第4話 雪女

第4話 雪女


 「何が不満なのよ」
 「そもそも何でわしを殺した」と怒気を込めた声で茂作が言い返した。「わしがおまえさんに何かしたか」
 「……」
 「答えられないようじゃな。わしは何もしていない。何で殺されなくてはいけないんじゃ」

 「あのさあ」と雪女は言った。

 「あたしは雪女なのよ。妖怪よ」
 「だから何じゃ」
 「子泣き爺は赤ん坊に化けて人の背中にとりついて押しつぶすの。砂かけ婆は山道を歩いている人の頭の上から砂をかけるのよ。そして雪女は人を凍らせて殺すのよ」
 「楽しいのか、そんなことをして」
 「楽しくないわよ」
 「じゃあやめろ」
 「だからそうはゆかないのよ。だってそれが私のレゾンデートルなんだから」
 「舶来語を使えばいいってもんじゃないぞ。まあいい。そこは百歩譲る。だけどなんでわしだけが命を落として巳之吉は見逃したんじゃ」
 「……若くて美少年だったからよ」
 「若くて美少年だったら命を奪わないのか」
 「あたしの勝手よ」
 「年寄りは殺すのか」
 「もう充分生きたでしょ」
 「そもそもわしはいくつだ」

 答えはない。顔を上げた巳之吉は二人が自分を見つめていることに気づき、「はい?」と少しだけ狼狽したように声をあげた。

 「歳だよ」
 「おらは十八です。そう書かれています」
 「おまえじゃない。わしの歳はいくつだ」
 「老人、としか書かれていません」
 「手抜きじゃ」
 「まあそうですね」
 「この物語が発表された年は1937年だ。昭和12年。そのころの日本人男性の平均寿命はいくつだと思う」
 「今よりは短いとは思うけれど……」
 「人間五十年」
 雪女が言った。横になったまま、「敦盛か」と茂作が笑う。どうやらこの老人は、こう見えてなかなか博識のようだ。

 「確かに織田信長の時代は、50年生きれば長寿じゃった。それは江戸から明治にかけてもほぼ変わらない。ちなみに残されているいちばん古いデータは1891年-1898年で、男性は42.80年で女性は44.30年じゃ」

「そんなに短命だったのか」と巳之吉が嘆息した。「まあこの時代は乳幼児の死亡率が高かったから、今の寿命の感覚とは少し違うかもしれんがな」と茂作が言う。雪女は不機嫌そうな表情のまま沈黙している。

 「ならばわしはいくつじゃ」
 茂作がそう言って話を戻したとき、再び戸口が開いた。顔を出したのは小柄な外国人だ。

 「あらら」
 雪女が声をあげた。

 「ヘルン先生がなんでまた」
 「なんだか揉めているようなので……」
 小さな声でそう言ってからラフカディオ・ハーンは、肩や袖に薄く積もった雪を細い指先ではらう。

 「ヘルン先生、わしの歳はいくつの設定ですか」と茂作が訊いた。
 「えーと」
 「そういえば聞いたことがあります」と巳之吉が言った。「波平です」
 「サザエさんのお父さんの波平かしら」と雪女が首を傾げる。
 「そうです」
 「それがどうかしたか」
 「波平の年齢は54歳です」
 えええと雪女が声をあげた。「あんな禿ちょびんで髭を生やして趣味は盆栽で和服を着て孫もいるのに?」
 「朝日新聞に連載されていたとき、一回だけ年齢を明かした回があるんです」
 「昭和中期の男性の平均寿命は60歳前後。54歳なら立派な老人じゃ」と茂作が言った。
 「そもそもヘルン先生はいくつでお亡くなりになったんですか」と巳之吉が訊いた。寒そうに肩をすくめながらハーンは、「私は享年54です」と小声で答えた。
 「まさしく波平の歳じゃ」
 「早逝でしたね」

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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