第13話 不思議の国のアリス

第13話 不思議の国のアリス


「いまのできごとについて、おまえはなにか知っているか?」王様がアリスにたずねました。
「なんにも」とアリスは答えました。
「まったくなんにもか?」王様はくいさがりました。
「まったくなんにも」アリスはくりかえしました。
「これはたいそう重要なることじゃぞ」王様は陪審員のほうをふりむいていいました。陪審員たちがこれを石板に書きつけようとしたとき、シロウサギがすかさず口をはさみました。
「重要ならざることだ、陛下はそういうつもりでおっしゃっておられるんでございましょう、もちろん?」
(中略)
 そのときです。さっきから手帳になにか書きつけていた王様が、「静粛に!」と叫び、自分のメモを読みあげたのです。
「第四十二条、身長一マイル以上ノモノハ全員法廷カラ退去スベシ」
「わたしは一マイルなんてありませんからね!」とアリスは言いました。
「あるとも!」と王様がいいました。
「二マイル近くある!」と女王がつけ加えました。
「そう? どっちにしろ、わたしは出ていきませんからね」アリスはいいかえしました。「だって、これは正式の規則じゃないわ。あなたがたったいまでっちあげたのよ」
「これは本に書いてあるいちばん古い規則じゃぞ」
「それじゃ、第一条のはずよ」
 王様はまっさおになり、いそいで手帳をとじると、陪審員に向かって、「評決にかかれ」と命じましたが、その声はちょっとふるえていました。(同掲書)

 とにかく結果を急ごうとする王と王女に、シロウサギが新たな証拠を提示する。被告が書いた手紙だ。しかし筆跡は被告とは違う。それに対して王様は「だれかほかの人間の筆跡をまねしたにちがいない」と断定する。被告であるジャックが、「私はそれを書いておりません。署名すらないではございませんか」と訴えれば、王様はこう答える。

「ことはいっそうおまえに不利になるだけじゃ。つまり、なにかよからぬたくらみごとがあったからこそ、署名しなかったんじゃろう。さもなければ、正直者らしく自分の名前をちゃんと書いたであろうからな」
 これを聞いて、法廷じゅうから拍手が起こりました。この裁判の開始以来、王様はいまはじめて賢明な発言をしたからです。
「それで有罪と決まったわ」と女王が言いました。「さあ、首を」
「そんなの、なんの証拠にもなりはしないわ!」叫んだのはアリスです。
(中略)
「陪審員は評決にかかれ」王様のこの発言は、この日、もう二十回目くらいになるかもしれませんね。
「だめだわ」と女王がさえぎりました。「判決が先よ。評決はあとから」
「バカバカしい! ナンセンスよ!」アリスは声をはりあげました。「判決がさきだなんて、まったく!」
「おだまり!」女王は顔をまっかにしていいました。
「いやよ!」アリスはいいかえしました。
「このチビの首をちょん切れ!」女王がかな切り声でわめきました。(同掲書)

「何が何でも死刑にしたいのね」
 アリスが言いました。「署名がない理由は、自分が書いたことを隠そうとしたからだと決めつける。むちゃくちゃね。この手紙を被告人が書いたかどうかを議論しなくてはいけないのに、いつのまにか被告人が書いたことが前提になっている。明らかに論理矛盾。でもこれは不思議の国だけの話ではないわ。今の日本の検察の取り調べもこんな感じ。だから冤罪は今も後を絶たない。2010年に大阪地検特捜部主任検事が、証拠物件のフロッピーディスクを改竄した事件は記憶に新しいけれど、あれは間違いなく氷山の一角よ」
「おまえはいったい何をぶつぶつ言っているんじゃ」と王様が言いました。
「頭がおかしくなったようね」と女王が言いました。

「これでは法廷の意味はないわ」とアリスは二人に言いました。
「意味は十分じゃ」と王様が言いました。
「なぜなら法廷は、被告人を死刑にするかどうかを決める場所じゃからな」

「違うわ」とアリスは言いました。
「確かに刑罰の量を決めることは法廷の重要な機能だけど、それを決めるためには事件について、あるいは動機について、被告の精神状態について、私たちはもっといろんなことを知らなくてはいけないわ」

「その必要はない」と女王が言いました。

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Written by 森達也
森達也

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。テレビ・ディレクター時代の98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。

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