いだから、やめておくれ」
でもおかみさんは、考えを変えようとしません。
漁師は仕方なく、もう一度カレイのところへ行きました。
するとカレイは、あきれた顔で言いました。
「お帰りなさい。おかみさんは、むかしのあばら家にいますよ」
漁師が家に帰ってみると、お城も家来たちもみんな消えてしまって、前の汚くて小さな家だけが残っていました。
それから漁師とおかみさんは、今まで通りの貧しい生活をおくったということです。
(前掲書)
 

物語はここまで。

もし僕がグリム兄弟のどっちかならば、この話の最後に以下の一行を加えるだろう。
生活は貧しいけれど、おかみさんは以前のように穏やかで優しい妻へと戻り、二人は幸せな時間を取り戻しました。

(イラスト 鈴木勝久)

*連載はこれで最終回となります。ご愛読ありがとうございました。

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Written by 森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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