日韓で共通する「結婚への強迫観念」から抜け出すには?


――日本には「遠くの親戚より近くの友人」という言葉があります。

ハナさん:遠い親戚より近い友達、韓国にもそんな言葉がありますが、まさにそうだと思います。

 

考えれば考えるほど、互いの家族にとって私たちは蜜のような甘い存在だった。
(中略)
慣習と家族関係と責任と義務で踏みにじられてしまう以前の、好きな友達を産んで育ててくれた両親に抱く親しみの情。
(P271「私たちはお婿さん」)

――このページは特に、心に響きました。結婚し、家族になると「個人」より「立場」が優先され、大変な印象があります。「良い母でいなければならない」「良い嫁でいなければならない」。今、もし友人がそうやって苦しんでいたら、どんな言葉をかけますか?

ハナさん:「良い人でいれば十分だ」と声を掛けます。個人は個人であって、義務感で動いていたら負担じゃないですか? 例えばもし、どちらかのオモニ(お母さん)から料理をいただいたら「オモニ、ごちそうさまでした!」と気持ちよくお礼を言う。義務感ではなく、ありがたいという素直な気持ちを伝えるだけで、温かい距離感で付き合うことができます。私たちはお互いその関係が合理的だし、うまくやっています。

ソヌさん:今のお互いの適度な距離感がちょうど良いんです。お互い気にかけることもあって、ありがたいこともあって。お互い好きで一緒に住んでいるけれど、やらなきゃいけないことはない。縛りもないし、上手くいかないと思ったら、いつでも止めることができるというのもある。お互いの親に対して義務感もないし、だからこそうまくいっているということもありますが、そろそろこれが普通の家族にもあるべきなんじゃないかなと思います。

 

――『女ふたり、暮らしています。』の中には、一緒に住むときの教訓がたくさん詰まっていると思いました。私も今、友人と暮らしているのですが、彼女は気遣いの神なゆえに小言が多くて、自分が悪いと理解していても気分が悪くなって喧嘩することがあります(笑)。本を読んでたくさん共感した部分がありました。

ソヌさん:そんな話をたくさん聞きます(笑)。今はもう喧嘩しないですよね? と聞かれるけど、今も喧嘩します(笑)。毎日生活をしなければいけないですからね。小さな喧嘩はしますけど、お互い努力することが重要ですよね。ふたりしか住んでいないとはいえ団体生活なので、ずっとお互いが努力し続けないと。

ハナさん:自転車のペダルを踏めば、転ばずに前に進みますよね。自転車を運転するように、喧嘩をしてもまたペダルを踏んで1日1日を過ごしていくことができます。「けんかの技術(P136)」という章が読者の方からも人気なんです。一緒に住んだら、喧嘩をする勇気も必要だし、技術も必要です。私たちはその部分があるから成長できると思うし、喧嘩が必要なときは、喧嘩してさっさと仲直りして、またペダルを踏んで1日を過ごしていく。そういったお互いの協力があって、上手くいっています。

ソヌさん:もともと私は喧嘩するタイプではなかったんです。傷つくことがあったら会わずに、ほとぼりが冷めたらまた会ってというような感じでした。ひとりで住んでいたらそれでも良かったんですが、一緒に住んでいたらそうは言っていられないので。ぶつかったら喧嘩することも必要なようです。もちろん、お互いの立場を尊重しながら。ひとりでいたら旅行も気楽にできて、ひとりで気ままに過ごすことができますが、友達と住んでみて少し考え方が変わりました。一緒に住んだからこそわかることや、楽しみが増えました。新たな楽しいことが生まれたんです。

ハナさん:ふたりとも、ひとり暮らしの期間が長かったからこそ、誰かと住みたいという気持ちが生まれたようです。もし20代初めからふたりで住んでいたとしたら、経済的な問題もあったでしょうし、今よりもっとぶつかって長く一緒に住むことはできなかったんじゃないかと思います。ひとりで旅行に行ったときの残念な面を知ったからこそ、誰かと住むことの尊さ、大切さを感じることができるようになったんじゃないかと思います。

 

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撮影・文/東山サリー
通訳/梁知雅


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