第3話 子供たちが屠殺ごっこをした話

第3話 子供たちが屠殺ごっこをした話


 ドイツだけではなく世界中で、民話はオリジナルに近づけば近づくほど、凄惨で残酷で性的になる。例えば日本の「カチカチ山」には、おばあさんを煮込んだ婆汁をおじいさんがタヌキ汁だと思って食べてしまう場面がある。ウサギに復讐されたタヌキは背中に火をつけられて大やけどを負い、それでもウサギを信じて最後には泥船に乗せられて湖底に沈む。

 子供は純粋でガラス細工のように傷つきやすい。大人はそう思う。だから凄惨な話を読んだときの子供の思いを、きっと大きな傷を受けるはずだと忖度する。セクシャルな話など読んだら純白な心が汚れてしまうと危惧する。そして目の前から隠そうとする。

 確かに僕も子供のころにカチカチ山を読んだけれど、記憶では婆汁の話は割愛されていたような気がするし、最後にタヌキが改心して爺と婆とウサギとタヌキで笑顔になりながらめでたしめでたしで終わっていたはずだ(これは爺と婆の家の前で二人と二匹が微笑み合っている最後の挿絵を何となく覚えているのでほぼ確かだ)。

 でももしも子供時代にオリジナルを読んでいたとしても、それほど大きな衝撃は受けなかったような気がする。子供の心は大人が思うよりは強靭だ。残虐で陰惨なことに耐性がある。いやむしろ大好きだ。近所の神社の境内では、子供たちがカエルの口やセミのお尻に2B弾(紙巻きたばこをやや細くした筒状の子供向け爆薬。昭和41年に製造中止となった)を突っ込んで遊んでいた。アリの巣があれば中に執拗に水を入れていた子供もいる。生殖のメカニズムを知らなくても、性的な好奇心は何となくある。気に入っている女の子と二人きりになると何となくドキドキした。ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』に登場する男の子たちは、漂着した無人島で獣を狩ったりしながら自給自足の生活を続け、いつからか互いに殺し合うことにためらいがほとんどなくなっていた。汚れたからではない。変質したわけでもない。生きることに純粋だからだ。

 ただし仮にそうだとしても、残虐で凄惨で性的だと商品にはならない。だって実際に本を買うのは、子供ではなく子供を忖度する大人なのだ。こうして民話の多くは、グリム兄弟や柳田国男によって商品としての価値を付加される過程と並行して、少しずつ毒を抜かれて中和されてきた。

 吉原高志・素子は、共著の『グリム「初版」を読む』で『子供たちが屠殺ごっこをした話』が一版だけで消えた理由を、編纂された他の話に比べて、この話の抽象度が圧倒的に低かったからではないかと推測している。確かに、いきなり実際の地名が登場することも含めて、民話や昔話として解釈するには現実度が高すぎる。子供を殺す過程の記述も、咽喉からほとばしる血を女の子が皿で受けるなど、オリジナルはかなり写実的だ。つまり『子供たちが屠殺ごっこをした話』は、ノンフィクションである可能性がある。

 だからこそグリムは、この話を二版以降は削除した。現在のフリースラント州の住民たちに抗議されたのかもしれないし、遺族に配慮した可能性もある。そう考えることがいちばん的確だとは思うが、グリム兄弟がこの話を一版だけで消してしまった背景について、別の説を唱える人もいる。高木昌史が書いた『決定版 グリム童話事典』によれば、この話は同時代のドイツの作家であるアヒム・フォン・アルニムが発表した話と酷似しており、兄弟は一版を刊行すると同時にアルニムから抗議されていたらしい。

 ……どちらか、ではなく、どちらも理由だったのかもしれない。プライバシー侵害と著作権の問題。そうなると削除した背景が一気に現代風になる。考えたら書籍という形態は今も昔もほとんど変わっていないのだから、本質的な問題も変わっていないと考えることは当たり前なのかもしれない。

 ただしグリム兄弟が生きていた19世紀に比べれば、メディア環境は著しく変化した。その最先端はネットだ。僕も日常的に利用している。もちろん今回の話を書くにあたっても、いつものように複数のキーワードをネットで検索した。日本版ウィキペディアの『子供たちが屠殺ごっこをした話』の記述には、井原西鶴の裁判小説集『本朝桜陰比事』巻四の二「善悪二つの取物」が、類似しているが微妙に結末の異なる話として紹介されている。

 中学から高校にかけて(つまり最も本を読んでいた時期)、井原西鶴はけっこう愛読した。特に『日本永代蔵』や『世間胸算用』などに収録されたショートストーリーが持つペーソスは、同時代に読んでいたオー・ヘンリーより一枚も二枚も上だと思っていた。

 「善悪二つの取物」の舞台は京都だ。七歳の男の子が友だちと遊んでいたとき、その一人の胸を小刀で刺してしまうという事故が起きた。友だちはすぐに死んでしまう。子供の遊びとはいえ、さすがにこれは捨て置けない。友だちを刺した男の子は、奉行所で裁きを受けることになった。

 まずは加害側と被害側の家族が呼ばれた。じっと考え込む奉行の前で、加害側の男の子の両親は寛大な対応を必死に懇願し、被害者となった子供の両親は泣きながら厳罰に処すことを訴えた。以下は原文だ。

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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