第6話 オオカミと少年

第6話 オオカミと少年


 翌日から少年の生活は一変しました。

 朝起きたらまずはスマホをチェックします。夜にベッドに入ってからもスマホを眺めながら眠りにつきます。ヒツジたちを連れて山に登ったり下りたりするときも、じっとスマホを見つめ続けています。子ヒツジが崖から落ちても気づきません。イヌが吠えても知らん顔です。年上のヒツジ飼いが言ったとおりでした。スマホさえ眺めていれば、世界に起きているいろんなことがわかります。多くの人の意見を読むこともできます。ゲームもできるし写真を撮ることもできます。

 でも孤独な少年には、撮った写真を見せる誰かはいません。誰かの書いたことを読むことはできても、自分が書いたことを読んでくれる誰かもいません。ゲームにはやがて飽きてしまいました。そんなとき、年上のヒツジ飼いにまた山の上でばったりと会いました。

 「買ったのか」
 年上のヒツジ飼いは、少年が手にしたスマホを見て驚いて言いました。

 「ずいぶん無理をしたな」

 どうやら年上のヒツジ飼いは、自分の真似をしてスマホを買い、すっかり夢中になっている少年が少しだけ可哀そうになったようです。「せっかく買ったのなら、SNSをやったほうがいいよ」とアドバイスしました。

 「エスエヌエス?」
 「ツイッターだよ。フェイスブックやインスタグラムもあるけれど、初心者はまずはツイッターから始めたほうがいい」

 そう言って年上のヒツジ飼いは、ツイッターとフェイスブックの登録のやり方を少年に教えました。

 その日の夜、家に帰った少年はスマホをテーブルの上に置いて、じっとその画面を見つめていました。すぐにツイッターを始めたいと思う気持ちと、迂闊に手を出さないほうがいいという直感が、少年の胸の裡ではせめぎ合っていました。少年がさっぱり仕事に身が入らないので、今日も一日ヒツジたちを追い回し続けて疲れ切っていたペスは少年の足もとにうずくまっていましたが、やがて少年を見上げて言いました。

 「悩んでいるならやめたほうがいいよ」

 少年はびっくりしてペスを見つめます。

 「驚いた。君はしゃべれるのかい」
 「まあ日常会話レベルだけどね。とにかくSNSは危険だよ。特に免疫がない場合は」
 「何でそんなことを知っているんだ」
 「僕の知り合いの自称作家で映画監督の男は、最近になってツイッターとフェイスブックを始めて、おまけにずっと使っていたガラケーが使えなくなりそうなのであわててスマホに買い換えてよせばいいのにラインにまで手を広げようとして、何が何だか収拾がつかなくなってパニック状態になっているらしい」
 「君の知り合いに作家で映画監督がいるのかい」
 「自称だよ。とにかくその男は、ほとんど予備知己がないままにSNSを始めて、今はかなりボロボロになっている」
 「そうなのか」
 「まあでも、SNSに悪い面ばかりがあるわけじゃない。良い面もたくさんある。要は使いかただよ」
 「どう使えばよいのだろう」

 返事はありません。

 少年がもう一同じ質問をしようとしたとき、ペスはワンと吠えました。それからは何を言っても答えません。自分は夢でも見ていたのだろうか、と少年は考えました。それからスマホを手に取りました。

 ペスのアドバイスは気にはなったけれど、少年は孤独すぎました。特にスマホを使い始めてからは、自分が世界で一人であることを、より強く実感するようになっていました。もっと多くの人につながりたい。その思いは日ごとに強くなっていました。

 人と繋がって生きる。これは人類の本能です。人は一人では生きてゆけません。

 そもそもは450万年前、人類共通の祖先であるラミダス猿人が樹上から地上に降りてきたとき、彼らは直立二足歩行と合わせて群れで生きることを選択しました。なぜならば地上には樹上と違って大型肉食獣がたくさんいます。樹上で生活していたときのように単独でうろうろしていたら、たちまち彼らの餌食になってしまいます。でも群れでおおぜいが集まっていたら、肉食獣も簡単には襲ってきません。夜に寝ているときも、交代で誰かが見張れば、異変を全員に知らせることができます。狩りのときも、単独よりは集団のほうが獲物を確実にしとめることができたのかもしれません。

 こうして人は群れる生きものになりました。でも群れには大きな欠陥があります。同調圧力が強くなることです。
 だってみんながてんでばらばらに動いていては群れの意味を成しません。イワシやムクドリの群れのように、群れは一つの生きもののように全員で同じ動きをします。同じ方向に同じ速度で動きます。でもこのとき、一人ひとりは速度や向きを実感することができなくなります。だって周囲全員が同じ動きをしているからです。

 一人ひとりはそれなりに賢いのに、群れからは理性や抑制が外されます。だから時として暴走します。そして大きな過ちを犯します。

 これは人類が遺伝子に刻んだ大きな欠陥かもしれません。
 でも群れとは言い換えれば社会性。つまり群れる生きものになったからこそ、人はこれほどに繁栄したと見ることもできます。

 いずれにしても、人は一人では生きてゆけません。それは少年も同じです。孤独で寂しいのです。ペスはもうしゃべってくれません。少年が話しかけても尻尾を振ってワンと吠えるだけです。少年は一人ぼっちです。誰かと繋がりたい。心からそう思いました。

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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