
第2回 家族であり、戦友であり、同志でもある私たち
生まれたときからずっと“ニコイチ”
広海 振り返ると、私たちの人生って本当に“ニコイチ”だよね。
深海 たまに聞かれるんですよ。「ずっと一緒に人生を歩んでいるけれど、二人の意見が分かれることはないの?」って。でも、これが不思議と本当になくて。もちろん、小さな小競り合いはしょっちゅうしますけど。ただ、重大な決断を下すときは当たり前のように「こっちだよね」って、自然と意見が合致するんです。
広海 その理由は……やっぱり「双子だから」かしらね(笑)。
深海 自分がゲイだと気づいたときも同じで。実は私たち、お互いにカミングアウトしあったことはないんですよ。当たり前のように「この人も同じなんだろうな」と思っていたから。
広海 だから、「彼氏ができた」という報告に対してもお互いに「へぇ、そうなんだ」って。当たり前のようにわかりあえてしまう“一心同体”感が私たちの間にはあって……。その理由もやっぱり「双子だから」になるのかな。
深海 もしも、私たちの間に“双子”という一言では解決できないような深い絆があるとするならば、いろんな壁を一緒に乗り越えてきたことも大きいのかもしれないよね。
広海 前回もざっくりとお話させていただきましたが、私たち、幼少期はほんと〜に貧乏だったんですよ。小学校に上がる頃までは普通に生活できていたんですけど、育ての親である祖父が病気になってしまって。さらに、勤めていた会社が倒産して……。そこから、急に生活が変わって驚くほど貧乏になっちゃって。
深海 ただ、私たちはそれを不幸だとはあまり思わなかったんだよね。“何も持っていないこと”が当たり前だったから。人が怒りを覚えたり、誰かを憎んだり恨んだりするときって、何かを搾取されたときだと思うんです。でも、その搾取される何かをそもそも私たちは持っていなかったので。奪われる恐怖もなければ不安もない、ただただ、目の前にある小さな幸せを見つけるだけでハッピーだったんです。
広海 お金もなければ、親もいない、友達すらもいなかったしね(笑)。
深海 友達、全然いなかったね(笑)。今でも忘れられないのが“ランドセル事件”。私たちが生まれ育ったのは小さな田舎町なので、やっぱり悪目立ちしてしまうというか、中には貧しい私たちの悪口を言う人もいて。確か、上級生に新品ではないお古のランドセルを「汚い」「貧乏」「可哀想」と笑われたんだよね。それを聞いた広海ちゃんが烈火のごとく怒りくるって、その子のランドセルをボッコボコにして。
広海 ぼくが許せなかったのは、その子に私たちの悪口を吹き込んだのがその子の親だったから。そんな大人たちに対する怒りもあったんです。
深海 さっき「搾取されるものは何も持っていなかった」と言ったけれど、私たちには奪われたくないものがひとつだけあって。それが“人としての尊厳”。周りから「可哀想」と思われることだけは本当に嫌だったんだよね。
広海 まあ、どこからどう見ても“可哀想な子”だったんですどね(笑)。でも、その一言にはすごく敏感だった。自分たちだけでなく私たちを育ててくれた祖父母まで見下されているような気がして。子供ながらに「おじいちゃん、おばあちゃんに申し訳ない」って思っていたんだよね。